「集合……写真?」
思わず渋い表情になるのを、止めることは出来なかった。
不死鳥の騎士団本部では、発足当時の倍以上の人数がいた。とても心強いことだと思う。ヴォルデモートと死喰い人らに対抗する人手は、多ければ多いほどいい。この戦争が終わるときに一体何人残っているのだろうとか、そういうことは思うまい。
それはいいのだが。
「なんじゃ、不満かの? 秋」
ダンブルドアに笑顔を向けられて、苦笑いを返した。
「不満、というか……」
写真を撮ると聞いていたら、来ていなかった、というか。
「まぁ、誰か一人、カメラのシャッターを押す人物が必要なんじゃがのう」
「やります!」
一も二もなく手を上げて、カメラを受け取る。そんなぼくに、仕掛人の面々は不満そうだったが、文句も言わせずに並ばせた。
「はい、じゃあ撮りますよー」
人が多すぎて、三段に並んでもらうことになった。増えたものだ、と少し驚く。
中心にダンブルドア、そのすぐ横にムーディ先生。年功序列、というわけではないが、仕掛人やリリーは後ろだった。
「ハグリッド、もうちょい寄れる? うーん、もう少し……」
「秋、僕らを潰す気かい!?」
ハグリッドのすぐ隣にいたロングボトム先輩が、青ざめた表情で叫んだ。
「おお、すまんかった、フランク」
「全くだよ!」
ロングボトム先輩の逆隣では、プルウェット先輩とエリス先輩が笑いを堪えている。
前、悪戯仕掛人とリリーを撮ったときのような失敗はしない。写りたくないとワガママを言うのだから、撮る役割くらいはしっかりと果たしたい。
「行きますよー、こっち見て!」
ぼくの声に、全員が微笑んだ。
……いや、全員じゃないな。ダンブルドアの弟だと名乗ったアバーフォース・ダンブルドアは、今にも帰りたそうにそっぽを向いている。ちょっと気にはなったが、まぁいいや、と気にせずシャッターを切った。
「本当に君は、写真が嫌いなんだなぁ」
こっちにやって来たシリウスは、肩を回しながらぼくの手元のカメラを覗き込んだ。
「おっ、いい感じに撮れてる撮れてる。前より相当マシだぜ、成長したな、秋」
「うるさいなぁ、いいじゃん、別に」
やがて人数分刷り終わった写真を、全員に回した。
ある人は嬉しそうに、ある人はそっけなく、ぼくから写真を受け取っていく。
ぼくの手元に残ったのは、ぼくが写っていない集合写真。
ぼくは満足して、そいつを見つめた。
◇ ◆ ◇
「どこに向かっているのです?」
プリベット通りをダンブルドアとハリーの三人で歩きながら、ぼくはそう尋ねた。
夏休みを二週間ほど過ぎた七月。ぼくらをダーズリー家から迎えに来たダンブルドアに、ぼくらは飛び跳ねんばかりに驚いたのだった。
確かに事前に連絡はあった。しかしこんな早くにダーズリー家から解放されるという幸運が、果たしてぼくらにあっていいものか? こんこんと無表情にそう説くハリーに流され、半信半疑で時間を潰していたのがつい一時間ほど前。
慌てて荷造りをしたから、外からじゃ分からないがトランクの中身はちょっと人には見せられない。
「バドリー・ババートンという村じゃ。ほれ、わしの手を取って」
そう言ってダンブルドアは、ぼくらに左腕を差し出した。
反対側の右腕は黒く萎びていて、何か凶悪な呪いを受けたことが一目で分かる。
ぼくとハリーがダンブルドアの左腕を掴んだ瞬間、景色が反転した。
なんだか懐かしい感覚だ。思えば
一瞬後ぼくらは、小さな広場に立っていた。人気はない。もっとも、深夜だから、という理由はあるだろうが。
ハリーは眉を寄せて耳を擦っていた。『姿くらまし』の感覚が不快だったのだろう。確かに、あの感覚は慣れないとかなり気持ち悪い。具体的には、胃に来る。
「大丈夫かな?」
「大丈夫です……でも、僕は箒の方がいいような気がします」
ハリーらしい言葉だ。
ダンブルドアを先頭に、ぼくらは歩いた。小さな村らしく、教会や宿屋がひっそりと並んでいる。
「ところで、ハリー。君の傷跡じゃが……近頃痛むかな?」
ハリーはパッと額の傷に触れた。
「いいえ……でも、それがおかしいと思っていたんです。ヴォルデモートがまたとても強力になったのだから、しょっちゅう焼けるように痛むと思っていました」
「わしはむしろその逆を考えておったよ。君はこれまでヴォルデモート卿の考えや感情に接近するという経験をしてきたのじゃが、ヴォルデモート卿はやっと、それが危険だということに気付いたのじゃ。どうやら、君に対して『閉心術』を使っているようじゃな」
「なら、僕は文句ありません」
安堵したような声音だった。
「さて、毎年恒例のことじゃが、またしても先生が一人足りない。ここに来たのは、わしの古い同僚を引退生活から引きずり出し、ホグワーツに戻るよう説得するためじゃ」
なら、どうしてぼくらを連れてきたのだろう。同じ疑問を持ったのか、少し首を傾げてハリーが尋ねた。
「僕らはどんな役に立つんですか?」
「君らが何に役立つかは、今に分かるじゃろう。特にアキ、君はの」
一体どういうことだろう?
その疑問はしかし、その通りすぐさま氷解した。
玄関の扉は、上の蝶番が外れてぶら下がっている。
杖に明かりを灯したまま家の中へと入ると、予想通り部屋はぐちゃぐちゃに荒らされていた。
引き倒され中身が露出したグランドファーザークロック、横倒しになり鍵盤がばら撒かれたピアノ。粉々になったシャンデリア。壁には血痕らしきものが飛び散っている。はめ込まれたガラスに大きく蜘蛛の巣が張っているキャビネットは、元は小洒落たものだったのだろう。今は見る影もないが。
幣原秋の両親が死んだ時の家の惨状も、これとよく似たものだったことを思い出してしまい、口元を押さえて息を吐いた。幸いにして、我が兄は気付かなかったようだ。
「先生、争いがあったのでは――その人が連れ去られたのではありませんか?」
ハリーが息を呑みながら尋ねる。しかしダンブルドアの答えは軽かった。
「いや、そうではあるまい」
「では、その人は――?」
「まだそのあたりにいるとな? その通りじゃ」
ダンブルドアはそういうと、横倒しになった肘掛け椅子に杖を突っ込んだ。すると、驚くべきことに椅子が叫んだのだ。
「痛い!」
「こんばんは、ホラス」
ダンブルドアはにこやかに挨拶をする。
肘掛け椅子はみるみる間に、涙目でダンブルドアを睨む太った老人の姿に変わった。彼の姿を見てぼくは、ダンブルドアがぼくらを――ハリー・ポッターを連れてきた理由を悟った。
「そんなに強く杖で突く必要はなかろう、痛かったぞ……なんでバレた?」
「親愛なるホラスよ、本当に死喰い人が尋ねてきていたのなら、家の上に闇の印が出ていたはずじゃ」
「闇の印か、何か足りないと思っていた……まぁよいわ」
ダンブルドアとスラグホーン先生、二人が杖を振ると、瞬く間に部屋の惨状が元通りになった。ホッと胸を撫で下ろす。
ふと、スラグホーン先生の視線がハリーに行った。小さな瞳が大きく見開かれる。
タイミングを見計らったか、ダンブルドアはハリーの肩に手を置いた。
「こちらはハリー・ポッター。ハリー、こちらがわしの古い友人で同僚のホラス・スラグホーンじゃ」
「それじゃあ、その手で私を説得しようと考えたわけだな? いや、答えはノーだよ、アルバス……おや」
首を振った拍子に、スラグホーン先生はぼくを見た。
途端、ハリーを見た以上に大きな衝撃が彼を襲ったようだ。わなわなと口を開いた彼は、怯えたように数歩後ろに下がった。
「な……何故、君が……」
「もう二十年以上昔のことだから忘れてしまったかと危惧しておったんじゃがの」
「アルバス、茶化すんじゃない! この子は――」
「幣原秋、本人じゃよ。もっとも、今はアキ・ポッターと名乗りハリーの双子の弟としてホグワーツに在籍しておるがの」
目で合図され、ぼくはスラグホーン先生に一歩近付いた。
「お久しぶりです、スラグホーン先生。覚えて頂いて嬉しいです。昔よりかは、魔法薬学も上達したんですよ?」
にっこりと微笑むと、それに釣られたかスラグホーン先生も僅かに笑みを零した。
とは言え未だに警戒するような眼差しを送っている。
「後で詳しいことは聞かせてもらうからな、アルバス」
「それはまた、わしと一緒にテーブルを囲む気があると、そういうことかのう?」
「そういうことではない!」
「どうどう。一緒に一杯飲むくらいならどうじゃろうか?」
スラグホーン先生は躊躇ったようだ。しかし無愛想に「よかろう、一杯だけだ」と無表情で言い放つ。
ぼくらは各々椅子に座った。受け取った紅茶を啜りながら、眼前に繰り広げられるダンブルドアとスラグホーン先生の舌戦を眺める。
ハリーは不安げな眼差しで時折ぼくを見ていたが、話がアンブリッジのことになり、スラグホーン先生が「愚かしい女め。元々あいつは好かん」と言い放った折、クスリと笑みを漏らした。
「すみません、ただ――僕もあの人が嫌いでした」
突然、ダンブルドアが立ち上がった。目を輝かせ、スラグホーン先生は「帰るのか?」と尋ねる。
「いや、手水場を拝借したくての」
「ああ……廊下の左手二番目」
明らかに落胆した声音だった。
ダンブルドアが出て行くと、一気に沈黙が訪れる。スラグホーン先生はどうしていいのか分からない素振りをしていたものの、立ち上がって暖炉の側へと近付いた。
「彼がなぜ君を連れてきたか、分からんわけではないぞ」
スラグホーン先生はハリーにそう言った。
「君は父親にそっくりだ。目だけが違う。君の目は――」
「ええ、母の目です」
「うん、いや……教師として勿論依怙贔屓はすべきではないが、しかし彼女は私のお気に入りの一人だった。君の母親のことだがね」
ちらりとスラグホーン先生はぼくを見たが、ぼくと目が合うとすぐさま逸らした。
「リリー・エバンズ……教え子の中でも図抜けた一人だった。生き生きとしてね、魅力的な子だったよ。私の寮に来るべきだったといつも言っていたのだが、そのたびに悪戯っぽく言い返されたものだった」
「どの寮だったのですか?」
「私はスリザリンの寮監だった」
ハリーがぎゅっと眉を寄せる。それを見てスラグホーン先生は言った。
「それそれ、そのことで私を責めるんじゃない! 君は彼女と同じくグリフィンドールなのだろう、普通は家系で決まる。必ずしもそうではないが。シリウス・ブラックの名を聞いたことがあるか? 彼は学校で、君の父親の大親友だった。ブラック家は全員私の寮だったが、シリウスはグリフィンドールだったな……残念だ、能力ある子だったのに。弟のレギュラスは獲得したのだが、出来れば一揃い欲しかった」
ハリーは少し嫌そうに眉を寄せた。蒐集家のような彼の表現が嫌だったのかもしれない。
「君の母親がマグル生まれだと知ったときには信じられなかったね。絶対に純血だと思った、それほど優秀だった」
「僕の友達にもマグル生まれが一人います。しかも学年で一番の女性です」
ハリーが嫌悪を露わに言う。スラグホーン先生はそれに気付いたようだ。
「私が偏見を持っているなどと思ってはいかんぞ! 君の母親は今まで一番気に入った生徒の一人だったと、たった今言ったはずだ……」
そう言いながらスラグホーン先生は、ドレッサーの上に並べられた写真立てを指差した。
「全部昔の生徒だ、サイン入り。バーナバス・カッフは『日刊預言者新聞』の編集長で、毎日のニュースに関する私の解釈に常に関心を持っている。アンブロシウス・フルームはハニーデュークスの菓子を誕生日のたびに送ってくる――私がシセロン・ハーキスに紹介してやったおかげで最初の仕事に就けたからだ! それに――」
「ではそこに、幣原秋の写真も?」
ハリーの言葉にギクリとした。何を言い出すのだ、こいつは。
ギクリとしたのはぼくだけではなく、スラグホーン先生もだったが。しかし尋ねられた手前、無視する訳にもいかないのだろう。ぼくをちらりとまた見ては「待てよ……」と言い、ドレッサーの下の段に入った古びたアルバムを手に取った。
「幣原秋のことをよくご存知のようですが」
「よく、ではない……彼は私の寮生ではなかったし、それに亡くなってからは……」
もごもごと言いながらもアルバムを捲っていたが、落胆したように大きくため息をついた。
「あぁ、彼は写真を撮られることが嫌いなのだった……一枚くらいはあるかと思ったのだが」
少しばかり悔しそうな声だった。こんなぼくに対しても、収集欲はあったらしい。
「それじゃ、この人たちはみんなあなたの居場所を知っていて、いろいろな物を送ってくるのですか?」
スラグホーン先生の顔から笑みが消えた。
「無論違う」
一拍置いて続けた。
「一年間誰とも連絡を取っていない。しかし……賢明な魔法使いは、こういうときに大人しくしているものだ。今このときにホグワーツに職を得るのは、公に『不死鳥の騎士団』への忠誠を表明するに等しい……騎士団員は皆、間違いなくあっぱれで勇敢で、立派な者達だろうが、私個人としてはあの死亡率はいただけない――」
「ホグワーツで教えても『不死鳥の騎士団』に入る必要はありません」
ハリーの口調にはありありと嘲りの色が見えた。
「大多数の先生は団員ではありませんし、それに誰も殺されていません――あぁ、クィレルは別ですが。あんな風にヴォルデモートと組んで仕事をしていたのですから、当然の報いを受けたんです」
スラグホーン先生は身震いをして口を開きかけたが、ハリーは無視して言葉を続けた。
「ダンブルドアが校長でいる限り、教職員は他の大多数の人より安全だと思います。ダンブルドアは、ヴォルデモートが恐れたただ一人の魔法使いのはずです。そうでしょう?」
スラグホーン先生はハリーの言葉を反芻していたようだったが、やがて観念したように呟いた。
「確かに『名前を呼んではいけないあの人』はダンブルドアとは決して戦おうとはしなかった……それに、私が死喰い人に加わらなかった以上、『名前を呼んではいけないあの人』が私を友と見做すとは到底思えない、とも言える……その場合は、私はアルバスともう少し近しい方が安全かもしれん……」
ダンブルドアが部屋に戻ってきたことに、スラグホーン先生は飛び跳ねて驚いていた。
「あぁ、いたのか、アルバス。随分長かったな、腹でも壊したか?」
「いや、マグルの雑誌を読んでいただけじゃ。編み物のパターンが大好きでな。さてハリー、アキ、ホラスのご好意に長々と甘えさせてもろうた。暇する時間じゃ」
ハリーはパッと立ち上がった。ぼくも小さく息を吐いて従う。下手なことは言わないに限る。
「行くのか?」
スラグホーン先生は、明らかに躊躇っている雰囲気だった。
ダンブルドアは「勝算のないものは、見ればそうと分かるものじゃ」と朗らかに言う。
「勝算がない……?」
「さて、ホラス、君が教職を望まんのは残念じゃ。ホグワーツは君が再び戻れば喜んだであろうがのう。我々の安全対策は大いに増強されてはおるが、君の訪問ならいつでも歓迎しましょうぞ。君がそう望むなら、じゃが」
「ああ……まぁ……ご親切にどうも……」
本当に、ダンブルドアは策士だ。老獪な狸だ。
「分かった、分かった。引き受ける!」
追い詰められたように、スラグホーン先生は叫んだ。ダンブルドアは振り返ると、ゆったりと尋ねる。
「引退生活から出てくるのかね?」
「そうだ。馬鹿なことに違いない。しかしそうだ」
「素晴らしいことじゃ。では、ホラス、九月一日にお会いしましょうぞ」
「僕らを連れて来たのは、スラグホーン先生を教職に呼び戻すためですか?」
「今まではの。そしてこれからは違う。もう一件、別の用がある」
来た道を戻りながら、ダンブルドアはあっさりと言った。
「別の用?」
「そうじゃ。そしてこれは、アキ、君にしか出来ないことじゃ」
ぼくにしか出来ないこと? 何だろう、と目を瞬かせる。
果たして、ダンブルドアは。
「最果ての地、日本の、かつての君の住処へ向かおうぞ」
そう、ぼくらに告げたのだった。
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