「幣原」
机の上のマグカップが取られ、コーヒーを注がれて返ってきた。そのことに我に返って時計を見る。気付けば三時間、書類に埋もれていた。
「あ――ありがとうございます、エリス先輩」
エリス先輩はぼくを見てにっこりと微笑んだ。頬は真っ白のガーゼで覆われている。怪我でもしたのかと思いながらも、聞けるような雰囲気ではない。
先輩は椅子に腰掛けると、左手でカップの持ち手を掴み口に運んだ。
「少しは、息を抜かないと」
「はは……さすが、凄いですね、先輩は」
ぼくよりももっと多い仕事を抱えているのにも関わらず、ぼくを気遣ってくれるのだから。本当に凄い人だ。
「凄くないよ、私はね」
謙虚に先輩は笑ってみせる。つられて、ぼくも笑った。
「もうすぐ、君の同期だった二人の研修期間が終わる。誰が欲しいかは、大体班長が話し合って決めるのだけれど……君が望むなら、その二人を第一班に迎え入れても構わないよ」
「あぁ……」
同期。リオンとヴィッガーの姿を、脳裏に思い浮かべた。ほんの二年前なのに、随分と昔のように感じる。そうか、あの二人が。
「どっちでも……構わないですよ。そりゃあ、また一緒にいられるってのは嬉しいですけど、仕事だし。……うちの班は特に、戦場の第一線だし」
ただでさえ高い闇祓いの死亡率、その中でも第一班は五本の指に入るだろう、残念なことに。その分、成果もダントツではあるが――人の命には何物も比べられない。
ぼくが言うな、の話だろうか。
視線を落とした先で、エリス先輩の右手が目に入った。使い込まれた黒の革手袋、それの甲の部分が、一文字に切り裂かれている。裂かれた手袋の間からは、白い包帯が巻かれているのが見えた。
「先輩、手……」
どうかしたんですか、と言いかけながら、先輩の右手に手を伸ばした瞬間、バッとエリス先輩に払われた。あまりに素早い動きで、思わず目を瞠る。
「気にしない。怪我くらい日常さ、皆隠して生きている」
「……それは」
確かにその通りだった。怪我していない者の方が少ない。今までで、一切怪我を負っていない者なんて――ぼく、くらいのものだ。
恐ろしいまでの、この魔力。何人をも連続で殺傷しても尚衰えないこの魔力は――しかしぼくを一切傷つけない。
「…………」
杖腕を怪我して大丈夫なのか、という言葉を、飲み込んだ。
ぼくが心配しても仕方がないものだ。ぼくがどうにか出来る問題ではないのだから。
ぼくが出来ることはただ、一人でも多くの敵を倒すこと。
ただ、それだけだった。
それだけしか、ないのだった。
◇ ◆ ◇
暖かい毛布の中、目を覚ました時は、辺りはまだまだ暗かった。誰もが寝静まり、シンとした寮の中は、昼間のざわめきこそが夢だったのではないかとまで思う。
ナイトスタンド上の腕時計に手を伸ばすと、僅かな光を頼りに文字盤に目を凝らした。深夜三時半。腕時計片手に身を起こすと、髪をガシガシと掻き――ふと、淡い光に目を遣った。
光の原因は、トム・リドルだった。
輪郭は淡く発光しており、この世の者ではないことが如実に分かる。机に備え付いている椅子に浅く腰掛け、足を組んで背中を丸めては、膝に乗せた本をパラリパラリと捲っていた。あの手織りのブックカバーは、ぼくが梓さんから受け取った、幣原直が書いたとされる本だ。
声を掛けようとした瞬間――見間違いかと思った。絵画の人物のように儚く美しい彼の頬を、一滴の水がつうっと伝ったのだ。薄い唇が僅かに動き、何かの言葉を形作る。思わず息を止め、固唾を呑んでリドルを見つめた。
「……リド、ル」
小さな声で名前を呼び掛け、慌てて杖を掴んだ。防音呪文と目くらまし呪文を二重に掛けると、カーテンで区切られたぼくのスペースに、青白い幾何学模様が浮かび上がり、やがて空間に定着するように消える。息を吐いて、リドルに目を向けた。
「やぁ、アキ。珍しいね、君がこんな時間に」
先ほどの涙はどこへやら、普段通りの美しい微笑みを浮かべて、リドルは僅かに首を傾げた。
「……目が覚めちゃった。リドルは一体、どうしたの」
「んー、バレちゃったから言うけど、実はこうして夜な夜な君が寝ている時に現れては、この本に目を通していたんだよ。僕が、ずっと欲していた本だったからね」
リドルは膝の上の本を軽く持ち上げてみせた。そう言えば、五年生の終わりに、そんなことも言っていたっけ。『日本魔術の書物を読みたい』――あの本が一概に『日本魔術の書物』とは言い切れないけど、なるほどリドルが欲していたのはこの本だったのか。
幣原直が、書いた本、だったのか。
「……何が書いてあるか、分かるの?」
「時間と人並みの検索能力さえあれば、誰にだって分かるよ。幸いにして、僕はどちらも備わっているからね」
「はは……人並みというか、君は人並み外れた能力を持っているじゃない」
まぁね、と謙遜すらせずにリドルは頷くと、本の表紙を撫でた。随分と、優しい手つきだった。
「アキ。『デウス・エクス・マキナ』って言葉、知ってる?」
唐突な言葉だった。戸惑いながらも首肯する。
「『機械仕掛けの神』――物語における表現技法の一つだよね。シェイクスピアのオーベロンとか」
「あぁ、そう言えば住んでいたダーズリー家には、超がつくほど有名な作品がずらりと並んでいたっけね」
「ファウストだって知ってるさ。唐突に現れた、今までの展開とは無関係な事柄が、物語の結末を付ける……で、合ってる?」
「その通り。物語ではよく『超展開』やら『ご都合主義』やらと並んで、あまり好ましくない手法とされている。そりゃあそうだ、今まで何日も何時間も掛けて読んできた物語を、そんなポッと出の奴に手渡してエンドマークを付けられたいと思う奴はそういないからね。『誰もが納得の行く結末を』なんて贅沢は言わないまでも、納得は出来ずとも、せめて整合性のとれた、一貫性のある物語を読みたいものだ。……だから、この本こそが、もしこの日常が物語なのだとしたら、まさしく『デウス・エクス・マキナ』と呼ぶにふさわしいものだと、僕は思うよ」
リドルの言っていることは、言葉の意味は分かるのだけれど、何を言いたいのかまではよく分からなかった。
しかし、たった一つだけ、そんなぼくでも分かったことがある。
「……その本は、それじゃあ……今までのぼくらのやってきたこと全てを、引っくり返してしまえるようなものだってこと?」
ヴォルデモートにも、幣原秋にも、全てに無理矢理ピリオドを打つような。
そんなとんでもない力を秘めた、ものだというのか。
「ひっくり返す、どころじゃない。全てを無に還す代物だ。決着がつきかけたチェス盤を、破壊してから素知らぬ顔で『なかったこと』にしてしまうような存在だ」
リドルは淡々と告げる。
梓さんの言葉を、思い出した。
『ねぇ、秋くん。君にその本を託すのはね、君ならば、叶えられるからだよ。その本はね、悪魔の書物だよ。今までの努力や苦労、慟哭、後悔、成功も失敗も、全てを呑み込んでしまう悪魔の所業だ。全てをなかったことにしてしまう、全てを水泡と帰してしまう。だから、直兄はそれをしなかったんだ』
幣原直が――父が書き記し、しかし使わなかった、とんでもない代物。
「……君はきっと、そこに書かれているものが何なのかは教えてくれないんだろうね」
ぼくの言葉に、リドルは笑った。
「そんなことしたら、僕の楽しみが一つ消えるだけじゃないか」
「……あぁ、君はそういう人だった」
大きくため息をついた。
リドルはクスクスと笑ってから、ふと遠い眼差しを虚空へと向けた。
「……聞きたい? 幣原直と、僕の物語」
思わず、息を呑む。
「……聞かせて、くれるの?」
「……気が向いたんだ。それより、どうなんだい? 聞きたいの、聞きたくないの」
「き……っ、聞きたい、です」
慌てて答えた。リドルの気が変わっては敵わない。
トム・リドル――ヴォルデモートから、幣原直の話を聞くことが出来るなんて。
でも食いつき過ぎたら、リドルはひょいと引っ込めてきそうだし、かと言って興味ない素振りをしたら「あ、そう」とだんまりを決め込みそうだしで、加減が難しい。
「ならそこに正座して『リドル様どうか教えてください』と頭を下げなよ」
「わ、分かった」
その程度で話が聞けるというなら、安いものだ。いそいそと膝を曲げたぼくに、リドルは大きく息を吐くと「……君にはプライドというものがないのか」と、眉間に指を当てて呟いた。
「だって、リドルがそうしろって言ったんじゃないか」
「だからと言ってハナから疑わずに土下座の準備をする奴もそうそういないよ。……全く、どうして」
そういうところは、直にそっくりだ。
目元を隠して、リドルはそう吐き捨てた。
「……聞かせて、リドル」
お願いだよ、と、囁いた。
「……飽きたら、止めるから」
彼にしては珍しい、はすっぱな口調だった。こくりと頷いたぼくを、彼は指の隙間から見遣る。
「僕が、あいつに……幣原直に出会ったのは、ホグワーツ一年生の、春のことだった」
哀愁を帯びた声が、夜の静寂に漂う。ぼくは、聞き逃さないように耳を澄ませた。
もう戻らない、あの日々を懐かしむ声音と共に、語られるはずのなかった物語が幕を開ける。
僕が幣原直と初めて出会ったのは、ホグワーツ一年生の春だった。
四月という季節外れの時期の、外国、日本魔法魔術学校『魔法処』からの転校生。一人だけ違う、金色の裏地が縫いこまれた制服に、一人だけ違う東洋系の顔立ち。今ならともかく、WW2前のヨーロッパじゃ、日本人なんて見たこともなかった。
当時の校長、アーマンド・ディペットから紹介を受けた直は、随分と無愛想な表情で挨拶をしたものだった。
「幣原直です、初めまして」――日本語で言われた言葉を理解出来た人物は、あの空間の中じゃあアルバス・ダンブルドアくらいだろう。……なんだい、その顔。僕はダンブルドアが心の底から大嫌いだが、あの男の能力自体には正当な評価を下しているよ。
平坦なイントネーションの日本語を聞き慣れていない僕らにとって、直の言葉は名前だとも分からなかったほどだった。
どうして、聞き取れなかった直の挨拶の内容を知っているのかって? その脳みそには一体何が詰まっているというのだい、とっとと掻き出してもう少し有益なものでも詰め直してあげようか?
……冗談冗談。直の話をしていたら、懐かしくなったものでね。直に対してよくそんな戯言を言っていたことを思い出したのさ。直は気を悪くした様子もなく「弟よりマシさ」なんて言っていつも笑っていたから、そのたびに僕は苛ついたものだがね。
直の弟って、こないだ日本で出会った幣原梓だろう、あの爺の。なかなかどうして食えない爺だったがねぇ、僕の本体を欺いてこの本を守り切ったという点だけは褒めてあげるよ。
話が妙な方向に逸れたね、戻そう。
直の挨拶の内容は、後に会話するようになってから本人から聞いたのさ。あの時あんな無愛想だった理由もね。……島流し、放逐、村八分。どういう言葉が正確かは定かではないが、要は直が邪魔だと親族家族に思われ弾かれ飛ばされた。
その生い立ちを聞いたときにね、僕としたことが少し同情してしまったんだよ。自らの境遇に重ねてしまった、とも言うかな。味方はゼロ、一人ぼっちで言葉も通じぬ異国の地に放り出された少年。健気で泣けるお題目だ。
僕にも若かった頃はある。青臭く、心を通わせることの出来る友が、肩を並べ歩くことが出来る朋が、欲しかったんだ。
若い、若いし、我ながら痛いな。穿った目でかつての自分を見れば、僕は直を見下していたんだろう。
僕は自分の生まれが大嫌いだった。孤児院で育ったこと、どこの馬の骨とも知らぬ自分の血統を恥じ、隠して偽って生きてきた、昔はね。そんな僕が、初めて自分より下だと思える人間に出会えた。初めて心から『可哀想だ』と思える人間に出会えた。
……屑だと罵るかい? なんだ、やらないの。詰まらないな。
何? あぁ、出会いの話ね。別に時系列に沿って話をしなくても構わないだろう? どうせ、君しか聞いていないんだから。
話したいように話をさせてくれよ。じゃないと、続きを話してやらないよ?
そうそう、それでいいんだ。思うんだけど、君、僕の笑顔に弱すぎない? 僕というよりか、美少年や美少女にね。ベルフェゴール家の長女は確かに美少女だけど、僕の趣味じゃないな。……睨むなよ、どうせ君は『好みドンピシャ』と言っても同じように睨む癖に。
愛だとか恋だとか、どうして人はわざわざ目を瞑ってその場でぐるぐると回って当てもない方向へと歩き出すような凶行に及ぶのだろうね、さっぱり理解出来ない。直も可愛い女の子に弱くってねぇ、顔は確かに可愛いんだけど、でも僕には結婚相手にアキナ・エンディーネを選ぶ気にはサラサラならないよ。学年一の変人美少女、アキナ・エンディーネをね。
ともあれ――物言いたげな顔をしているね、ひょっとして君の両親の馴れ初めだとかをもっと聞きたかった? ははっ、聞かせてあげるものか。絶対教えない。
出会いの話に戻そう。たとえ同学年に転校生が来たからと言って、他のガキと同じようにはしゃいだり噂し合ったり、そんな浮ついた行動を取るなんて死んでも御免だからね、しばらくは転校生なんて気にも留めず、普段通りの生活を行っていたよ。
そもそも、転校してきたばかりの直は英語が分からなかったし、こちらも日本語が分かる人物なんていなかったからね。話しかけられるような人もおらず、直はいつも一人だった。直自身、それでも構わないと平然とした態度で過ごしていた。
実家に対する怒りと、見知らぬ地で過ごすというストレスで、ひとまずその日一日をどうにか過ごすので一杯一杯だったのだと、後から語っていたけれどね。言われるまで、そんなことを考えていたとは分からなかった。
直と僕のファーストメットは、四月十二日、直がホグワーツに転校してきて一週間が経った頃だった。少し転校生騒ぎが落ち着いてきた時だ。
廊下でね、呼び止められたんだ、直に。さすがの僕も、少しは驚いたよね。
『上に気をつけて』
そうたどたどしい英語で言った後、ふらりと直は立ち去って行った。何のことかさっぱり分からないまま、その日の授業が終わった後、夕食へと急いでいた時のことだ。
頭上からいきなり水をぶっ掛けられてね。そう、お察しの通り、あの忌々しいピーブズの仕業だ。ケタケタ笑うあいつを締め、笑った生徒の記憶を葬った後、直が少し離れた位置で僕を見ていたことに気が付いた。
どうして、直は僕に『上に気をつけて』なんて、これからピーブズに悪戯されることを知っていたようなことを言ったのだろう。一体何なんだあの転校生は。
あの当時の僕は、直の言葉の真意を知りたくって仕方がなかった。自分が分からないものがある、ということが我慢ならなかった。
直と付き合うようになって、日本語も学習したよ、序でだけどね。こっちが英語を教える序でさ。僕を師と仰ぐのなら、弟子はそれなりに才能ある者か、なけりゃ血反吐吐くほどの努力をして結果を出してもらおうじゃない。
幸いなことに、直は僕の期待に応えることが出来る程度の能力はあったようだからね、あっという間に平易な会話くらいはすぐに交わせるようになった。
……え? ……あぁ、君のことか。幣原秋の話だね。君にも、僕みたいなのが近くにいれば良かったのに。ま、僕は直の妙な能力が気に掛かって付き合い始めた訳だから、君の例とは少し毛色が異なるかな。
まぁ、異国語を独学一年で会話まで持っていくのは凄いんじゃないの、直より才能あるよ、多分ね。
ともあれ、気がついたら僕はいつの間にか、幣原直に対して友情めいたものを感じるようになっていた。友情、恐らく、そうなのだろうね。直と一緒にいると、心のままに振る舞えた。裏表なく、笑うことが出来た。安心して居眠りすることが出来た。
僕の傍若無人さや理不尽さを、直は平然と許して受け入れた。あー……ま、時折「弟よりマシだ」と疲れた笑みを浮かべてはいたけれどね。直の弟は一体どんな奴なのか、気になりはしていたけれどプライドが邪魔をしてね、興味のない素振りをいつもしていたよ。やっぱり聞いておけばよかった。
あんまりロクな人間じゃない? 君が言うなら相当だな。ま、僕自身ロクな人間じゃないけれどね。直の周りにはそういう人間が集まるように出来ているのかな。
僕は、五年生の頃に本体から切り離された記憶だ。マートル・ウォーレンを生贄として……っと、口が滑った。何のことだい、追及しても無駄さ。またの機会にね。
君が心配せずとも、あの狸爺はハリー・ポッターに対して色々吹き込んでいるようだから、君がどうこうする必要はないんじゃないかな。僕も、一度敗れた本体に未練はないからね。
うるさいな。黙るよ? ……よし、静かになったね。そのまま呼吸音と心音も止めて安らかな眠りに入ってくれても構わないのに。……冗談だって。
その後、一体何がどうなって本体が直を殺すことにしたのか、その理由は一切知らない。……君のせい? うん、ま、それもあるだろうな。でも、直を殺す気は無かったと思うんだ。
……理由はね、凄く酷い話かもしれないけれど、僕、トム・リドルにとって大切なのは幣原直一人で、たとえ直の息子だろうが嫁だろうが、そこらの有象無象と同じなのさ。
まぁ、何となくの想像はつくよ。そう、君だよ、幣原秋。君の才能がね、きっと怖かったんだ。親友の息子を敵に回したくなかったのかもしれないね。
もっとも、その目論みはあえなくぶち壊された。
分かっていたはずなのにね、直が『予知夢者』だってことくらい、知っていたはずなのに。あいつから反撃を受けることなんて、考えてすらいなかったのか。
つくづくそういう辺りが、直のことを心の底から見下していたのだろう所以だな。恥ずかしい限りだ、全く。
僕は、直を殺した本体のことを許さない。僕の想像が当たっていたならば、それは五年生の頃から一切成長していないという証だ。そんな愚か者は、どうせ滅びを待つしか能がない。終止符を打つ価値すらない。
もし、想像が当たっていなかったなら――幣原直の死が、何か意味を持つものであったのならば。
万が一にでも、そうだったのならば……いや、明言するのは止めておくことにするよ。
ねぇ、アキ。そして、幣原秋。
聞いているんだろう? まさか『黒衣の天才』が、アキ・ポッターとトム・リドルの会話を聴き漏らすはずがないものね。
君たちがこの『デウス・エクス・マキナ』を使うかどうかは分からない。使わない可能性の方が高そうだ。
でも、もし、この本を使おうと、君たちが願うのならば。
その時は、僕は全力をもって、君たちを手助けすると誓おう。
嘘じゃない。僕は君に対して、嘘がつけないのだから。
魔法契約は幾千の言葉よりも雄弁だ。その、右手の小指に嵌った指輪に賭けて。
覚えておいて。『デウス・エクス・マキナ』は、読者にとっては非常に不義理で不親切な代物だ。
だけれど、物語の登場人物にとっては、違う。決して叶わないと思っていた願いが叶う、魔法の品だ。悪魔の作品だ。
これを、幣原直が――かつての友が作ったということがね、僕にとっては酷く、意味深なものに思えるんだ。もしかしたら、直も後悔しているのかもしれない、と。僕と同じように、思ってくれているのかもしれないと。
そう願うくらい、あってもいいだろう?
きっと、君はこの本を使わない。何となく分かるよ。
君は、未来を見据える人間だ。過去に置き忘れた宝物より、未来にあるまだ見たこともない宝石を求める者だ。
分かってる、分かっているさ。
分かっているんだ。ただちょっとね、途方もない絵空事に、期待してしまっただけ。
……そう。それなら、あまり期待をせずに待っておくことにするよ。期待をして、呆気なく裏切られて傷つくほど、阿呆らしいことはないからね。
もし、この話が物語だったとして。
この結末に、読者は一体どう思うのだろう。
そのことは少しだけ、気になるかな。
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