破綻論理。

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空の記憶

第3話 浅緋色の思い出First posted : 2016.03.30
Last update : 2022.10.21

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 七月二十六日。今日は『七人のハリー作戦』が実行される日だ。
 ぼくはスネイプ教授の自宅で、ただただハリーの無事を祈っていた。

「大丈夫、大丈夫……ハリーは絶対、絶対に大丈夫だから……」

 自分に言い聞かせるように、何度も何度も呟く。
 ぼくの存在意義──『ハリーを守る』、それに急き立てられるように、上がった心拍は収まらない。ハリーは危険だ、ダメだ、行かなくてはいけない、ハリーの元へ、行くんだよ君が、頭の中の声は、鳴り止まない。

「ダメだよ……ぼくは、行ってはいけない……」

 全てのことが無駄になる。ぼくとセブルスがこうして積み重ねてきたことが、全て無駄になる。

「大丈夫、絶対に大丈夫だから……」

 首筋に垂れる汗が気持ち悪い。やらなければいけないことに逆らっているという強烈な違和感が、気持ち悪い。

 それでも、ほんの少しだけ、ホッとしてしまう。
 だってこの感覚は、ぼくがアキ・ポッターだからこそのものなのだ。幣原が『ハリー・ポッターを守る』ために造り出したぼくだからこそ、抱く感情なのだ。

 この気持ちこそが、ぼくがぼくであり、幣原ではないという証。不安定な場所にいるぼくが、唯一縋れるもの。

 扉が開く音に、思わず肩が跳ねた。おずおずと顔を上げる。教授が、セブルス・スネイプが帰ってきたのだ。

「教授……っ」

 部屋の電気が点く。いつの間にか、周囲は真っ暗だった。

「寝ていろと……、まぁ、無理もないか」

 ぼくはどれほど悲痛な顔をしていたのだろう。教授は呟きかけた言葉を切って、そんな言葉を続けた。

「貴様の兄は無事だ。結界の内側に入ったことを確認した」

 その言葉に、全身から力が抜けて行くのが分かった。思わず、その場にへたり込む。

「そっか……よかった。……あぁ、教授も、無事に帰ってきてくれてよかった」
「私を気遣える程度には落ち着いたらしいな」

 そう言われ、気まずくて目を逸らした。そうだ、普通は真っ先に教授の無事を喜ぶところだったのに。
 口元に笑みを滲ませた教授は、しかしすぐさま笑みを拭い去った。

「マッド・アイが死んだ」
「──え」

 身体が冷える。しかし頭は、この頭はやすやすと理解に至るのだ。

「あの、人が──」

 死なないと思っていた、なんてことは言えない。殺しても死ななさそうだった、ダンブルドアだって死んだのだ。殺したのは、目の前でぼくを静かに見下ろす男。
 ぼくらの手は共に、血に塗れている。

「──そう」

 静かに目を伏せた。

 今更他人の死に立ち止まるな。死を省みるな。
 前だけを向いていろ、アキ・ポッター。

「まだ眠りにつくほど、精神は落ち着いていないだろう──アキ・ポッター、出立するぞ」
「え、どこに?」

 決まっている、と教授は低い声で呟いた。

「グリモールド・プレイスだ」





『七人のハリー作戦』、それにマッド・アイの──アラスター・ムーディの死。これらに騎士団は掛かり切りだろう。忙しない今だからこそ、かつて騎士団の本部であり、更に以前はブラック家本家であったグリモールド・プレイスはもぬけの殻、のはずだ。

 対幣原に、どれほど強化された侵入者対策が施されているのだろうと少し楽しみではあったのだが、肩透かしの期待外れだった。
 どうやら不死鳥の騎士団は『ぼくらを中に入れない』ことに尽力するよりも『大切なものや見られて困るものをここに置いておかない』ことに力を注いだようだ。そちらの方が断然賢い。
 碌なものも見当たらず、諦めてぼくは教授の姿を探した。

「教授ー? どこですかー」

 大声を出しながら上階へと上がる。開け放たれていたのは、シリウスの部屋だった。
 覗き込むと、こちらに背を向け教授は座り込んでいる。

「教授……?」

 ぼくの声に、教授はびくりと肩を震わせ振り返った。涙に濡れた顔に、見てはいけないものを見てしまった気がして足が竦む。目を逸らした。

「……探したよ。下は何も残っていない、見事な撤退加減さ」
「……そう、か」
「…………どうしたの」

 教授は少し考えるようにして、ぼくを手招きした。躊躇しながらも近寄る。
 教授の手には、一通の手紙と写真が握られていた。それがリリーの字だということを、ぼくは即座に理解した。

「り……っ、リリー」

 吐息と共に言葉を漏らした。熱い感情が、胸の奥底から湧き上がる。痛くて苦しくやるせない、しかしそれでも、確かにそれは暖かかった。温もりを帯びていた。

 教授は『愛を込めて』と書かれた手紙を懐に仕舞い込む。そしてポッター家三人が笑っている写真を手に取ると、躊躇なく破った。リリーが写っている切れ端だけを、手紙と同じように懐に入れた。

 何と声を掛ければいいのか。全てが全て不正解な気がして、ぼくはただ黙って教授の背中を叩いた。





 ガンと大きな音に、ハリーも、周囲の誰もが振り返った。リーマス・ルーピンが近くの壁を思いっきり蹴り付けた音だった。
 手には先ほど速報として届いた、日刊預言者新聞の夕刊が握られている。震える右手は、新聞をぐしゃぐしゃにするほど力強い。

「リーマス! うちの壁を蹴らないでちょうだい!」
「モリー、ごめんね、あたしが宥めるから。大丈夫」

 目を剥くモリーに、トンクスは慌てて立ち上がるとリーマスの元へ駆け寄った。色んな言葉を掛けるも、リーマスの耳に届いているのかは怪しい。
 ハリーはそっと二人の元に近付いた。リーマスが人前で荒れる様を見せるのは──激情を大人の仮面に隠し切れないのは、大体が幣原関連であったからだ。

「……許せるか……? こんなこと、許されるとでも……っ!」
「許せないよ、分かる、分かるよ。許されちゃいけないことだ。でもリーマス、今は頭を冷やして。お願いだから」
「…………っ」

 リーマスが床に叩きつけた新聞を、こっそり拾った。トンクスは僅かに咎める眼差しを向けたが、何も言わなかった。

 広げて──あぁ、そういうことか、と、リーマスの激情に納得をする。

 掘り起こされ、暴かれた幣原の墓、その写真が、写っていた。



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