セブルス・スネイプは愕然とした。
たまたま張り込んでいた『ホッグズ・ヘッド』、ダンブルドアの姿を見かけて聞き耳を立てた先には、思わぬ拾い物があった。
『予言』。闇の帝王を滅ぼす者が、この七月末に生まれるという予言。
残念ながら、最後まで予言の内容を聞くことが出来ないまま、セブルスはその場から摘み出されてしまったのだが──ともあれ、前半部分だけでも、何よりの収穫だろう。
そう意気揚々と闇の帝王の居城へと向かい、片膝をついて報告したのがつい先刻。
そこで聞いた驚くべきことに、先ほどまでの気分は吹き飛んだ。
「し、失礼ながら申し上げます!」
声が裏返る。じっとりと首筋に汗が滲むのが分かった。
闇の帝王が、緩慢にセブルスを見つめる。赤い瞳に射竦められ、目を逸らしたい衝動に駆られながらも言葉を紡いだ。
「性急、ではございませんか。予言では何も『今年の』とは申しておりません……来年かもしれない、再来年かもしれないのです。それを、それを、何も──何も、ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターの息子だと、断定するのは早すぎます」
「断定はしておらぬ、セブルス。他にももう一人上げただろう。フランク・ロングボトムと、アリス・ロングボトムの息子。彼らもまた、俺様に三度抗い、今もなお生きている者共よ」
「ですが!」
「セブルス。はっきりと申すのだ、貴様自身で。貴様には立派な口があるだろう?」
クスクスと闇の帝王は笑い声を漏らした。底冷えのする笑みに、セブルスは身震いをする。
闇の帝王の前では、隠し事は無意味だ。何より素晴らしい『開心術師』である闇の帝王に立ち向かえるほど心の強い者は、そういない。
迷いながらも、セブルスは口を開いた。自分の心の下劣な部分を、闇の帝王の前につまびらかにする。
「わ、私──私は、どうか、お願い致します。どうか、あの人だけは──リリー・ポッターだけは、殺さないでください」
床に額を擦り付けた。這い蹲るように乞い願う。
「彼女だけは、殺さないでください──ご主人様、あなた様の敵となると『予言』されたのは、彼女の息子ただ一人です。息子のことは──私は何も言いません。あなた様の邪魔になることは一切致しません。ですが、あの人だけは──どうか」
物凄く冷めた瞳で、闇の帝王は自分を見つめているのだろう。そんなことを、セブルスは思った。
想像通り、機嫌を損ねた声が上から降ってきた。
「……詰まらん。貴様も愛だの恋だの抜かす口か」
地を這う低音に、背筋が凍る。
「愛する者がいることが、そんなに偉いのか。愛を知らないことは、そんなにも見下されなければならないものか──ふざけるな。ダンブルドアも──直、お前も」
直。
その名前には、聞き覚えがあった。
フルネーム、幣原直。幣原秋の父親で──闇の帝王と何かしら因縁のある、故人。
ことあるごとに、闇の帝王は彼の名前を呟いては虚空を睨みつける。
闇の帝王自身が彼の命を刈り取ったというのに、今も尚、彼と張り合うように。
「──いいだろう。リリー・ポッターと言ったか。善処はする──まぁ、余計なことをしたのなら、その時は容赦はしないが」
「あ──ありがとうございます」
深く、深く。セブルスは頭を下げた。
◇ ◆ ◇
初めての──いやまぁ本当は初めてではないのだが、便宜上初めての──スラグホーン先生が教鞭を取る魔法薬学の授業がやってきた。
本日調合するのは『生ける屍の水薬』で、うまく調合出来たものにはフェリックス・フェリシス──幸運の液体をプレゼントするのだと言う。それに誰もが、目の色が変わった。
飲むだけで幸運になれる薬。どれほど魅力的だろう。
スラグホーン先生の「始め」の合図で、皆が一斉に動き出した。
大鍋を引き寄せ、材料を手元に揃え、秤を調整する。誰もが真剣に教科書に向き合っているのが、なんだか微笑ましかった。
いや、しかし何だか懐かしい気分だ。
幣原はよく、この薬を同期のリオンによく調合してもらっていたっけ。
眠り薬として抜群の効能を誇るから、眠れない時には凄く重宝した。文句を言いながらもなんだかんだで作ってくれるリオンは、本当にありがたくって──
カノコソウの根を刻んでいた手が、止まった。
本当にいきなりの変化だった。
ナイフが左手から滑り落ち、カランと音を立てる。その音に、隣にいたアリスは顔を上げると、瞬間作業を放り出して近付いてきた。ナイフを拾い上げると、ぼくの顔を覗き込む。
「……おい、大丈夫か?」
皆の集中を妨げぬよう、小さな声だった。
大丈夫、と言おうとした喉が張り付く。
頭が痛い。目を開けていられないほどの痛みが、高波となって襲ってきた。
目も眩む閃光に、思わず手で顔を覆う。
微かに、何かが聞こえる。ぼやける視界が何かを映す。
人だ。顔は分からない。
ぼくは、その人物に杖を掲げていて──
いや、違う。その人物はぼくの腕を掴んで、自分の左胸に杖を押し当てさせている。
『許さない』
『許さない』
『許さない』
微かな音が、意味をなす文字列として脳に認識される。鼓膜を通さず、脳に直接送り込まれる。
目の前の人物の口元が、緩く弧を描いた。
聞きたくないのに、聞こえてしまう。
その言葉は──
「アキ!」
至近距離で叫ばれた言葉に、我に返った。
魔法薬学の教室は、先ほどまでとは違った意味で静まり返っていた。誰もが手元の作業を止め、ぼくとアリスを唖然とした表情で見つめている。
スラグホーン先生は呆気に取られた顔をしていたが「一体どうしたのかね?」と小さな目を瞬かせてわたわたと駆け寄ってきた。
「……すいません。体調が優れないので、保健室に行ってきていいですか」
ぼくの言葉にスラグホーン先生は目を泳がせながらも「……行っておいで」と優しく微笑む。
こくりと頷いて、ぼくは立ち上がった。
「……ついてかなくて、大丈夫か?」
「大丈夫。気にしないで」
教室を横切って出口まで行くぼくを、クラス中が固唾を飲んで見守っている。
その中に、不安げな眼差しでこちらを見つめるアクアの姿が目に入った。大丈夫、と笑ってみせる。
教室を出て、耐え切れずに座り込んだ。冷たい壁と床が、体温を奪って行く。
「……やってられない」
一日ごとに、その身に抱える十字架が増えていく。
こんな追体験を、誰が望むものか。
「…………」
秋。
君の罪は──ぼくらの罪は。
どうやったら贖えるのだろう。
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