『全員殺せ』
その声に、一瞬だけ目を伏せ。
「はい」
頷いた。
『行けるな』
「行けます」
スッと息を鋭く吸い込むと、左手を目の高さまで掲げた。指を鳴らす。
途端、眼前に広がる家々が一瞬で、土埃すらも立てずに崩壊した。
『『姿くらまし』対策、完了』
「ありがとうございます」
答える声を乱さぬまま、飛んできた呪文を払った。振り返れば、杖を持った死喰い人が一人、不意打ちが効かなかったことに慌てて逃げていくところだった。
しかし、簡単に敵に背を向けるのは、頂けない。
「ねぇ、今ここにいる君の仲間たちは、全部で何人?」
足元を『凍結呪文』で動けなくさせて、ぼくは歩み寄った。その死喰い人は真っ青な顔で足元の氷を外そうと必死になっていたが、ぼくの呪文がその程度の悪足掻きでどうにかなる訳がない。
「ねぇ」
「い……言うものか」
ふぅん、とぼくは首を傾げた。見ると、案外年若い。ぼくより少し上くらいか。
「お前……幣原秋か」
「おや、知ってたの? ごめんね、ぼくは君のことを全く知らないから。……さて。全身の関節を逆向きにされるのと、『磔の呪文』どっちがいい?」
「お前……お前なんかに」
「出来ないって?」
目を細めて、笑顔を浮かべた。
「生憎だけれど、闇祓いはそんな優しい部署じゃない」
その時、通信が入った。右手で、右耳に止まっているトランシーバーに触れる。
『ここにいるのは三人。全員雑魚だ、幹部クラスは誰もいない』
エリス先輩の声だ。ぼくは小さな声で「了解」と呟くと、トランシーバーから手を外した。
「残念、君を吐かせる手間が省けちゃった」
杖を、彼の心臓に合わせる。
「最後の一言だけ、聞いてあげる」
死喰い人は、ぼくを憎悪の籠った眼差しで睨みつけた。
「……地獄に落ちろ」
「……言われなくても、きっと」
ぼくの行く末なんて、決まり切っている。
二週間前は四人殺した。
十日前は二人殺した。二人、仲間が死んだ。
八日前は四人殺した。
七日前は一人殺した。一人、仲間が死んだ。
五日前は三人殺した。
四日前は三人殺した。
三日前は五人殺した。四人、仲間が死んだ。
二日前は二人殺した。一人、仲間が死んだ。
昨日は四人殺した。
今日は三人殺した。
「……これで地獄に落ちないって方が、どうにかしてる……」
明日は何人殺すのだろう。
明後日は何人殺すのだろう。
明日は何人仲間が死ぬのだろう。
明後日は何人仲間が死ぬのだろう。
考えることは、もう諦めた。
考えたところで、気が狂い何も出来なくなるまでの時間が短くなるだけのことだ。
ただ、両親の復讐のためだけに。
ヴォルデモートを殺すために、今のぼくは生きていた。
ぼくが入った当初の第一班は、この半年で半分の顔ぶれが変わった。
季節は、滑るように冬となった。
どうしてぼくの罪は、誰も裁いてくれないのだろう。
「……またか」
濃い霧の中、ジェームズは舌打ちした。
「また外れか。……どうなっているんだ」
不死鳥の騎士団での任務は、最近失敗続き、外れ続きだった。
今日もそうだ。会合が開かれると言われていた家は、全くのもぬけのからだった。
数年は放置されていただろう空き屋で、ネズミやらクモやらのうじゃうじゃした害虫にわんさか出会っただけだ。余計に疲れてしまった。害虫の類は得意じゃないのだ。家で見つけたら、その後数時間は掃除しないと気が済まない。
「……誰かが、ここの情報を流してるのか」
「その可能性が、残念だけど強くなってきた。……秋、闇祓いの方では?」
「こんな作為的なものは感じられないよ」
「そうか……」
ジェームズは眉を寄せて目を伏せた。
「ねぇ秋。じゃあ、このことは気付いてる?」
「何が?」
帰路、ふとジェームズは足を止めてぼくをまっすぐに見つめた。
「空振りの任務の時は、僕ら……僕と君、それにシリウス、リーマス、ピーターの誰かが、必ずメンバーに加わっている」
それは、どういう。
「……後で確かめてみてくれ。でもあくまでも、誰にも悟られないで」
「誰にもって……シリウスやリーマスやピーターにも?」
「そうだ」
ジェームズの声は、はっきりとしていた。
それは、つまり、ぼくらの中の誰かが──ジェームズはそれを疑っている、ということなのか。
「…………」
口を開きかけ、すぐに閉じた。
こちらでも──こちらでも。
ぼくらの友情は、歪みを見せ始めた。
◇ ◆ ◇
「お前、聞かないのな」
人気が一切ないノクターン横丁を歩きながら、アリスはふとぼくに言った。
「何を?」
「お嬢サマの現状について。普通自分の彼女が他の男の家で寝泊まりしてると知ったら、もう少し焦って色々聞く気がするけれど」
「君を信用しているのさ、アリス。君に、ぼくから彼女を寝取るような甲斐性はないって思っているから」
「よーし、杖を捨てろ、拳を握れ」
「褒めたつもりなんだけど!?」
ダイアゴン横丁に戻るとすぐさま、アリスはサングラスを掛けた屈強なスーツ姿の男性三人に引っ捕らえられた。
大袈裟かと思うだろうが、事実そんな感じだったから仕方がない。途中「リィフさんに殺されるだろ! これ以上減給食らってたまるかクソガキ大人しくしやがれ!」という悲痛な叫び声が聞こえた気がした。気のせいだと思いたい。
とはいえ。
アリスやハグリッドと別れて、ぼくとハリー、それにロンやハーマイオニー、ジニーとモリーおばさんは、非魔法界にある一台のバスへと乗り込んだ。
行き先は、ロンドン市街。
聖マンゴ魔法疾患障害病院だ。
ロビーで簡単な受付を済ませた後、ぼくら一行は『隔離病棟』へと向かった。
夏休みだからか、長期療養者が集うこの病棟も賑やかだ。ぼくらのすぐ脇を、入院着を着た少年が兄らしき人の手を取り楽しそうに駆けて行った。
思わず、と言った調子で、ハリーは彼らを振り返る。
ぼくは、振り返らなかった。
白い扉を開けると、シンとした静寂が出迎えた。モリーおばさんが窓を開けると、ふわりと風が舞い込む。
重苦しい真っ白のカーテンが膨らみ、端がはためいた。窓枠に置かれている鮮やかな黄色の花だけが、このモノクロームに染まった世界の中で、色がある。
シリウスは、以前に見た姿と全く変わらずにただ、眠っていた──眠っている、ようだった。
ぼくらの誰もが、痛い傷口から目を背けるかのような沈鬱な表情を浮かべていた。
そのことに気付き、ぼくは考える。
ぼくは責任を取らなければならない。
シリウスを生かし、この世に留めた責任を。
「…………」
眠るシリウスに歩み寄ると、ハリー達がぼくの表情を窺うことが出来る角度で、シリウスに微笑んだ。
「生きていてくれてありがとう、シリウス」
ハッと鋭く息を呑んだのは、一体誰だったか。無視して、シリウスの顔をそっと撫でる。
「君は今まで沢山頑張ったよ。だから、好きなだけゆっくり休みな。あ、でもあんまり休み過ぎたら、皆待ちくたびれちゃうからね。気付いたら一人置き去り、なんて嫌でしょ? ……仲間外れは大嫌いだったもんね、君」
ぼくの一挙一動を、ハリー達は固唾を飲んでみている。
全てを見られていることに、ぼくは酷く自覚的だった。
「だから、早く目を覚ましなよ」
優しく、慈愛に満ち溢れた言葉を掛ける。
ハリーにも、誰にも、この内面は読み取らせない。言葉にも表情にも、幾重にベールを巻きつけて。
ぼくは『幣原秋』を演じる。
「……シリウス、おじさん」
泣き出しそうな声が、空気を震わせた。眼鏡の奥でハリーの瞳が、ふるりと揺れる。
ベッドに歩み寄ったハリーは、リノリウムの床に膝を付くと、囁いた。
「……もう一回、話をしたいよ。次に目を覚ましたら、今度こそ一緒に住もう……父さんと母さんの話を、聞きたいよ……」
項垂れた肩が震える。ロンとハーマイオニーが、ハリーに駆け寄った。
その姿を見て、ぼくはシリウスから数歩離れる。
振り返ると、心配そうな眼差しでぼくを見つめるモリーおばさんと目が合った。彼女を誤魔化すのは難しいが、誤解の矛先を示唆することはそれよりも容易い。
儚げに微笑みを滲ませると、瞳を揺蕩わせ「お手洗いに」と囁いた。軽く目頭を押さえると、それだけで彼女はぼくが涙を拭いに行くものだと思ってくれたようだ。
廊下へと出ると、辺りを見回した。少し離れたところで、子供の入院患者と楽しげに笑っている女性の看護士さんを見つけ、駆け寄る。
足音に看護士さんは顔を向けると、笑っていた表情を一変させ「こら」とぼくを叱った。
「病院内は走ったらダメでしょう」
「ご、ごめんなさい……」
実年齢よりも若く見られる童顔に、女子にも間違えられる容姿、それを最大限に利用する。
シュンと顔を俯かせたぼくに、看護士さんは気にかけるように軽く腰を屈めた。
「どうしたの?」
「……ライ・シュレディンガーって先生を探してるんです。本日はいらっしゃいますか?」
看護士さんは首を傾げると「ちょっと待ってね」と言って、ポケットから手帳を取り出し確認する。
「残念だけど、今日はお休みみたいね」
「あー……そうですか」
そんなにぼくの運はよくないらしい。まぁそもそも、昔から運の良さを感じたことはほとんどない。むしろ不運な目にばかり遭っている気がする。
はぁ、と肩を落とした。
「あ、でも、今日は日曜でしょう? なら、いつもの場所にいるかもしれないわ」
「いつもの場所?」
看護士さんの言葉に目を瞬かせる。
看護士さんは可愛らしく片目を瞑ったが、その表情には少しだけ沈鬱そうな表情が見え隠れしていた。
看護士さんの言う『いつもの場所』に、ライ先輩はいた。
『いつもの場所』──隔離病棟『ヤヌス・シッキー病棟』六階の角部屋。重苦しくカーテンが引かれた部屋の中、ライ先輩はいた。
声を掛けるのを躊躇したのは、ここがどういう病室なのかが分かったからだ。病室の前に掛けられている三人の名前は、誰もが苗字に『シュレディンガー』とついていた。
──彼らが、ヴォルデモートがライ先輩を排除しようとしてライ先輩に嵌めた『枷』。三十年前から頑として在り続ける足枷。
……この枷は、確かに。
重い、なぁ。
「……アキ」
ライ先輩がふとこちらを振り返った。立ち上がって、病室の扉を開ける。入れ、ということなのか。
躊躇しつつも、薄暗い病室に足を踏み入れた。
ベッドが三床。寝かせられている人の姿形までは、暗くて伺えない。
情けなくも、少しホッとした。良かった、とまで思ってしまった。
「申し訳なく思う必要はない」
こちらを見もせず、ライ先輩は呟いた。
ぼくに対して椅子を勧めると、少し離れた位置で自分も腰掛ける。照明のせいか、少し離れただけなのに、格段に表情を読むことが難しくなった。元々この人は、表情に乏しいのだし。
「……シリウスの容体を聞きに来たのか。以前と全く変わらない。悪化してもいないが、良くなってもいない。身体の臓器や機能に一切の損傷はない。ただ魂だけが、帰ってきていない」
そこでライ先輩はチラリと三つのベッドに目を向けた、ようにも思えた。
「……研究所では、どういうことをされているんですか?」
「大体は呪文による脳機能の障害についてを扱っている。忘却術により改竄された記憶の元データを取ったり、服従の呪文がどの程度他人を害すか調べたり。……磔の呪文が元での発狂は、また少し違ってくるが」
「……ネビルのお父さんとお母さん、ですね」
ライ先輩は静かに首肯する。
「……知っての通りだろうが、ダンブルドアと不死鳥の騎士団が、この聖マンゴに相当の守護呪文を重ね掛けした。シリウスの寝首をかく奴らの心配は、あまりしなくていい」
「……それは」
少しだけ安心する。もう身の回りで、誰かが死ぬのは御免だ。
「……ところで、リーマスを知っているだろう」
「リーマス? そりゃ、まぁ……」
いきなりの名前に目を瞠った。トンクスといいライ先輩といい、一体どうしたのだ。
「彼がよく、シリウスの病室に訪れるのは知っているか」
「まぁ、予想は出来ていましたが」
そりゃあそうだろう。何年来の友人だと思っている……途中で色々あったりはしたが。
ライ先輩はしばらく黙りこんだ。やっと出てきた言葉は、少し不思議なものだった。
「リーマスは追い詰められている」
何に? どうして? 脳内に疑問符が湧き上がるも、ひとまずは話を聞こうと口を噤んだ。
「俺は……話をするのが下手くそだから。話がよく分からなかったら、すまない。だけど、今のリーマスは凄く、不安定だ。……それも仕方ないのかもしれない、けど、でも」
少し乱暴な仕草で、ライ先輩は髪を掻き毟った。軽く頭を振ると、光の灯った瞳で虚空を見つめる。
「……そのリーマスに、この世でただ一人、お前だけが寄り添える、のだと思う」
「……リーマスは、何に対して追い詰められているんですか?」
ぼくに対してそんなことを言うのなら、ライ先輩は分かっているはずだ。人の考えていることが分かってしまう能力を持つ、この人ならば。リーマスの悩みも憂いも、全て分かった上で、こうして話しているのだろうから。
しかしぼくの質問に、ライ先輩はゆるりと首を振った。
「……これ以上は俺が口を出す部分じゃない、から」
……それもそうか。
「……妙なことを言ったな。俺はお前と違って、思っていることを上手く口に出来ない。混乱させたなら、すまない」
「い、いえ……」
ライ先輩がわざわざこうして伝えてくるということは、重要なことなのだろう。魔法魔術大会の際、幣原に対して忠告めいた言葉を口にしたのと同じで。
同じ、なのだとしたら。
リーマスは一体、どうしたのだろう。
何を思い悩み、憂いているのだというのだろう。
「…………」
思い至ることは、ある。
せっかく誤解が溶けたばかりのシリウスの、早すぎる離脱。これが、リーマスの心に深い影を落としていることは想像に難くない。
──幣原。
君なら何か、知っているのだろうか。
ぼくの知らない、リーマスのことを。
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