気がついたら、医務室にいた。
居場所を把握して記憶を振り返って、自分の身に何が起きたのかを悟った。
「……そりゃあ、倒れるよなぁ……」
熱でも出ていたのだろう。というか、熱が出ていなければおかしいくらいだ。あれだけ執拗に痛めつけられてなお、身体が悲鳴を上げぬ筈もない。
風呂場で素っ裸でぶっ倒れるなんて、アリスはさぞや慌てたことだろう。申し訳ないことをした。
そして、教授からもらったあの飲み薬はその体調を改善させるためのものだったのだ。気付け薬とか思って飲まず、悪いことをした。
ベッドサイドには、ぼくの杖が置いてあった。
手紙だとかそういうものはない。他人に見られることを恐れたのだろう。それでいい。
「ありがとう……」
セドリック、と口に出さずに呟いた。
ベッドサイドに掛かっていたローブを手に取ると、ポケットの中を探る。すぐさま、飲み薬が手に触れた。
痛む頭を押さえ、一息に飲み干す。
数秒目を閉じて「……よし」と顔を上げた。
クリスマス休暇が終わり、レイブンクロー寮の談話室も賑わいを見せてきた。しかしルーナは帰って来ない。
ぼくと同じ寮の後輩で、かつてダンブルドア軍団として魔法省の戦いにも赴いたルーナ・ラブグッドを、ヴォルデモートはきっと手が届くところに閉じ込めているのだ。
頭を掻き毟りたくなるほど辛かったが、しかし足を止めることは許されない。
レイブンクロー寮の談話室は、時折秘密会議の様相を呈することがあった。カロー兄妹が足を踏み入れないからだ。
しかし、それも今までの話。
「レイブンクロー寮だからと言って、安全とは限らない」
ぼくの言葉に、何人かのレイブンクロー生が目を剥いた。その中の一人が鼻で笑う。
「闇の帝王が叡智を理解すると?」
「彼は相当頭が切れる奴だ。あんまり期待しない方がいい」
「その通り。さすがアキくん、鋭いですね」
予想もしていない至近距離で言われた言葉に、慌てて振り返った。
呆然とするぼくの肩を、その人物──フィリナス・フリットウィック先生はポンと叩く。
「しかしまだまだですねぇ、私の存在に気付かないようじゃ。あっ、これはもしや先生、『黒衣の天才』よりも一枚上手ということですかね? なんとまぁそれは嬉しいこと。まだまだ教え子には負けませんよー」
「先生、あの、アキが」
「こりゃ多分フリーズしてます、先生」
「許容量超えたか? 意外と予想外のことに弱いんだよなぁ」
「おやおや。柔軟さが足りませんなぁ」
「アキ、おーい、アキ」
肩を大きく揺さぶられ、茫然自失していた意識がやっと動き始めた。
「な、ななな、えっ、へ、えぇっ!? せんせ、うそ、いつから!?」
「結構最初の方からいました、今日は受け持ちの授業が午前で終わって暇だったんです」
「『暇だったんです』じゃあないですよ!!」
喚くも、フリットウィック先生は普段通りの穏やかな笑みを浮かべるだけだ。
こうして対面したのも、随分と久しぶりな気がした。
「君とセブルスが何かを企んでいることくらいね、先生にはお見通しです。二人とも私の教え子なんです、当然でしょう? いつ、打ち明けてくれるのかなぁってミネルバと賭けをしていたんですが、待ちきれなくって。私、意外と忍耐強くはないんです」
ぽかんと口を開けたまま、ぼくはフリットウィック先生を見つめた。
「アキくん。私たち教師を巻き込みたくないという意志はよく分かりました。嫌われ役を買って出ているということも、知っています。でもねぇ、先生仲間外れは嫌いですから。おおっぴらには何も出来ませんが、困ったときはいつでも相談しに来てくださいね」
少し背伸びをして、フリットウィック先生はぼくの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「君も、幣原秋くんも、共に私の生徒なのには変わりありませんから」
「……あ、ありがとう、ございます……」
頭を下げた。
フリットウィック先生はニコニコしながら「ほら、君の言葉を皆が待っていますよ」と肘のあたりを突く。
思わず奥歯を噛み締め、髪を引っ張った。何人かがぼくを気遣わしげに見つめているのに気付き、手を離すと頭を振った。
「ぼくに協力したせいで、ルーナが危ない目に遭った。いいか、自分の身を第一に考えてくれ。絶対、絶対に」
シン、と談話室が静まり返る。も、それも一瞬だった。
笑い声が部屋中を包み込む。呆気に取られたぼくに、レーンは笑いかけた。
「知ってるか、アキ。レイブンクロー生はな、目先の得より長期的な利を取ることが出来る、ちょいと頭のおかしい奴らの吹き溜まりさ。あんまりね、舐めない方がいい」
「レーンの言う通り。危険なことくらい承知の上。だから君の言っていることは今更なんだ」
ウィルも強気な笑顔を浮かべていた。
「俺たちがここで諦めて膝を屈したら、ホグワーツはどうなる? 来年も、再来年も、それからずっと先までも。ホグワーツは誰の支配も受けやしない、そのために今、戦うんだろう?」
「……あ、は」
身体中から、力が抜けていくのが分かった。
「うん、そう。そう、なんだよ」
嬉しい、有り難い。
心の底から、ここにいる全員に感謝した。
「……アキ・ポッター」
ぼくの目の前に歩み寄る、一人の少年。
整ったその顔に、静かな決意をたゆたわせて、彼、ユークレース・ベルフェゴールは、ぼくに一枚の羊皮紙を手渡した。
「羊皮紙に記名がある、残り全ての人は、皆同じ願いを持っています。アキ・ポッター……僕たちを、ホグワーツを、守ってください」
灰色の瞳に射抜かれ、視界がじわりと滲んだ。涙が零れそうになり、思わず動揺する。
「……当然。ぼくが、全部守ってあげる」
涙を散らして、ユークから羊皮紙を受け取った。
瞬間、羊皮紙自体が発光する。光の中、中央に文字が現れた。細長い特徴的なこの字は、ある人物を脳裏に蘇らせるには十分だった。
『君の願いは?』
「ぼくの、願いは……皆を守んぐっ!?」
途端、口を塞がれた。アリスだった。
ぼくの口を両手で覆ったアリスは「違うだろ?」とにやりと笑う。
「そりゃあお前の願いじゃない、お前が『やんなきゃいけない事』だ。願いっつーのはもっと切実で、お前一人の力ではどうしようも出来ない手出しが出来ない、そういう存在が──あるんだろ、お前には?」
そう囁かれ、パッと手を離される。
改めて、ぼくは羊皮紙に浮かんだ文字をじっと見た。
「……ぼくの、願いは」
声が震える。大きく息を吐いた。
様々なことを脳裏に思い浮かべるも、最終的な答えは、最後まで残った答えは、たった一つなのだった。
「……シリウス・ブラックを、目覚めさせて」
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