はぁ、とぼくは目を瞠って息をついた。
ジェームズとリリーの子供が誕生したとの報告を受け、我ながら驚くべき速度で仕事を済ませ『姿くらまし』した。リリーの入院している聖マンゴにはもう既にかつての悪戯仕掛人が全員集合していて、皆が皆輝く瞳で、小さなベビーベッドの中の赤ん坊を見つめていた。
「ハリー。ハリー・ポッターって名前にしたの」
リリーがふわりと微笑む。
「……ハリー」
「うん。……ハリー・ジェームズ・ポッター。私たちの、希望」
抱っこしてみる? と尋ねられ、慌てた。こんなふにゃふにゃしていて壊れそうなものなんて抱き上げられる訳がない。
しかしリリーがぼくの話を聞かないのは、いつものことだった。ベビーベッドから手早くハリーを抱き上げると、そうっと受け渡してくる。
弟も妹もいない、一人っ子のぼくにとって、子供、しかも赤ん坊というのは全く見慣れない、全く接点のない存在だった。触れた経験なんて今まで一度もない。
両手に抱えたハリーは、凄く小さくて、それでいて暖かくて、リリーが『希望』と呼ぶのも当たり前だと思った。
無条件で愛される存在。真っ白で穢れを何も背負っていない存在。そんな存在の近くにいるだけで、こちらも思わず笑顔が零れる。
「髪の毛は明らかにジェームズ似だな」
シリウスの声だ。それにジェームズが答える。
「あぁ。でも、瞳だけはね……」
ふと、ハリーが目を開けた。ハリーの瞳に、目が吸い寄せられた。
「……リリーの目だ」
綺麗な綺麗な、深い緑色。
鮮やかな緑の瞳を持って生まれてきた、小さな子供。
ハリーは、大きな目をぱちりと瞬かせると、なんとも機嫌が良さそうに笑った。
その笑顔に、胸を打たれた。
「……可愛い、なぁ」
リーマスとシリウスが、にやりと笑ってぼくの頭やら背中やらを撫でる。
どうしてだか、涙が零れそうになった。
◇ ◆ ◇
「……は?」
投げられた言葉を上手くキャッチ出来ず、ぼくはただ間抜けな声を漏らした。
深夜の外出は禁止されているが、明け方の外出は禁止されていない。そしてぼくと、目の前に立っている、御年百は下らないお爺さん、アルバス・ダンブルドアもまた、朝には滅法強かった。
朝の五時に、ぐっすり眠る同室メンバーを横目に訪れた校長室は、早朝のささやかな光で満ちていた。大きな机の上に置かれたプリズムは、光を通し虹色の影を落としている。
「……ご冗談、でしょう?」
喉から零れた声は、僅かに上擦っていた。それに対する返答は、憎たらしいほどに落ち着いていた。
「わしは本気じゃよ、アキ」
「……いや、信じられない。そんな……」
先ほど言われた言葉を、そっと復唱する。
「『全校生徒の願いを叶えろ』なんて……」
途方もなさすぎる。一体このホグワーツに、何人いると思っているのか。千人は下らないぞ。
「千と、二百五十九人じゃ。君の分を除けば、千二百五十八人。この全員の願いを叶えてもらう」
「……早朝に呼び出して、一体何かと思えば……寝言ならベッドで言ってください」
「君に心配されずとも、頭はばっちし正常じゃよ。……はてさて、君はついこの前、自分が言ったことを覚えておるかのう? 君は確かにここで、『君の意思を無視する任務を突きつけても、やり通すと誓うか?』という問いかけにイエスと答えたのじゃ」
……覚えている。夏休みに入る前、確かにぼくはここで、ダンブルドアに乞い願った。
もう、誰一人失いたくないと。
「……確かその時は『それが、誰かを守るためであるのなら』と答えたと思うんですがねぇ……」
ぼくの言葉を、ダンブルドアは飄々と受け流した。
ダンブルドアが指を振ると、羊皮紙が一巻きこちらに飛んできた。手に取り確かめると、そこには名前がずらっと書き記され、それぞれの名前の隣には所属寮と学年が書いてある。ざっと見ても、千はあるだろう。ということは、これが全校生徒の名簿なのか。
「君が願いを叶えた者の名前は、この名簿から消えることになる。この羊皮紙が真っ白になった時、きっと君の願いも叶うじゃろう」
「……いつまでにやり遂げればいいんです?」
「君が学校にいるまで、じゃ」
となると、あと二年。たったの二年だ、長期休みやらを省くと、残り日数はあと六百日と少し。
最悪でも、一日に二人は消化していかないと間に合わない。
「あと、わしからの任務じゃと本当のことを話していいのは、そうじゃの……五人までとしよう。あまり任務の難易度を落とすのは好ましくないのでな」
「ただでさえ超弩級の難易度なんで、少しくらい手心加えてくれても……はぁ、はい、分かりました。やればいいんでしょう」
「聞き分けの良い子で助かる」
にっこりとダンブルドアは微笑んだ。
しかし、そうと決まればボヤボヤしてはいられない。
ぼくがホグワーツにいる間にこの任務を達成しなくちゃいけないのだとしても、七年生は一年足らずでいなくなってしまう。それに年度が変われば、今度は新一年生がやってくるのだ。名簿に載っている名前が増えるかは分からないが……いや、きっと増えるのだろう。ダンブルドアはそういう人だ。
足早にその場を立ち去りかけ、ふと足を止めた。
ダンブルドアを振り返る。
「ところで、なんですけど……なんでこんなことをさせるんですか?」
「何、君の選択科目を見せてもらったが、かつて習ったものばかりで退屈じゃろうと思ってな。日常にささやかなスパイスを投入してやろうという爺心じゃよ」
思わず目を細めた。ささやか、どころじゃないぞ。この任務はこの先のぼくの学生生活を思いっきり振り回す、そういう類のものだというのに。
ダンブルドアは続けた。
「そして、じゃ。君の疑問に対する答えは、きっと未来の君が知っておる」
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