「──突入を」
まだ真新しい『闇の印』が浮かんだ家の前で、ぼくは静かに呟いた。了承の声を確かめて、トランシーバーから手を離す。
侵入者避けの呪文は、既に全て解除してある。玄関の扉を開け、ぼくは歩みを進めた。
リビングで、一人の男性が事切れている。恐らくは、ここの家主だろう。僅かに歩く速度が遅くなったことに気付き、足早に歩き去る。
死者に構う暇はない。それよりも眼前の敵こそ、どうにかしなければ。死者に構うのは、その後でも遅くない。
『二階です、幣原さん!』
「分かった」
トランシーバーから聞こえる報告に短い言葉を返して、階段を探した。駆け上がる。
ドアを開けた瞬間、血飛沫が視界を覆った。
見るも無残な肉塊となったモノが、どっと音を立てて倒れる。顔があった部分で見分けることは出来なかったが、身に纏う制服を見る限り、一斑に先週配属されたばかりの後輩だろうことが分かった。
年齢はぼくより上だが、後輩だ。目に見えぬ階級も、ぼくの方が上。戦争中じゃ、褒美なんて名誉くらいしか与えられないのだし、仕方がない。
部屋の奥には、下で見た家主の奥さんらしき人が、幼い子供を抱きしめて青い顔で震えていた。
生きていたのか。
あの後輩は、自分の命に代えて、この二人を守ることが出来たのか。
ぼくの姿を見た死喰い人三人が「幣原だ!」と鋭い叫び声を上げた。
ぼくの顔も、よく知れ渡っているようだ。写真でもあるのだろうか。最近撮られた記憶はないのだけれど。
捕縛しようと杖を上げるも、向こうの方が早かった。一瞬後、細かな瓦礫と化した壁や屋根が、こちらに襲い掛かる。
ぼくはいいが、奥さんと子供を庇うのに一テンポ遅れた。その僅かな隙を縫って、三人が窓から飛び降りる。
逃すものか。瓦礫を踏み越え、窓があったらしき場所から飛び降りる。空気抵抗を上げ着地の衝撃を和らげると、駆け出した。三人組の姿を探す。
夜中で黒いフードを被ってはいたが、今日は満月だ、月明かりが味方をしてくれる。
殺すか捕らえるかしなければ。向こうの戦力を削がないと、今度は闇祓いの誰かが、あるいは罪のない一般人の誰かが、殺される。
──見つけた。『姿くらまし』が出来ない魔法は、あの家から周囲三百メートルを目安に張り巡らせている。それよりもギリギリ近い、捕まえられる。
しかし、向こうもぼくの姿に気付いたのは同じようだった。背を向け駆け出す。
ぼくは体力はないが、走る速度は決して遅くはない。風の力も利用しているし、追いつける。
走りながらも杖を構えた。照準がブレるのを、せめて範囲を狭めようと右手で左手を支える。
「フリペンド!」
しかしぼくが放った攻撃呪文は、一番後ろの死喰い人をギリギリで逸れた。
慌てたのか、死喰い人がぼくを振り返る。その弾みにフードが脱げ、顔が月明かりに照らされた。
心臓が止まるかと思った。
息を呑む。
見間違えようもない、彼は。
ぼくの友人であった、彼は。
セブルス・スネイプ。
ぼくの、親友。
「────っ」
ぼくは、追撃することが出来なかった。
バチンと音を立て、三人はぼくの目の前で『姿くらまし』する。魔法が効く範囲から、既に出ていたのか。
「…………クソッ」
なんたる失態。こちらの被害だけを出して、向こうに一人すら欠けさせることが出来ないとは。
なんたる無様。『黒衣の天才』が、聞いて呆れる。
震える手で、顔を覆った。
このどうしようもない気持ちの矛先は、一体どこに向ければいいのだろう。
◇ ◆ ◇
「何? この『依頼文』。君が悪戯でやったの? それとも君の名前を使った悪意ある誰かのもの? 後者だとしたらちょいと待ってね、軽い食前の運動をしてくるから」
そうにっこり笑顔で言い放ったのは、誰あろう親愛なる我が兄、ハリー・ポッター。
レイブンクローの朝食の席に顔を出したのは、ハリーだけではなく、ロンとハーマイオニーも一緒だった。ハリーの手には、ぼくが今日の明け方にパパッと作ってグリフィンドール寮に忍び込み、談話室の掲示板に貼ったチラシが握られている。
「似たようなこと、ついさっき俺も尋ねたな」と、正面に座っていたアリスがトースト片手に呟いた。「そうなの?」とロンが尋ねるのに、アリスは鷹揚に首肯する。
この二人は、初めて会った時に比べると格段に仲良くなったなぁ。アリスのことすっごい怖がってたもん、ロン。
「悪戯じゃないよ。もちろんぼくの名前を騙った誰かでもない。……えーっと」
そこで口ごもった。
ダンブルドアは確か、五人までなら話していいと言っていたな。さっきアリスに話して、ハリーにロンにハーマイオニー、それに……あと一人はやっぱりアクアかな。それで五人、か。
絶対見計らって「五人」って指定したんだろ、あの人。本当に食えない。
ぼくの話を聞いた三人は、揃って妙な表情をした。
「どうしてダンブルドアは、君にそんなことを?」
「さぁてね……なんでだろ。とまぁ、そういうことで、ぼくは皆の願いを叶えなくちゃいけなくなったからさ、周りに宣伝しといてよ」
「そう言えばハリーも、ダンブルドアと個人授業を受けることになったのよね?」
「あっ、うん、そうだった。今週土曜からなんだって。一体何をするんだろう?」
ハリーが首を傾げる。ぼくだってよく分からない。
「君に妙な依頼をして、僕に個人授業をして……なんか今年のダンブルドア、いろいろ忙しいね」
「うーん、そうだね……あ、そうだ。君らの願いをもう聞いておこうかな。何か『願い』ってある?」
ロンとハーマイオニーは揃って首を傾げた。
ハリーは腕を組むと軽く肩を竦め「アキ、そこのリンゴ一切れもらっていい?」と尋ねる。
フォークを手に取ると、大皿に入ったリンゴを突き刺し、ハリーに「はい」と手渡した。受け取りながら、ハリーはにっこり笑う。
「はい、僕の願い、終了」
「……え?」
思わず目を瞬かせた。慌てて名簿を確認すると、『ハリー・ポッター』と名前が載っている部分が発光し、やがて吸い込まれるように消える。
「……それでいいの?」
「いいのいいの」
朗らかに笑うハリーに、敵わないな、と息を吐いた。
その時「そうだ!」とロンが声を上げる。
「アキ、それなら僕の『変身術』のレポートをやってくれよ!」
「ダメに決まってるでしょ! 宿題は自分でやるものよ!」
ロンを厳しく叱りつけたのはハーマイオニーだ。それに対しロンが言い返し、夫婦漫才じみた光景を繰り広げる。
「アリスは何か願いってないの?」
尋ねると、んー、とアリスは首を捻った。
「パッと思い付かねぇや。また今度でいいか?」
「ま、アリスならいつでもいいや」
「……なんだその投げやりな感じ」
アリスは小さく息をつくと「後でお嬢サマにもちゃんと伝えておくんだぞ」と釘を刺した。
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