『一斉突入』の声に、杖を振った。粉々に砕け散る窓ガラス。欠片を避け、開いた窓から家の中へと飛び込んだ。廊下に降り立つ。
「動くな!」
少し離れたところで、声が聞こえた。同じ班の、エリス先輩の声。
しかし敵も、黙って従うはずもない。呪文の閃光が辺りに飛び交う。
死喰い人の黒いマントを頭から被った人物が部屋の中から飛び出してきた。廊下に立つのがぼくだけだと見ると、喚きながら手に持っている杖を振る。難なく呪文を打ち消すと、一歩踏み込んだ。
『武装解除呪文』を掛けると、飛んできた杖を右手で掴む。くるり、指先で回した。先頭の奴はそれで怯むも、もう遅い。
背後にも敵の気配。丁度いい、まとめてやってしまおう。
杖を縦に振り下ろすと、廊下に出てきた二人が、まるで目に見えない大きな手に押し潰されたかのように地に這いつくばった。これで指一本上げられまい。
うつ伏せに倒れるそいつらの背中を、丁寧に踏んづけた。
「ご苦労様」
先ほど死喰い人が出てきた部屋を覗き込むと、途端に禍々しい空気が解き放たれた。思わず顔を顰める。
禍々しさの出処は、部屋の中心に置かれた大きな大鍋だということは間違いない。紫色の煙で部屋が霞んでいる。
大鍋の辺りでも、激しい先頭が行われていた。敵が三人、対する闇祓いは二人。エリス先輩とサッチャー先輩だ。逸れた呪文がこちらに飛んできたのに、盾の呪文を張って凌いだ。
「加勢します!」
「頼む!」
エリス先輩はぼくを見ずに叫んだ。杖先から溢れる光の玉。杖を鋭く敵側に向けると、物凄い速度で光の玉は敵を攻撃しにかかる。二人は光の玉に対応したが、一人は無理だったようだ。
倒れた一人に、敵側の二人は一瞬、助けようか逡巡する。そこを逃す先輩方ではない。『妨害呪文』と『失神呪文』が連続で直撃し、ぐんにゃりと敵はその場に沈み込む。
「助かった、幣原」
ぼくの背を叩いて、サッチャー先輩は大鍋に駆け寄った。資料として保存するのだろう。
少し大鍋の中身が気になったが、ぐい、とエリス先輩に腕を引かれた。まだ、二階で戦っている音が聞こえる。
ぼくらは部屋を出ると、廊下を通って階段へと向かった。その際に、廊下に転がる二人を踏みつけていくことも忘れない。階段を駆け上がる。
この班を率いる班長、リスター先輩は、二人の敵相手に大立ち回りを演じていた。敵の攻撃は絶え間なく、リスター先輩の顔は苦しげに歪んでいる。
エリス先輩と息を合わせ、『盾の呪文』で身を守りながらも飛び込んだ。
息つく暇もなく呪文を打ち合う。魔法式を構築する速さは向こうが上。なら、こちらで対抗出来るのは、魔力の量。
普段は抑えている出力を上げる。しかし少し手加減しながら放った『爆破呪文』に、エリス先輩は勘付いたようだ。
「何に気を遣ってる、幣原! 家か、家の壁は仲間の命より重いのか!!」
「そりゃあ傑作だ、なんとも期待の持てる新人よな!」
エリス先輩、リスター先輩、二人に言われて反省する。
ぼくの強みは、これしかないんだ。それをもったいぶってちゃ、それこそ宝の持ち腐れだ。
「分かりましたよっ!」
息を吐いて、杖を振った。魔力の単位は存在しないが、もしあったとするならば、桁が一つは跳ね上がるだろう。それくらいの出力で呪文を行使する。
杖から膨れた魔力が、指向性を持ち一直線に向かった。そして──轟音が響く。意識を失った死喰い人が二人、崩れ落ちた。手早く、エリス先輩が二人を縛り上げる。
「よくやった!」
強く背中を叩かれ、思わず絶息した。リスター先輩が豪快に笑っている。わしゃわしゃと髪を掻き混ぜるのは止めてもらいたかったが、しかし手放しに褒められるのは嬉しかった。
縛られ、意識のない死喰い人らを『浮遊呪文』で浮かせると、一階へと降りる。
大鍋が置いてある部屋へと行くと、そこにいたサッチャー先輩は、既に薬品の調査を完了させたようだ。班長であるリスター先輩の姿を見ると、パッと姿勢を正す。
「報告を」
「はい。こちらの人的被害はなし。上々ですよ。大鍋の中身のサンプルは採取しました。ガラス瓶を溶かすので、真鍮製の容器に入れています。監察に回せば、より詳しい結果が出るでしょう……」
そこで、淡々と報告を口にしていたサッチャー先輩が言い淀む。
「どうした」とリスター先輩は片眉を上げた。
「簡単な分析器に掛けた結果と、あくまでも自分の勘ではありますが……この炭素とカルシウムの含有量から鑑みて、恐らく煮込まれていたのは人の死体と思われます」
瞬間、空気がピリリとした。ゾクリ、と皮膚が粟立つ。
「──そうか」
「ここ最近に出た行方不明者を、マグルも含めて洗うべきかと」
「ありがとう」
サッチャー先輩が、リスター先輩に数枚の紙切れを手渡した。
「この魔法薬の手順書です」
「よく見つかったな」
「証拠が見つかりすぎて、少し不安な気もしますが」
リスター先輩はその紙に目を通すと、懐に仕舞い込んだ。
「廊下に転がっている奴らも連れてこい」
「あっ、はい!」
言われ、慌てて杖を振った。目視出来ない位置にいたが、このくらいの障害は苦にもならない。
「ひい、ふう……七人か。この部屋に最後までいた奴は、吐かせたか?」
「搾り取れるまで、きっと」
「それならば、その三人をアズカバンに。残りはこちらで。サッチャー、頼んだ」
こくりとサッチャー先輩は頷くと、意識のない死喰い人三人の腕を取り『姿くらまし』した。ぼくらは死喰い人四人と共に、取り残される。
「幣原」
名前を呼ばれて顔を向けると、リスター先輩はぼくに言った。
言葉を飾ることなく、ただ当たり前の事実を語るかのように。
「こいつらを殺せ」
──何を言われたのか、理解が出来なかった。
さぁっと、血の気が引く感覚。
指先がやけに冷たく感じたことを、覚えている。
「リスター先輩!」
エリス先輩が慌てたように、呆然と立ち竦むぼくとリスター先輩の間に割り入った。
「初陣で、しかもこんな真似をさせることはないでしょう!? 幣原の代わりに、私が……っ」
「お前じゃ務まらない、レインウォーター。お前にも分かっているはずだ──いつまでも学生時代と地続きの生温さに浸っている訳にはいかない。……幣原」
名前を呼ばれ、肩が跳ねた。
「闇祓いとして生きていくのならば、覚悟を決めろ。利用される覚悟を」
──そういう、ことか。
そういうこと、だったのか。
「……アズカバンに入れるんじゃ、ないんですか……っ、普通、そうでしょう……」
「アズカバンの看守、吸魂鬼は、現在闇側の手に大多数が落ちた。もはやあそこは、罪人を閉じ込めておくことに役立たん」
「なら……っ」
「分かっているのだろう、幣原。聞き分けのない子供のようなことをいつまでも口走るな」
分かっていた。分かり切っていた。
罪を犯した魔法使いを閉じ込めておく場所は、アズカバン以外に存在しない。アズカバンの看守が寝返ったのならば、いたずらにアズカバンに囚人を増やすことも出来ないだろう。
三年の訓練期間を待たずに、異例にも第一線に投入されたのは、そういうことだったのか。
手のひらを、強く握り締めた。
ぼくの手には余るほどの、膨大な魔力。
その終着点は──ここ、だったのか。
「敵を、殺す覚悟を。この戦争の立役者となる覚悟を。──さもなくば、去れ。弱い奴は、闇祓いこの世界には必要ない」
──今まで使ってきた『覚悟』という言葉は、一体どれだけ軽々しかっただろう。どれだけ空々しいものだっただろう。
覚悟。
顔を上げた。
「やります」
声は、震えていなかっただろうか。分からない。
エリス先輩が、驚いたように、そして少々沈鬱な表情で、ぼくを見ている。
その視線を避けるように、エリス先輩の影から歩み出て、リスター先輩を見上げた。
「……嫌な目だ」
杖を握る左手は、目で見て分かるほどに震えていた。右手で、左手の震えを押し止める。
一年にも満たない訓練期間だったが、それでも『許されざる呪文』の練習はあった。──相手は、人ではなく、ネズミやコウモリといった小動物ではあったものの。
今まで、ぼくに使えない呪文は、一つとしてなかった。昔は、それが誇りであった。
今は。
……あぁ、ぼくは狂おしいほどに、レイブンクロー生なのだ。少数の犠牲を払い、多数の利を得ることが出来る、レイブンクロー生。
目の前に倒れる誰かを見殺しにすれば、よりよい世界があると、そう信じられたならば、躊躇なくその誰かを見放すことが出来る。
だから、ぼくは。
自分の心を殺すことで、平和な世界が手に入るのならば。
杖腕を上げた。抵抗もしない、意識もない『敵』に──杖を、向ける。
今から、ぼくは人間を殺すのだ。
ぼくを裁いてくれる者は、きっと誰一人としていないだろう。司法制度は、ぼくら闇祓いを絶対的に守っている。
だから、せめてぼくだけは。
自分の十字架から、犯した罪から目を逸らすことなく、歩み続けよう。
「──アバダ・ケダブラ」
二度と、日の当たる場所には戻れない。
いいねを押すと一言あとがきが読めます