名前を呼ばれて、姿を現した。
目の前でリドルを見据える少年、その右手に握られた本を見て、リドルは口元を歪めた。
「……まさか、君の方がこちらを選ぶとはね……アキ」
黒髪の少年、アキ・ポッターは、静かな瞳で口を開いた。
「『デウス・エクス・マキナ』──悪魔の書を使おうと思う。手伝って、リドル」
仰せのままにと、リドルはアキに頭を垂れた。
◇ ◆ ◇
「君は選ばないと思っていたよ」
両手を広げても余るほどの大きさの紙に、アキは慎重に文字や図形を書いてゆく。利き腕ではない方の手で書き記しているため、動きは少々ぎこちない。
インクとして使うものは、自身の血液。右手の指先を、顔を顰めて噛み切ると、その血でもって魔法陣を描く。その血──幣原直の血を引く、幣原秋の、魔力の籠った血で。
「『デウス・エクス・マキナ』──本当に、言い得て妙だ。悪魔の書、その通り。時を巻き戻す、悪魔の書だ。……梓さんに言われた言葉を思い出すよ」
眉を寄せながら、アキは呟いた。
「『今までの努力や苦労、慟哭、後悔、成功も失敗も、全てを呑み込んでしまう悪魔の所業だ。全てをなかったことにしてしまう、全てを水泡と帰してしまう』──そりゃあ、時間自体を戻してしまえば、全ての物事は夢幻と変わらない。やり直し──リセットボタンを押すようなものだ」
「だからこそ、アキ・ポッターは選ばないと思っていた。君は努力や想いを大事にするタイプの人間だと」
「努力も想いも大事さ。それよりも結果の方が大事だと、そういうことだよ。時間を巻き戻してしまえば、全てを救える。幣原秋の両親も、ジェームズやリリーもエリス先輩も、リオンやヴィッガーも、マッド・アイも、レギュラスも、ライ先輩のご家族も、アクアの両親だって……幣原だって、君だって」
黒の瞳が、赤の瞳を捕捉した。
「『もし、この本を使おうと、君たちが願うのならば。その時は、僕は全力をもって、君たちを手助けすると誓おう』──君が言った言葉だよ。違えないで」
「……違えないよ」
息を吐いて、僅かに微笑んだ。
アキは笑うことなく、ただシンとした目でリドルを見る。
「君の言葉を信じよう。君が殺したヴォルデモートが、君の『選びたくもなかった未来』であると信じよう。幣原直を殺したくなかったと、その言葉を、ぼくは信じよう」
そこでアキは僅かに頭を振った。「うるさいよ……何」と、額に手を当てる。
「……なんだ、そんなこと。何、君の親友だろう? 親友ならば君の望む答えを弾き出してくれるはずさ。賭けだと言ったでしょ、最初から。親友を信じてやりなよ。それとも何? 既に賭けに負けたときのことを考えているの? ……なら黙ってな。結果を待っていなよ」
書き切った魔法陣を、アキは確かめるように見つめ「大丈夫かな」とリドルに尋ねる。「きっと大丈夫だ」と、その出来栄えに太鼓判を押した。
「君にそう言われると安心するよ」とアキは無邪気に笑む。
「本当、梓さんの言葉が今更になって沁み入るよ……『幣原家は、時を司る家系だということを』なんて、これ解読してみたら、どうしようもなく暗示的だ。梓さんがこの本を使えなかったのは、単にこの術が
アキはそう言って笑うと、肩を落とした。
「これがもし物語だとして、読者はこんな結末認めないだろうね。でも、認めてもらえなくたって構わない。読者のために書いた物語じゃない。たとえ無茶苦茶だとしても、そこにぼくの理想があるのならば──ぼくは、そこに手を伸ばすだけだ」
その時、ノック音が響いた。リドルとアキは目を見合わせる。
音もなく、リドルはその場に溶けるように消え失せた。
「どうぞ」
アキは微笑んで入室を促す。誰が来たのか、予想がついているような穏やかな笑みだった。
「……やっぱりあなただと思っていました。セブルス・スネイプ教授」
セブルスは、アキを見据えて口を開いた。
「幣原秋に、会わせて欲しい。あいつと──話がしたい」
心が決まった、眼差しだった。
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