荷物を整理していた折、ふと羊皮紙が目に入った。二年生の頃、ぼくとハリーが連絡ツールとして互いに持ち合っていた羊皮紙だ。
ぼくが教授と共にホグワーツから姿を消した日から一週間くらいは、引っ切り無しにハリーから連絡が来ていたものだが(無視するのに多大な精神力を用したし途中で教授に取り上げられた)、しばらくは何の音沙汰もなかったため手元に戻ってきていたものだ。
なんの気なしに羊皮紙を手に取り──息が、止まった。
『アキ、誕生日おめでとう』
滑らかな文字が躍る。ハリーの字。
そうか、今日は七月三十一日。ハリーの──ぼくらの、誕生日。
文字が音もなく綴られていく様を、ぼくは息を呑んで見つめていた。
『元気にしているかな。ちゃんとご飯食べているかな。ちゃんと、眠れているのかな』
脳内で聞こえる、ハリーの声。簡単に思い出せる。
文字の通りに、声が聞こえる。
だって、ずっとずっと一緒だったんだ。
『ルーピン先生とトンクスが、この前結婚式を挙げたんだって。慎ましやかで、それでもきっと、いい式になったことだろう。明日は、ビルとフラーの結婚式があるんだよ』
柔らかな文字。ハリーらしい真っ直ぐさを持った字は、ぼくに静かに語りかけてくる。
どうして、ハリーはぼくを責めない。どうしてぼくを嫌わない。
ぼくは、ハリー達の敵なのに。ぼくは、君たちを裏切ったのに。
どうして、どうして、どうして責めない。
流れるように文字が綴られていたのが、ふと揺らいだ。
『……幸せが満ちている。僕は、多くの人に愛されている。……それなのに、どうして。どうして、今僕の隣には、君がいないんだろう』
文字を書きかけたまま、ハリーはその言葉をぐしゃぐしゃと消した。その文字は潰され見えなくなる。
再びインクが浮き上がったときは、普段通りの筆致だった。
『大好きな、僕のたった一人の弟よ。十七歳の誕生日、おめでとう』
ぽたりと雫が羊皮紙に垂れた。それで初めて、自分が泣いていたことに気がついた。
慌てて手の甲で拭うも、次から次へと溢れてくる。
「ハリー……」
愛おしさに、胸が苦しくなる。
天を、仰いだ。
「付いて行こうか?」というセブルスを断り、一人でプリベット通りへと向かった。四番地にあるそのタウン・ハウスは、一見すると何も変わらないただの住宅だけれど、解析してみれば予想通り、騎士団の守護結界が幾重にも掛けられていた。
監視の人間は、入り口と裏口を見張るようにそれぞれ一人ずつ。結界の種類は魔力検知式のものが五つ、そして──一歩下がって目を細めた。非魔法界のものが二つ、潜むようにして置いてある。マッド・アイか果たして違う人のものか定かじゃないけれど、粗忽者ならば引っかかってしまうだろう。
果たしてそれ以外にもう罠はないか、もう十分ほど粘って観察したが、流石にそれ以上は仕掛けられていないようだった。
姿を宵闇に溶け込ませる。足音も気配も、全てを掻き消した。結界を一時的に解除させ、極々普通にチャイムを鳴らす。
リンと室内に響いたチャイムに少し待てば、すぐさまペチュニアおばさんが扉を押し開けた。見えぬチャイムの主におばさんが目を瞬かせたその隙に、家の中へと滑り込む。
ぼくが魔法を解除したのと、おばさんがぼくを見たのはほぼ同時だった。ペチュニアおばさんはハッと息を呑む。ぼくはおばさんに笑いかけると、そのまま──玄関に手を付いた。土下座する。
「おばさん……今までぼくを育ててくれて、ありがとう。ぼくを受け入れてくれて、本当にありがとう。ぼくを生かしてくれて、本当に感謝しています……幣原秋との約束を、守ってくれて、ありがとう」
ペチュニアおばさんは戦慄く瞳でぼくを見据えていた。
騒ぎを聞きつけたか、おじさんとダドリーだろう、こちらに駆け寄って来る。も、ぼくを警戒してか一定ライン以上は近付いて来ない。
「……アキ、よね」
「……うん、そうだよ」
「じゃあ、全部思い出したのね」
ぼくはゆっくりと顔を上げた。ペチュニアおばさんは、じっとぼくを見つめている。
「……うん」
はっきりと、頷いた。
「ならば、アキ。幣原秋の代わりに、あなたに頼みます」
思っていたより、随分と優しい声だった。ぼくに手を差し伸べ、ペチュニアは微笑む。
それは、無理矢理なものだったが、それでも確かに『笑顔』なのだった。
「……約束、まだ、守ってくれますか」
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