──風景が、どんどん遠ざかる。
わたしたちを乗せたホグワーツ特急は、みるみるうちに速度を上げては、ホグワーツに向かって進み始めた。
「ソラ、いつまでも窓から頭を出してちゃ危ないわよ……って、あなた泣いてるの!?」
わたしの肩を掴んだローズは、いきなりボロボロと泣き出したわたしを見て、ギョッとした顔をした。アルバスもびっくりした顔をしている。
「だって、だって……」
寮生活への不安と、家族と離れる心細さで、胸がいっぱいになってしまうのだ。
ホグワーツに馴染めなかったら? 授業についていけなかったら? 友達がひとりも出来なかったら……?
ヒカルはしばらく眉根を寄せて、涙を零すわたしを見ていたが、やがてため息を吐くと「ソラ」とわたしの名を呼んだ。
「お前、甘ったれでビビりだもんな。新しい世界に怖がるのもわかるよ。……でも、父さんも言ってたけど、お前には味方がいっぱいいるんだ。ここにいる奴らも、今日見送りに来てくれた人たちも、みんなお前の味方だよ。……それに、何かあったら、絶対に僕が助けてやるから」
あと父さんも、と、ヒカルは思い出したように付け加えては、わたしの涙を少し乱暴に拭う。
「ひとりぼっちにはならないよ。お前には『それ』もついてるんだ」
ぁ、と小さく呟いて、わたしはリドルさんの指輪を服越しに握り締めた。
……そっか。わたしには、リドルさんも一緒にいてくれるんだ。
そう思うと、なんだか少しだけ心が軽くなった。
頷くと、ヒカルは安堵したように微笑んだ。
「じゃ、僕は着くまで寝るから」と言ったヒカルは、そのままアイマスクを装着すると腕を組む。
ヒカルは乗り物に弱いから、きっとホグワーツに到着するまで寝てやり過ごす魂胆だな。
「……ヒカルは、そういうことをさらっと言えちゃうから、カッコいいんだよなぁ……」
アルバスは小声でそんなことを呟いていた。
ローズが頷く。
「手のかかる下の子を持つと、上の子はしっかりするって話かしら……あーあ、私もお兄ちゃんが欲しかったな」
「兄なんて、いてもロクなものじゃないよ」
「まぁ、ジェームズはねぇ……」
苦笑したローズは、ふとわたしを見ては話題を変えた。
「そういえば、ソラには聞いたことなかったな。ソラって、入りたい寮とかあったりするの?」
「……入りたい寮?」
思わず目を瞬かせる。そんなわたしの反応を見て「ほら」とアルバスは肩を竦めた。
「やっぱり。ソラはそういう反応すると思ったんだ。新しい生活や新しい人間関係にはこんなにビビってんのに、寮についての不安だけは、ただの一度もソラの口から出てきたことがないんだから」
「そ、そんなことない……はず」
どうだろ、よくわかんないけど……。
「それなら、二人は入りたい寮なんてあるの?」
そんなわたしの問いかけに、アルバスとローズは顔を見合わせた。そのまま二人で話し始める。
「……なんで? どうしてあんな能天気でいられるの? 不安で堪らない私たちの方がおかしいみたいじゃない!」
「わかるよローズ、ソラはちょっとズレてるんだよ」
二人の言い草に、なんだかちょっとムッとする。
「でも、寮なんてどうでも良くない? 大事なのはその後、決まった寮にどれだけ馴染めるかであって、たとえどの寮に入ったとしても、寮自体に当たり外れはないでしょう?」
「そう考えられるソラは幸運なんだよ。ある意味マグル生まれみたいだよね。何にも知らないから、素直に身を委ねていられるんだ」
アルバスが皮肉っぽく笑ってみせた。
それを見て黙っていられるほど、わたしは気が長くはない。
「じゃあ、アルバスは寮の善し悪しを知ってるってわけ? 闇の陣営の配下だった人たちはスリザリン出身者が多いから、スリザリンは悪い人たちの巣窟だって思ってんの? それこそ、何も知らない人の言い草じゃない。それじゃあ一体、わたしのお母さんは何だって言うの。スネイプ教授の名前を継いだあなたが、どうしてそんなことを口にするの? ……あっ」
思わずヒートアップしてしまった。そのことに気が付いて、慌てて口をつぐむ。
「ごめんなさい……揉めたかったわけじゃないの」
アルバスは物言いたげにわたしを見ては、そのまま俯いてしまった。
「……僕は、ただ……スリザリンは勇敢な者が行く寮じゃないって……ジェームズが、僕を脅かすから……」
その時、背後から声がした。
「仕方ないよ、ソラ。だって彼は、かの有名なハリー・ポッターの息子なんだ。それも一番似ていると評判の、ね」
スコーピウス・マルフォイは、そう言って諦めたように微笑んだ。
「……スコーピウス……」
席を探していたのだろうか、彼の足元にはトランクがある。ローズとアルバスが、ハッとした表情でスコーピウスの顔を見た。
スコーピウスは、わたしにちらりと目を遣っては口を開く。
「闇の魔術へ傾倒した者が、スリザリンから多く輩出された。それは否定できない事実だよ、ソラ。多かれ少なかれ、スリザリンに組み分けされた者は闇の魔術に適性があるし……闇の帝王、ヴォルデモートの手先として動いていた『死喰い人』は、その半数がスリザリン卒業生だ。そう──僕の父親も含めてね」
乾いた声で、スコーピウスは笑った。ローズがぎゅっと顔を顰める。
「あなたのママも、じゃないの?」
口元に笑みを浮かべたまま、スコーピウスはローズを見据えた。しかしその目は一切笑っていない。
「そうか、君は、あの噂を知ってるんだね。……あんなの、ただの噂で、戯言なのに」
「何の噂?」
好奇心に駆られたアルバスが尋ねる。スコーピウスは、次はアルバスへと向き直った。
「僕の両親には子供が出来なかった、そういう『うわさ』だよ。その噂では、父も祖父も、マルフォイ家の血筋を絶やさないようにと、強い後継ぎが欲しくて必死だったのさ」
「や、やめて、スコーピウス」
そんなの、ただの根も歯もない噂だ。父も母もユークおじさんも、わたしの知る大人の誰もが皆、バカげた妄言だって思ってる。
それなのに、スコーピウスが、あなた自身が、それを自虐するの?
「いいんだ。わかっていたよ、ソラ。さっき父上も話していた。ハリー・ポッターとジニー・ウィーズリーの息子、アルバス・セブルス・ポッター。それに、ロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーの娘、ローズ・グレンジャー-ウィーズリー。彼らと僕は、きっとどう足掻いても友人にはなれないだろうってね。あぁ、きっと、君達は、勇気ある者が集う寮、グリフィンドールに入るのだろうし、僕もきっと間違いなく、スリザリンへ組み分けられることだろう。父親たちと同じように、僕らも憎み合うことになる。それが、定められた僕らの運命ってものだよ、ソラ」
スコーピウスはそう言うと、舞台役者のように大袈裟に両手を広げてみせた。
「僕の父と祖父は、強い世継ぎが欲しかった。だから二人は『
重たい沈黙が、痛いほど場を支配する。
スコーピウスは静かに笑った。そのまま踵を返し、コンパートメントから出て行こうとする。
あ、と、思わずスコーピウスに手を伸ばした。
──違う、違う、違うのに。
過去の罪は、確かに罪なのかもしれない。
でも、今のわたしたちが、いつまでもそんなことに囚われていてはいけないでしょ。
スリザリン出身者が、みんな悪い人のように──そんなことを言うのは、間違ってるでしょ。
スリザリンとグリフィンドールは、どう頑張っても手を取り合えないの?
それが、運命だとでも言うの?
でも、わたしの手は届かなかった。
スコーピウスの腕を掴んで引き留めたのは、誰あろう、ヒカルの腕だった。
「へっ? えっ、あっ、ヒカル……わぁぁあっっ!?」
アイマスクを押し上げ、不機嫌そうな仏頂面を晒したヒカルは、そのままスコーピウスの腕を引っ張ると、自分の腕の中に囲い込む。
ヒカルの膝に無理矢理座らされたスコーピウスは、何が起きたかわからないとでも言いたげに、目を白黒とさせていた。
「うるさい」
ヒカルの低い声に、思わず肩を跳ねさせる。
「……マルフォイ家の血を絶やしたくなかったってんなら、母親じゃなくて父親が過去に行くべきだろ。そもそも『
眉を寄せたヒカルは、そのまま狭いコンパートメントをぐるりと見回した。アルバスとローズはパッと目を伏せる。
「まだ、寮に組み分けられてもいないのに。噂で判断してんなよ、その実情はお前らの目と耳で確かめろ」
先ほどとはまた違った種類の静寂が、コンパートメントを包み込んだ。
打ち破ったのは、新たな声で。
「──へー、イイこと言うじゃん、ヒカル坊?」
コンパートメントの扉を開けた彼女は、わたしたちを笑顔で見渡した。目を見開いたわたしは、思わず立ち上がると彼女に駆け寄っていく。
「ナイト!」
レイブンクローのローブを纏ったナイト・フィスナーは、わたしを見ては「ソラー! 今年入学だもんね、おめでとー!」とにっこり笑い、身を屈めてわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。
父の友人、アリスおじさんの娘──正確には遠縁の親戚を養子として引き取ったらしい──ナイト・フィスナーは、密かにわたしの憧れだった。
金の長い髪に青い瞳は、まるで御伽噺に出てくるお姫様みたい。それでも明るい表情やスッキリとした性格は、そのお姫様みたいな外見を良い意味で裏切ってくる。
わたしより六つも歳上で、面倒見が良くて優しくて、ほんと、ナイトがお姉ちゃんだったらいいのになぁ。
「ナイト、一体どうしたの?」
「どうしたもないよ。あたしは監督生だからね、コンパートメントの見回りも大事な仕事なの。あっ、初めましての子もいるね。あたし、ナイト・フィスナーって言うの。見ての通りレイブンクローの監督生兼首席です。どうどう、レイブンクローに入らない? 歓迎するぜ?」
ナイトがアルバスとローズに握手を求めた。二人はちょっとはにかみながら、それぞれ「アルバス・ポッターです」「ローズ・グレンジャー-ウィーズリーよ」と挨拶を返す。
「あぁ、君がロン・ウィーズリーの子供だね? 先日の全英チェス選手権は素晴らしかった……うちの養父が見嵌ってたよ。次の活躍にも期待してる、だってさ」
「あ、あの、私、チェスには詳しくなくって」
ローズはパッと頬を染めた。あぁごめんね、とナイトは両手を振って見せる。
「いいんだ、君のお父上はあんまり自分の戦績に興味がない人だからね。ひけらかさないのは、君のお父上の美徳でもある。でもローズ、君のお父上はなかなか凄いプレイヤーなんだぜ? ……ふふ、一年生はちっちゃくて可愛いなぁ。初々しいって言うの? それに比べて坊はさぁ、もう三年生だからって、すっかり可愛げもなくなっちゃって。あ、背丈は一年生に埋もれちゃうくらいちっちゃかったかな〜?」
「坊って言うな。見てろよ、いつか必ずアンタの背も抜かしてやるからな」
ヒカルは半眼でナイトを睨んだ。おーおーとナイトは楽しげに、ヒカルの顔を覗き込む。
「可愛い顔で睨んだって怖くないね。拗ねてんのかい? ソラみたいに頭でも撫でてあげようか?」
「やめろって……そういや、さっきプラットホームでアンタの姿を見かけたんだけど、アリスおじさんは見送りには来なかったの?」
ヒカルがナイトに尋ねる。いつの間に。わたしも外は見てたけど、人が多くてナイトの姿を見つけられなかったんだ。
ナイトは楽しそうにケラケラと笑った。
「目敏いねー、アンタ、アリス・フィスナーのこと大好きだもんね。でもうちの養父があたしを見送りに来てくれるなんてそうそうないよ? 夏休みもなかなか帰って来なかったし、おかげさまであたしは超自由な夏休みを過ごせましたが。って、しょっちゅう夕飯に呼んでくれたんだもん、そのくらい知ってるか」
「知ってる……アリスおじさん以上に忙しい人なんて、そういないって」
ヒカルはそう言うと、眉を寄せて立ち上がった。スコーピウスを空いた座席に座らせると、そのままふらふらとコンパートメントから出て行こうとする。
「ヒカル、大丈夫?」
「ダメかも。ちょっと風に当たってくる」
「教授からもらった薬は?」
「持ってる」
そう言って、ヒカルはそのまま歩いて行った。
「付いてこうかー?」
ナイトの声に、ヒカルは気にしないでと言わんばかりにひらひらと手を振る。
あらまとナイトは腰に手を当てヒカルの背中を眺めていたが、やがて笑みを浮かべては、わたし達を見渡した。
「……さて、一年生ちゃんたち。各々、寮への好き嫌いがあるのは仕方ない。でもさ、案外入ってしまえば、愛着だって湧くものよ。どの寮にも良いところはあって、どの寮にも欠点はある。人間関係とおんなじさ。君達が入ることになる寮が、住めば都となるように祈ってるよ」
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