「……ヤダなぁ」
「何がだ」
「レイブンクロー寮。帰りたくない……」
組み分けの儀が終わり、歓迎のご馳走も全てが片付けられた後。ぼくは校長室で、もそもそと冷たいサンドイッチやチキン、冷えたパスタやサラダ──はもともと冷たいか──を口にしていた。
大広間でのご馳走? あの空気の中平然とご飯が食べられるほど肝は据わっていない。そもそもどこで食べろと言うんだ? レイブンクロー寮のテーブルに行けば最後、顔面がどれほど歪むことになると思っている。
メディアへの露出は先々まで予定しているのだ、そんな訳の分からないアクシデントで計画を止めるわけにはいかない。
「それでも、フィスナーの息子くらいには話をしておけよ」
教授はため息と共にそう呟くと、手を伸ばしてリンゴを一切れ摘み、口の中に放り込む。ぼくもかぼちゃジュースを一息で飲み干すと、口を開いた。
「分かってるよ」
どうして今日のレイブンクローのノッカーは、こういうときに限って優しいただの論理パズルを出してくるのだろう。急いでいるときこそ、意地悪なクソ難解な答えなんてないような問題を繰り出してくるのだ、あのノッカーは。
信号と同じだ。用事があるときこそ、赤になる。
息を吐きながら、開いた扉の奥に進み──
「アキが来た!」
「アキだ!」
「捕らえろ!」
「逃がすな!」
次々掛けられる声。瞬きする間もなく、気付けば両手を後ろに回され、談話室の床に押し付けられていた。手首を柔らかな布で縛られる。
あまりの早業に抵抗するよりもまず呆然としてしまった。
「さ、アキ。どういうことなのか説明しろよな」
「全部きっちり理由揃えてくれないと、僕らレイブンクロー生は信じないよ」
聞き慣れた声が上から降り掛かる。同級生で同室の二人、ウィル・ダークとレーン・スミック。真剣味の一切ない、気の抜けるような声音だった。
腕を貸され身体を起こすと、談話室には驚くほどの数の人が集まっていた。よくもまぁ入ったものだ。新入生らしい小さな子から、ぼくと同級の七年生まで。こうも揃っていると壮観だった。
「その前に」
「一発喰らっとけな」
「え?」
ウィルとレーンがパッと離れる。
瞬時に抉りこむような右ストレートがぼくの左頬を襲った。そもそもが不意打ちだったため、勢いすら殺せずにぶっ倒れる。両手を後ろで縛られていたため、手をつくことも許されなかった。談話室の床に絨毯が敷き詰められていたのが幸いだった。
ぼくを殴ったのは、まぁ誰あろう、きっと予想はついていただろう──アリス・フィスナーその人だった。先ほど見た、ちょっとイった笑顔は影を潜めていたが、だからと言って取扱注意なのは変わりがない。
「全て話せ、アキ・ポッター。お前の真意も、目的も、洗いざらい話せ」
低い声で言われた言葉に、思わず目を瞠った。震える声で、囁く。
「……信じてくれる、の」
口元が痛みに引き攣れる。唇の端を歯で切ったか。でも今はそんなことどうだっていい。
だってそんな言葉、ぼくを完全な味方だと──ぼくが裏切ったと思った人間の口からは、出て来ようがない言葉だったから。
「信じる? なんだ、その言葉」
アリスは眉を寄せ、顔を顰めた。
「いいか、アキ・ポッター。ここにいるレイブンクロー生誰一人として、お前のことを頭から信じている奴なんざいねぇよ。信じる信じないはお前の話を聞いた後、俺たちが一人一人決める。レイブンクロー生はそういう奴だ、知ってんだろ?」
「……知ってる」
ぼくはきっと、よく知っていた。
ふわり、薄い金色が視界を覆う。首を向けると、ルーナだった。
「でもねぇ、アキ」
ぼくを見て、ルーナ・ラブグッドはにっこりと微笑んだ。
「ここにいる誰もが、あなたを信じたいから集まっているんだと、あたしはそう思うなぁ」
「……それも、そうか」
腕の拘束を解いてくれ、と静かに頼んだ。アリスは僅かに目を瞠ったが、それでもぼくの脇に屈み込むと、手首を縛る紐を解いてくれる。振り返ってアリスの手に握られているものを見ると、レイブンクローの誰かのネクタイのようだった。
自力で身を起こすと、立ち上がる。杖を振って、防衛呪文、盗聴防止呪文を幾重にも掛けた。大きく息を吐いて、ぼくを見る人々をぐるりと見回す。そこで、一人真摯な目でぼくを見ている少年と目が合った。
「……ユーク」
「アキ・ポッター。一つだけ、お聞きします」
銀色の髪に、姉とよく似た顔立ちの少年、ユークレース・ベルフェゴールだった。普段キチンと制服を着ている少年は、どうしてだか今日ばかりはネクタイを締めていない。
……あ、もしかしてひょっとして、さっきまでぼくの手首を拘束し今現在はアリスの手にあるあのネクタイがそうだったりするのだろうか。
ユークはふと後ろを振り返ると、人混みの中から一人の少女を引っ張り出した。
そしてぼくを睨み、毅然と言う。
「あなたがやってきた、そしてやろうとしていることは、姉上に胸を張って言えることですか」
長い銀髪。覗く
僅かに照明が落とされた談話室で、銀色のこの二人の姉弟の輪郭だけが霞んで見えた。
「……アク、ア」
息が上がる。心拍が跳ね上がる。きっと、ぼくは青褪めていることだろう。
ぼくは、この日が来ることをどこかで恐れていたんだ。アクアからまっすぐな瞳で見つめられるのが、怖かったんだ。
一歩、二歩と、アクアがこちらへと歩み寄る。
至近距離で立ち止まると、アクアは手を伸ばした。ぼくの左頬に軽く触れ、淡く微笑む。
「……全部話して。アキ」
声は、視線は、力強かった。
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