四十九番はリオン、十七番はローランドとそれぞれ名乗った。
結局、ぼくとソフィは彼らと手を組むことを承諾した。その選択もアリかな、と思ったからだ。
もちろん気は抜けないが、城の中は広いし、タイムリミットまではまだまだ時間がある。
それに──
「ホグワーツ生なの!?」
「そうだよ。幣原がまさか闇祓いを目指していたとはね、知らなかった」
そう目を細めて微笑むのは、四十九番のパトリック・リオン。なんとぼくと同級生、グリフィンドール生らしい。そう言われてみれば、合同授業で顔を見たことがある気もする。
「ぼくのこと知ってるの?」
「そりゃあ知っているさ。喧しい悪戯仕掛人と一緒にいるのを見かけていたし、それに前、魔法魔術大会で優勝しただろう? 僕らのグリフィンドールの先輩、ライ・シュレディンガーを差し置いて優勝した君は、そうそう忘れられるもんじゃない」
……ぼくの四年生、魔法魔術大会でのあれは、なかなか色んなところで尾を引いているようだ。もう三年も前のことだし、ぼくも半ば忘れかけていたんだけど。
──あまり思い出したくないことまで、思い出すから。
胸の痛みに一瞬だけ目を伏せた。
「ところでさー、二人の指令は何だったの?」
ソフィの明るい声。ふわりと気持ちが浮き上がる。
「僕はね、『西塔で封じられた物を見つけろ』っていうやつ。それが、多分これなんだよね」
そう言ってリオンがポケットから取り出したのは、首から下げるタイプのロケットだった。
「開かないんだよ、このロケット。他にそれらしいものもなかったから」
「……これだ、って確証が見当たらないから、ちょっと困るよね」
その通りだよ、とリオンはぼくに同意して微笑んだ。
「ローランドは?」
そう言って、ソフィと共に歩いていたローランドを振り返ると、ローランドは驚いたように大きく肩を震わせた。大きな図体に似合わず、おどおどと視線を彷徨わせている。
呆れたようにリオンが口を開いた。
「ローランドは北塔。『金色の鍵を手に入れろ』だってさ。北塔はまだ探していないんだ。幣原、君は司令塔だったよね? 先に司令塔を探して、機密文書を手にいれる。その後でいいから、ローランドを手伝ってくれないか?」
「あぁ、構わないよ」
軽く返事をする。
四人でいると、確かに二人でいるときよりは相当心強かった。迷いながらも、司令塔らしいところに辿り着く。そこで、新たな二人組と出会った。
「ステューピファイ!」
リオンの放った失神呪文と、ぼくの放った攻撃呪文がそれぞれに直撃する。少し感心して、隣のリオンを見遣った。反応が早いし、火力も強い。
そして何より、
「さぁ、行こう」
司令塔へと続く扉を、リオンは開け放った。
沈んだ二人に視線をやる。十五番と三十二番。
「……待って、リオン。この二人のうちどちらかが、司令塔の機密文書か、北塔の『金色の鍵』を持っている可能性はないかな?」
リオンは目を瞬かせたが、すぐにぼくの意図を読み取ってくれたようだ。
ぼくとリオン、手分けして二人の持ち物を探る。
「……え?」
十五番の荷物を探っている最中、思わずぼくは声を漏らした。
「どうしたの、秋?」
「あ、いや……なんでもない」
ソフィに尋ねられ、首を振った。
覚え違いかもしれないし、そもそも理由がない。
──いや、理由はなくもない、のか。
ならば──。
「……ふむ、二人ともそういうものは持ってないみたいだね」
リオンは小さく息を吐いて立ち上がった。
杖を振って二人を縛り上げると、『目くらまし呪文』を掛け、廊下の片隅に放置する。
司令塔の中は、一方通行だった。
薄暗い螺旋階段をぐるぐると登った後、視界が開ける。
ホグワーツの大広間、のような場所だった。四つの長いテーブルが置かれている。
違うのは、天井が空を映し出していないこと、そして空中に浮かぶシャンデリアがないこと。
大きく開いた窓はあることはあるけれど、採光が室内の広さに比べて少なすぎる。周囲が見えないほどじゃないが、薄暗いことに変わりはない。
「大広間みたいだな……」
リオンもぼくと同じ感想を抱いたようだ。ソフィが小さく頷いた。
広間の奥、ホグワーツでいう教職員テーブルの場所は、一段高くなっていて、そこの奥に、更に小さな扉があるのが見てとれた。
「『最奥』に、機密文書があるんだよね?」
「うん」
ソフィの問いかけに首肯する。
奥の扉に近付くと、その扉は思った以上に小さかった。ぼくの腰ほどまでしかない、小さな木製の扉だ。
そうっと開け、慎重に中を覗き込むと、中は真実真っ暗闇だった。
「ルーモス・マキシマ」
一瞬だけ、中を強い光で照らし出す。杖の明かりに照らされ見た中は、案外狭かった。
金庫のような重厚な作りをした棚が、最奧に見える。
同時に、光が消える僅かな瞬間、影でもぞりと蠢く何物かが垣間見えた気がした。
「…………」
隣のリオンと顔を見合わせる。
リオンも、苦いものをそうとは知らず口にしたような表情をしていた。
「見えた?」
「見えた」
「何、今の」
「……さぁ」
「どうしたのー?」
背後でソフィが喚いている。ぼくもリオンもスルーして、もう一度中を覗き込んだ。
今度は二人で、唱える。
「「ルーモス・マキシマ」」
先ほどより明るく照らされた室内で、確かにいた。
光によって強く彩られた影、その影自身が、蠢いている。
「……どうする、幣原?」
「……どうするもこうするも、入るしかない」
そう呟いて、ぼくは杖を振った。火の玉を数個放ると、柔らかな光が中を照らし出す。
杖をしっかりと握り締めたまま、ぼくは中に足を踏み入れた。
『影』は、ぼくを攻撃しては来なかった。ただしかし、強い視線を感じる。気配というか存在感も。
部屋自体が『影』のテリトリーであり、ぼくはそのテリトリーを犯す闖入者だから、それも当然か。
棚に辿り着いたぼくは、引き出しを開けた。
思っていたより、引き出しは簡単に開いた。
「秋ー、見つかったー?」
背後からソフィの声がする。
小さな声で、呟いた。
「……ない」
引き出しの中は、空っぽだった。
『影』の視線を感じながら、ぼくは小部屋から出た。
『影』は、やっぱり襲いかかっては来なかった。
「先に、誰かに奪われたんだ」
ぼくの言葉に、リオンは僅かに目を瞠った。
「同じ指令を受けた奴が他にもいると?」
「さっきソフィのスニジェットを見つけに行ったとき、同じく『囚われし物』を探している人たちに会った。最初に『ペア以外の受験生は、任務における『敵』です』ってアナウンスがあったし、運営側はぼくらを戦わせたいんだと思う。実践でぼくらがどう動くのかが見たいはずだ」
「なるほど、それなら、同じ指令を異なる人に出して奪い合いをさせようって魂胆か」
深々とリオンは頷いた。
頭の回転が速い。同時に、油断ならない、と思った。
「しかし、この広い城の中、機密文書を持っている奴が見つかるかな?」
「見つかるさ」
断言したぼくは、リオンにとって予想外だったようだ。
「どうして?」
「勘」
「…………マジかよ」
「ぼくの勘は案外当たるんだよ」
「いや、君の勘の鋭さがどうたらじゃなくってだね……はぁ、ま、いいか」
リオンは追及を諦めたらしい。眉間を押さえて息を吐いている。
──まぁ、理由はあるんだけれども。
リオンたちがぼくらを利用しているのと同じで、ぼくも彼らを利用している。そういうことだ。
彼らには、特にリオンには、利用価値がある。
言葉を尽くさずとも伝わる頭の良さに、呪文を繰り出す反応の速さ。そして、ぼくを利用しようとするしたたかさ。
この三つを、ぼくは特に高く評価している。
「いつまでもここでぼうっとしている訳にもいかないし、北塔に向かおう。ローランド、君は『金の鍵』を手に入れなきゃいけないんだよね?」
ローランドに話を振ると、ローランドはビクリと大きく肩を震わせた。どことなくソワソワしつつ、小さく頷く。
大広間を、来た方と逆向きに歩いた。ちょうどここは、ホグワーツの大広間と照らすと、グリフィンドールとレイブンクローの間か。
大広間を出て、螺旋階段をずうっと下っていく。降りて、北の方角を探すべく窓の外を見た。
太陽は、いつの間にか大分沈んだようだ。仰角四十五度くらいか。タイムリミットは確実に近付いてきている。
「北塔はこっちだね」
そう言って、背中を晒した瞬間。
「インペリオ!」
飛んできた呪文は、しかし予想が出来ていた。
盾の呪文では防ぐことの出来ない、三つの呪文。「許されざる呪文」と総称されるその呪文は、しかし今回そのうち一つだけ、行使が認められていた。
「背中を狙うだなんて、不躾だなぁ」
笑顔で、ぼくは背後のリオンを振り返った。杖をリオンに突きつけたまま、ぼくはリオンとローランドを交互に見遣った。
「北塔の金の鍵は、やっぱりでまかせだったんだ」
「……思っていたより鋭いじゃん。どでかい魔力でぶん殴るだけかと思っていたけど」
そう言って、リオンは笑った。
ぼくに突きつけられる、二本の杖。リオンとローランドのものだ。
「西塔で見つけたと言ったそのロケットも、でまかせだよね」
「……どうして分かった?」
リオンの声は、純粋に疑問に満ちていて、どうしてぼくがそれを見破れたのかを他意なく知りたがっていた。
だから、ぼくもちゃんと答えを返してあげる。
「君がそのロケットを見せてくれたとき。『これだ、って確証が見当たらないから、ちょっと困るよね』って言ったぼくに、君は同意したよね。でも本当は、これだ、って確証があるんだよ。ね、ソフィ」
ソフィはぼくの言葉にこくりと頷いた。
「スニジェットの鳥籠に触ったときにね、いきなりおっきなアラートが鳴って、煙が吹き出してきて、呪文に追いかけられたんだ。他のもの触ったときは、そんなことなかったのに」
「ぼくがさっき小部屋に入ったとき、あの小部屋には何かがいて、ぼくの行動を監視していた。でも、ぼくには何の危害も及ぼさなかった。機密文書がなかったから、既に誰かに持ち出されてしまっていたから。……ぼくを利用しようとしたのは、素晴らしい判断能力だったけどね」
さぁ、と、杖を構えたまま一歩近付いた。
「どうする?」
「……どうする、って?」
「投降するのなら、手荒な真似はしない。眠りに落ちるよりも早く安らかに失神させてあげるよ」
「……さすがに、その提案には乗れないな」
リオンは強気に笑ってみせた。そして──
「きゃっ!?」
あろうことか、ソフィの腕を無理やり掴むと、彼女の頭に杖を突きつけたのだ。
「さすがに君も人質を取られちゃ敵わないだろう」
「……卑怯な」
「卑怯? 何を今更。『服従の呪文』まで認可しておいて、人質が卑怯だとは、幣原、君の頭は随分とおめでたいつくりに出来ているようだ」
思わず、奥歯を噛み締める。
やられた、まずはソフィの安全を確保すべきだったのに。悔やんでも、しかしもう遅い。
その瞬間、リオンが変わらぬ笑みを顔に貼り付けたまま、ゆっくりと崩れ落ちた。
崩れるリオン、その後ろには、リオンの仲間であるはずのローランドが、リオンの背中に杖を向けていた。驚いたように、ソフィも目を丸くしている。
「どうして……?」
「……なんか、許せなかったから」
ぼくの言葉にローランドがまともに答えを返したのは、これが初めてだった。
「不意打ち騙し合い上等なこの試験だけれど、苦し紛れの人質作戦に、意味はないと思ったし。……それに」
ローランドは僅かに笑って、両手を上げた。
「……君に、歯向かいたくはなかったし」
「どのペアも、『東塔の囚われし物』と『司令塔の機密文書』って指令を受けてるのは間違いなさそうだねぇ」
ソフィは口ずさんだ。
両腕にはしっかりと、スニジェットの入った鳥籠が抱かれている。
「ローランドがあそこで嘘ついてなけりゃあね」
「秋は案外疑い深いんだね」
「君は楽観的過ぎる」
「う……よく言われる」
がっくりとソフィは肩を落とした。
しかしすぐさま復活する。回復が早い。
「東塔でクローゼットの中に突っ込んだ二人組、司令塔前で出会った二人組、そしてリオンとローランド。ぼくらがこれまで出会ったのは六人。受験者は十人だったから、ぼくらの他にあと一組残ってる。彼らが『機密文書』をぼくらより先に手に入れたのは、ほぼ間違いない」
「だったら、あたしが持ってる『囚われし物』を奪いにくるはずって?」
「そういうこと。だから、探さずとも向こうからぼくらを見つけてくれるはずだ」
言いながら、窓から空を見上げた。
夕焼けが地平線を赤く染めている。あと一時間もしないうちに日没、タイムリミットだ。
おそらくこの城の中央部分に位置するだろう吹き抜け。両サイドには、左右対称に階段が伸びている。その階段の手すりに腰掛け、ぼくらは喋っていた。
ぼくらがここにいるということは、既に伝えてある。階段の手すりについていた鳥を、本物の鳥に『取り替え』、ぼくらの所在を書いた手紙を持たせて飛ばしたのだ。
十匹も飛ばしたし、たとえ城の中が相当広かろうが、一羽くらいはそろそろ辿り着いてもいい頃だろう。
そんなことをちょうど考えた折、バタン、と扉が開く音がした。
ぼくはゆっくりとそちらに目を向ける。
「相方はいないの?」
ぼくの言葉に、『彼』は答えた。
「邪魔だったもんで」
唇が、歪な弧を描く。
「なるほど」
彼の意見に頷いて、ぼくは手すりから飛び降りた。
「取引しませんか? 幣原くん」
『二十一』の番号をつけた彼の手首には、何色のブレスレットも掛かっていない。
ひょっとすると、相方を見捨てた瞬間、ペア制度は解除され、同時にブレスレットが外れるのではないか。
そんなことを思いながら、自身の手首に掛かっている赤いブレスレットを見た。
「取引?」
「そう。君と戦いたくはないんですよ。そもそも、ここは闇祓い本試験、腕に覚えがあって能力がある者が集う場所です。手練れのはずなんですよ。そんな彼らを、君はいとも簡単に倒してしまう。『敵が弱かった』なんて、観客にそんなことを思わせる君は──人間じゃない、化け物だ」
「…………」
「ここに、君の探し求める『機密文書』があります。君が欲しいというのなら、これを渡しましょう。その代わりと言っては何ですが」
彼は、唇を吊り上げた。目は一切笑っていないその笑顔は、寒気すらも呼び起こす。
「そちらの彼女の持つ鳥籠──『囚われし物』を寄越してください」
「……君の指令は、どっちだったの?」
「どっちだったと思います?」
質問を質問で返して、彼は口を閉じた。
順当に考えれば、彼の指令は『機密文書』の方だろう。だがしかし、相方がいない彼が『囚われし物』との交換材料に『機密文書』を持っていたという線も否定出来ない。
短い時間しか相対していないが、彼が一筋縄ではいかない人物であることは、感覚的に理解出来た。
「その取引、もし断ったら?」
「『機密文書』を燃やします」
迷いのない口調だった。
「……それは困るなぁ」
呟いて、ソフィに目を遣った。
「どうしよっか」
「……あたしは」
ソフィは小さな声で俯いた。
「秋、あんたに、この試験に受かって欲しいよ。ペア組んで、よーく分かった……あんたは才能の塊だ。あんたと一緒だったから、あたしはここまで残れた。あんたを闇祓いにしないのは」
静かな口調で、言い切る。
「この世界の、損失だ」
「…………」
「二十一番。あんた、名前、何て言うの?」
彼は目を瞬かせると「マーク・ヴィッガー」と名乗った。
「そ。マーク、あんたに渡すよ、これ。だから、秋に『機密文書』渡してあげて」
ソフィが鳥籠をそっと掲げる。
「……本当に、それでいいの?」
ぼくの言葉に、ソフィはにっこりと笑った。
「元々あたし、そんなにこの職に就きたいわけじゃなかったもん。……気に病む必要は全くないよ、秋」
澄んだ青い瞳が、ぼくを真っ直ぐ捉える。
「でも、誓って、秋。必ず、魔法界の平和のために、その力を使うって。あんたの力は恐ろしく強大で、敵う人はそうそういないんだろうけど、あんたは優しいから。だから」
絶対に間違わないで。
その力の使い所を。
闇祓い本試験、二日目。
信じられないことに──最後は話し合いで、決着がついた。
◇ ◆ ◇
双子の華々しい自由への逃走は、ホグワーツの伝説となりあちこちで語り継がれた。
その煽りを受け、双子に続け、とばかりに次期悪戯仕掛人の座を狙って、校内で悪戯っ子たちが跳梁跋扈する様は、非常に愉快だった。
双子の痕跡は、ありとあらゆるところで残っていた。
ホグワーツの様々なところが吹き飛ばされていたし、東棟の六階には沼地が広がっていて、フィルチが渡し船で生徒を教室まで運ぶ仕事をしていた。遠回りすればそこを通らず行くことも出来るのだが、皆はそんな億劫なことをせず、素直にフィルチの渡し船に並んだのだった。
一番大はしゃぎしたのは、しかし誰が何と言おうとピーブズだろう。学校中を飛び回り、ありとあらゆるものを滅茶苦茶にした。
生徒もピーブズに以前より好意的になり、いろんな騒ぎを手助けしていた。
季節は滑るように六月になった。
ふくろう試験が、いよいよ始まろうとしていた。
「この呪文での杖の振り方って、C だっけ、O だっけ」
「C のはずだ、お願いだから黙って……」
「不安で仕方がないよ……歩くたびに記憶が抜け落ちていきそうだ……」
「黙って、アンソニー」
「ご、ごめん、レーン……」
ふくろう試験初日。レイブンクロー五年生は、いくぶんやつれた顔で大広間へと向かっていた。
もっとも、レイブンクロー生だけではない。五年生全員が、普段より生気のない顔で、どことなくふらついている。
大広間は、四つの寮の長テーブルは片付けられ、代わりに個人用の机と椅子がずらりと並んでいた。寮ごとに並んで着席する。
机の上には問題用紙と羽根ペン、羊皮紙の巻き紙、インク壺が並べられており、問題用紙の表にはデカデカと赤い文字で『カンニング厳禁』と書いてあった。
「始めてよろしい」
マクゴナガル先生の声で、皆が一斉に試験用紙をひっくり返した。
午前は筆記、午後は実技、というのは、幣原の頃と変わらない。
寮関係なく名簿順に名前を呼ばれるからか、ぼくとハリーは同じ組として名前を呼ばれた。
ぼくの顔を見て、ハリーはホッとした表情を見せる。顔色が悪い、勉強疲れか。
「アキくん、さぁ」
フリットウィック先生に促され、ドラコの後のマーチバンクス教授の前に立った。
全ての課題をこなしてみせると、マーチバンクス教授は僅かに呆然とした表情でぼくを見つめていた。その表情の意味が分からず、ぼくは僅かに首を傾げる。
「あの……教授?」
「あ、あぁ、すまない……ふと思い出したものでね」
思い出す。
その言葉の意味に、少し身構えた。
「……君は、昔見たあの子にそっくりだ……彼も、素晴らしい呪文の冴えを見せてくれた……名前は、確か……」
「人違いです」
少し食い気味にそう言う。
ハリーが心配げに、ぼくにちらりと視線をやるのが見えた。自分の術に集中しなよ、と思いながら、奥歯を噛みしめる。
マーチバンクス教授は気圧されたように目を瞬かせると「そ、それはそうだな……もう何年も前のことなのだし」と呟いた。
──ぼくは一体、何度こんな思いをしなければならないのだろう。
幾度となく考えた答えのない問いに、ぼくは眉を寄せると目を伏せた。
「いったぁ!?」
いきなり頭を叩かれ、ぼくは弾かれたように顔を上げた。
見ると、幾分ヤツれた表情のアリスが『天文学』の分厚い教科書を手にしていた。どうやらこの本でぼくの頭を殴ったらしい。
「すまん、ムシャクシャしてな」
「ムシャクシャしてるからって人を叩くなよ!」
「うるせぇ」
再び頭上に振り下ろされる教科書。音の割にそう痛くはないが、それでもいきなり殴られるのは嫌なものだ。
「お前は一人余裕そうだな」
「そんな余裕ないからね!? ぼくが全科目取ってんの、知ってるでしょ!」
「なんで全科目取ってんのにそう余裕そうなんだよ」
再び誰かに頭を殴られた。今度はアリスじゃない。
後ろを振り返ると、目の下に深々と隈を作ったウィルの姿が。
「いいな、アキの頭……俺にもくれよ……」
「ひっ……」
思わず後ずさる。怖い、試験はここまでも友人らを追い込むものなのか。
ゆらり、とレーンも立ち上がると、アリス、ウィル、レーンの三人で、ぼくを囲み出す。
「アンソニー」
「任された」
逃げよう、と思った瞬間、ガシ、と背後から両肩を押さえられた。
顔を向けると、そこには我らがレイブンクロー五年監督生、アンソニーの姿が。
「やぁ、アキ。勉強は捗っているかな?」
「今現在全力で君らに妨害されてますけど!?」
ぼくの周りに、男だけじゃない、女の子までもが近付いてくる。
全員が全員血走った目をしていて、本能的な恐怖に駆られた。
「毎年こうだよね、寮トップの子が生贄になるの」
「レイブンクローの風物詩だよね~」
六年生のお姉さん二人が、のほほんとそんな話をしながらぼくらの脇を通り過ぎていく。
「アキくん頑張って~」
「応援してるよ~」
「なら助けてよぉ!」
ぼくに手を振るお姉さん方に喚くも、おっとり笑顔は崩れなかった。
「とりあえず全員、一発ずつ殴ろう。上手くいけば、こいつが試験範囲の内容を忘れてくれるかもしれない」
アリスが淡々と言う。それにぼくを除く全員が大きく頷いた。
「「「了解」」」
「ぼくは了解してないから!! ちょっと、マジで、やめっ、アーーーーーー!!!」
レイブンクローに組み分けされたことを、生涯でこんなに後悔したのは初めてだった。
『天文学』の実技試験が終わった後は、誰もが先ほどあったことについて話していた。
つい先ほど、ハグリッドの小屋をアンブリッジら五人が襲い、マクゴナガル先生がその巻き添えを食らって倒れてしまったのだ。試験に集中するどころの話じゃなかった。
「『失神呪文』を四本も食らって……お可哀想に。無事だといいんだけど」
未だ腫れている頭をさすりながらも、眉を寄せる。
ぼくの言葉に、アリスも静かに同意した。
「もう少し、決定的な何かがありゃあな……動けるんだけど」
「え? 何の話?」
口が滑った、と言わんばかりに、アリスは苦々しく顔をしかめた。
それでもぼくがせがむと、仕方ない、と言うように大きくため息をつく。
「いろんなしがらみってもんがあるんだよ、名門貴族様ってのは。……今の段階じゃまだ動けないんだ。あんの甘々閣下が、目を閉じれば見たくないもんを見なくて済むって思ってやがる。だから困ってんだよ。お前の兄貴の言うことをきちんと受け止めてきちんとやるべき対処をやっとけば、俺はこんな柄でもない優等生姿でクソガマガエルに媚び売らなくっていいって訳だ」
アリスは肩に担いでいた望遠鏡のケースを背負い直すと、本当に何の気もない口調で呟いた。
「魔法省あたりでどんちゃん騒ぎでも起こしてくれりゃあ、動き出せるってもんなんだけどな……」
それが数日後に実現するだなんて、このときは夢にも思っていなかった。
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