久しぶりに足を踏み入れた聖マンゴは、病院という性質上雰囲気は変わらないまでも、周囲の人がぼくに向ける視線の質までは変えることが出来なかった。
受付のお姉さんはあからさまにぼくに怯える瞳を向けていたし、歩き慣れた道すがらも、聖マンゴの職員、お見舞いに来たらしき一般の人々から遠巻きにする視線が永遠飛んで来ていた。仕方なくはあるが、慣れるかと言ったら慣れはしない。『黒衣の天才』幣原秋は、いつもこの視線を背負っていたのか。その身になってみて初めて、辛さと息苦しさを理解した。夢で見る様より、キツいものがある。
目的地は決まっている。隔離病棟にある、シリウス・ブラックの病室。
白い扉を開けると、真っ白い病室の中へ一歩踏み込んだ。その時死角から現れた手が、ぼくの胸倉を掴み壁に叩きつける。背中を思い切り打ち付け、肺から空気が無理矢理押し出された。苦しい呻き声を漏らし、目を開ける。
「……ライ、先輩」
長めの前髪に隠れる瞳は、しかし鋭い光を帯びていた。
こちらを射抜くほどの光に、ぼくは薄っすらと笑ってみせる。
「……予期していたな」
「もしかしたらいるかもなー、って考えてたくらいですよ」
「俺を制圧しなかったのは、ぶん殴られたかったからか?」
「先輩には逆らいたくなかったから」
チッと舌打ちをして、ライ先輩はぼくのシャツから手を離した。ぼくはシャツがシワにならないように、襟元を軽く引き伸ばす。
ぼくらの喧騒が一切耳に入っていないかのように──いや、事実耳に入っていないのだろう──シリウス・ブラックは固く瞳を閉ざし、眠っていた。胸まで掛けられた毛布は、それでも以前よりずっと細くなった肩や首までは覆い隠してくれていない。
シリウスが目を覚まさなくなって、既に二年が経っていた。そりゃ、筋肉だって衰えるし脂肪だって削げるだろう。ただでさえ十二年間もアズカバンで囚人やっていて、それからも逃亡生活で、きちんとした食事を摂ったのなんてきっと、グリモールド・プレイスでモリーおばさんの手料理を食べたくらいだろう。
彼の人生は、本来ならばありえないほど狂い、捻じ曲がり過ぎた。
窓枠の花瓶を手に取ると、萎れた花を抜き取った。流しに歩み寄り、中に入っていた水を捨てると、軽くすすぎ、新しく水を入れる。『出現呪文』で買っておいた花束を出すと、花瓶に生けてあるものと取り替えた。萎れた花を代わりに包むと『消失』させる。
花瓶を元のように窓枠の日が当たるところに置くぼくの様子を、ライ先輩はじっと見ていた。
「……何をする気だ」
静かにそう、問いかけられる。
ぼくは微笑んで振り返った。
「世界を変えます」
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