「……な、んで、アクアを……」
「気付いていないと思ったか?」
夕闇の中、ヴォルデモートは確かにぼくを嘲笑った。
「アリス・フィスナーよ。アクアマリンを知らないと戯言は、さすがに吐かぬよな? ……連れて来い」
アリスは隠すことなく舌打ちを零すと、背を向けホグワーツへ駆け出して行った。
計算を狂わせるつもりが、逆にこちらが狂わされてしまった、そういう腹立たしさが見え隠れしていた。その苛立ちは物凄くよく分かる。
どうすれば、どうすれば。頭を動かそうとするものの、心臓の拍動がやかましくて集中なんて出来っこない。
髪を掻き毟り、目を閉じた。ヴォルデオートがすぐそばにいるが、目なんて開けていようが閉じていようが大して変わらない。
動揺していることを、今更押し隠すことも出来ない。それならばいっそ割り切って、思考を働かせることに全力を注ごう。
「…………」
アクアは純血だ。ベルフェゴール家の直系長子で、しかも両親は死喰い人。害される可能性は、アリスより低い。
低い、はずだ。そのはずだ。しかし、どう考えてもこれはぼくの枷、抑止策。余計なことをするなという、人質の役割。
いや、人質ならば害されない。ぼくが彼の言う通りに振る舞えば、殺しはされない。人質は、生きてこそ価値がある。
そして一点ホッとすること。ヴォルデモートはアクアしか人質に取らなかった──アリスの申し出を突っぱねた。ということは最悪の事態は、ない。
人質が二人以上の場合、ヴォルデモートは一人を殺した上で、再度ぼくの行動を縛ることが出来るから。魔法族の高位な血を、これ以上流したくはないというのは、きっと同じだ。
統治には、臣民が必要なのだ。皆殺しをしてしまえば、統治は不可能。誰も生きている者がいない焼け野原の中心で勝ったぞと叫んだところで、誰一人聞いていないのだ。ヴォルデモートはそれを、勝利とは認めぬだろう。
やがてアリスに連れて来られたアクアは、青ざめてはいたものの毅然とした顔つきをしていたし、何なら微笑までも浮かべていた。
ヴォルデモートに対し優雅に、良家の子女らしくしとやかな一礼をした後は「……お選び頂き光栄ですわ。昔のような美丈夫でしたなら、揺らがないこともなかったかしらね」と、強気に微笑んでみせる。しかしその小さな指先が震えているのは見て取れた。
「……アクアに何かをしたら、ただじゃおかない」
語気を強め、ヴォルデモートを睨む。
ヴォルデモートはぼくを見下ろして「それは貴様次第だ、アキ・ポッター」と薄く笑った。
アリアナの絵から顔を出したネビルは、ハリー達三人を見て一気に表情を明るくさせた。
「君が来ると信じていた! 僕は信じていた! ハリー!!」
存外に健やかなネビルに、ハリーは目を瞠った。ホグワーツは既にヴォルデモートの手に落ちたのだ、もっと痛めつけられているかと思っていた。ところがどうだ、何不自由なく生きてきた様じゃないか?
「アキのお陰なんだ。アキが、何もかもを抑えてくれた。アキは本当に、ホグワーツの生徒全員を守ってみせた。ハリー、君の弟、アキ・ポッターのお陰なんだよ」
「……アキは、じゃあ、味方、なんだね?」
そう言われ、思わず地面にへたり込んだ。慌ててロンとハーマイオニーはハリーの両腕を取ると、引っ張り起こす。
ロンは神妙な顔をして言った。
「……前に言ったこと。謝るよ、ごめんな、ハリー」
「私も……アキを疑って、ごめんなさい。あなたはずっと、アキのことを信じていたのに」
ハーマイオニーも泣きそうな表情で謝罪する。ハリーは晴れやかな表情を浮かべてみせた。最高に、気分が晴れやかだった。
「いいんだ。今、信じてくれるんだろ?」
アキ・ポッターか、とアバーフォースは呟いた。ネビルはふと表情を曇らせる。
「そう……僕らが今こうして元気でいられるのは、本当にアキのお陰なんだ。でもその代わりに、アキはずっと一人で苦しんできた。ハリー……君の大切な弟を、僕らが苦しめた。アキに……すごく、申し訳なくって……」
「……アキは多分、ネビルにそんな顔させたいから、皆を守った訳じゃないと思うよ」
顔を上げたネビルに対し、ハリーは微笑んだ。いつも、アキがするように。
「アキはきっと、皆に笑って欲しいと思うはずだ。生きて欲しいと、そう──思う、奴だよ」
アキ、と、噛みしめるように囁いた。
アバーフォースはネビルに視線を向けると「アキ・ポッターに連絡をしたか?」と尋ねる。
「アリスが、アキの行方に心当たりがあると言っていたから、アリスに任せたんだ。そろそろ来るんじゃ──」
ネビルが最後まで言葉を告げ切らぬうちに、アキが絵から飛び出して来た。存外地面からの高さがあったことに気付かなかったのか、そのまま転がり落ちそうになる。
ハリーは慌てて、アキの身体を受け止めた。想像以上に軽くて驚いた。
「気をつけろと言っただろう……」
アバーフォースがアキを見てぼやく。
「あっ、うわ、びっくりしたぁ……ハリー!」
「アキ!」
アキを下ろして、改めて抱き合った。この少年の肩は、こんなにも細かったか。こんなにも、この少年の身体は薄かっただろうか。
「お帰り、ハリー」
アキが大きな目を細め、ハリーに微笑みかける。ずっと、ずっと、この笑顔をハリーは待っていたんだ。
「……っ、ただいま、アキ!」
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