ヴィゼンガモッド裁判所にて、英国魔法界の全裁判は執り行われる。
裁判を待つ被告人が収容される留置所の面会室で、闇祓いの黒衣を纏ったアクアマリン・ポッターは、待ち人が来るのを静かに待っていた。
やがて奥の扉が開かれる。両脇を刑務官に固められたセオドール・ノットは、促されてアクアが座る椅子の正面に腰掛けた。
二人の間には不可侵の魔法結界が張られており、双方どちらからも手出しが出来ぬようになっている。
刑務官はそのままアクアに一礼すると、速やかに退室した。
刑務官がいなくなったことを確かめ、セオドールはアクアに微笑みを向ける。
「……久しぶりだな、アクアマリン。卒業以来か。……学生の頃よりずっと綺麗になった。自分を押し込めることなく、やりたいことが出来ているからかな? 昔の君は、いつも陰鬱と顔を伏せがちだった」
アクアが想像していたよりずっと柔らかな口調だった。
その声に、アクアも意図して緊張を解く。
「……えぇ。久しぶりね、セオドール。面会の申し出を受けてくれて何よりだわ」
「知りもしないグリフィンドール出身の人間から取り調べを受けるより、気心知れた旧友の方が安心できるというものだろう?」
「あら、あなたが私を友達と思ってくれていたなんて。私達、接点なんてあったかしら?」
スリザリン寮出身者の中でアクアが友人と認めているのは、ドラコ・マルフォイとダフネ・グリーングラスの二人だけだ。七年間同じ教室で学んだ間柄だとしても、アクアにとってそんな学友など『他人』に等しい。
「なに、ホグワーツで七年間を過ごしたクラスメイトじゃないか。それに、君は知らないかもしれないが、君とお近づきになりたい男は多かった……どれもドラコに阻まれたがね」
「……そう。それは、知らなかったけれど。でもあなたは、私に興味があるようには見えなかったわ」
アクアの言葉に、セオドールは薄っすらと笑ってみせる。
「そんなことはないさ。きゃあきゃあ騒がしい女共より、君の無口さは心地よかった。それに……ほら、接点ならある。覚えているかい? 確か五年の頃だっけ、『ザ・クィブラー』に、私たちの親が死喰い人だと共に書き立てられたこともあっただろう?」
セオドールの声には皮肉げな響きが込められていた。
当時──『ヴォルデモートが蘇った』というハリーの言葉を黙殺し続ける魔法省に対抗するため、ルーナの父が編集長を務める『ザ・クィブラー』にて、ハリーに四校対抗試合のその後──
セオドールは続ける。
「ハリー・ポッターの告発は見事なものだった。特に瞠目すべきは、彼の記憶の鮮明さだ。闇の帝王が復活した時集まった死喰い人の大半は、ポッターが初めて見た者共だっただろうに……初めて目にした大人の名前をしっかり記憶しておくなんて、並の子供にできることじゃない。あの記事を目にしたとき、誰かが裏で情報を提供したのではと訝しんだものだよ。そう、例えば……死喰い人である両親の思想が受け入れられなかった子供が、親やその他大人たちを良い機会とばかりに売り飛ばしたんじゃないかとね……」
セオドールは含みのある眼差しでアクアを見つめている。
アクアは口元に笑みを浮かべた。
「……再会を喜ぶ挨拶は、もうこの辺りで良いかしら。本題に入りましょう、セオドール」
「勿論だよ、アクアマリン。君の貴重な時間を奪ってしまいすまなかったね」
セオドールは慇懃に謝罪の言葉を口にする。いいえと首を振った。
「どうしてあなたが此処に拘留されているか、理由はわかっているわよね」
「非合法な不正品を所持していたからだろう?」
アクアの問いに、セオドールはさらりと答える。そうよと頷いたアクアは、懐から金の鎖に繋がれた時計を取り出すと、セオドールに見えるようにそっと掲げた。
「あなたの自宅からは多くの物が押収されたわ。その内、一番貴重だと考えられるものが、これ──
逆転時計を見ても、セオドールは表情を変えない。
アクアは続ける。
「あなたの自宅からは、作成途中と思われる品も幾つも見つかった。魔力の痕跡も、あなたが製作者で間違いないと示している。あなたは学生時代から、とても頭が良い人だったわね。……あなたがこれを作ったのは何故?」
「学術的な興味だよ。法を踏み越えたことはすまなかった。そんなつもりはなかったんだ」
セオドールはひらひらと片手を振ってみせた。
アクアは静かに目を細める。
「いいえ。少なくともあなたは自覚的だったはず。あなたの自宅からは、既に闇の魔術が掛けられた品が複数見つかっているわ。言い逃れは得策じゃないと思うけれど? ……あなたはいつも慎重だった。粗忽者の死喰い人が、あなたとの契約書を自宅の金庫に入れてさえいなければ、あなたが捕まるのはまだ当分先だったでしょうね」
アクアの言葉に、セオドールは表情を消した。やがて低い声で呟く。
「……なるほど。縁故ある者と融通を効かせたが、バカと取引したのが間違いだった」
罪を認めたも同然の言葉だった。
矜持が高い彼のこと、一度口に出した言葉を翻しはしないだろう。この先の取り調べはずっと楽になる。
「……一体どうして、あなたは死喰い人に協力したの?」
アクアの疑問はそこだった。
既に闇の帝王はいない。彼らの主は、この世の何処にもいないのだ。
それでも残った死喰い人は細々と活動を続けていたし、アクアら闇祓いがいくら捕らえても、なかなかその数が減る様子は見えなかった。
そして、先日の死喰い人一斉検挙──
活動が激化していることは明らかだ。
──一体どうして?
しかしアクアの言葉を聞き、セオドールは目を丸くした。
「……『どうして』? なぁアクアマリン、君は私に『どうして』と訊いたのか?」
やがて俯いた彼は、顔を覆うと肩を震わせ笑い出す。
「ふっ……はは、はははっ……! いや失敬、でもあまりにも、信じられない物言いだったもので……『どうして』と来た! ベルフェゴールのご令嬢が『どうして』と! こんなことがあるものか? 君のご両親に同情さえもしてしまうと言うものさ。ベルフェゴールの長子に生まれ、ドラコの元婚約者でもあり、スリザリン寮で七年間を過ごした君が──君が! どれだけ手を焼いたことだろう? 君のご両親の心労を、察するだけで余りある!
『どうして』なんて、普通は聞くまでもなく知っているのさ。我々は、闇の帝王の思想に同調したのではない。闇の帝王の方こそが、我々の思想に賛同し、手を貸してくださったのだ」
セオドールは顔を上げる。
そこにはもう、アクアの知るセオドール・ノットはいなかった。
七年間を共に過ごした。お互い最低限しか話さなかった。学校生活中に交わした言葉よりも、今の数分の間の会話の方が多い程だ。
それでも少しは知っていた。
スリザリンの中で誰よりも頭が良かった彼。子供の頃の、何でも見下す性質があったドラコでさえ、セオドールにはある種の敬意を持って接していた。決して目立たず前に出ず、父親が死喰い人として投獄された時であっても、下世話な噂話の全てに沈黙を貫いていた。
少しだけ、期待したこともあったのに。
(あぁ、これは、この目は)
深淵をも想起させる、底の見えない昏い瞳。
ある一線を踏み越えてしまった者だけが持つ、混沌を煮詰めたような色合い。
父や母、近くにいた大人たち。そして──アキも稀に、瞳に宿す昏い色。
(この目を、私は知っている)
この目は、ひとごろしの目だ。
他人の命を己の意志にて奪った者に、共通するまなざしだ。
「……逆転時計を作ったのは、何故?」
膝の上に置いた拳を、もう一度強く握り直す。
セオドールは目を細めてアクアを見返した。
「依頼を受けたからさ」
「ホグワーツの戦いまで時間を戻し、ハリー・ポッターに闇の帝王を倒させないためではないのかと訊いているのよ」
アクアの言葉に、セオドールは顔を歪め笑う。
「依頼主が腹の底で何を考えていたのかまでは、私の知ったことじゃない。だが、そうだね……それは随分と、夢のある物語だとも言える」
「あら……意外ね。未だに
アクアは、そっと口角を上げた。
「……死喰い人が皆それぞれ日常に戻る中、ベルフェゴールだけが血眼で闇の帝王を探し続けたわ。闇の帝王のためを思い、幾人もの魔法使いとマグルを手に掛けてきた。主の座がたとえ空でも、
アクアマリンとしてではなく、狂信的な信徒を親に持つ子どもであった者として。
ベルフェゴールの娘として言葉を紡いだアクアに対し、セオドールは目を細めて笑ってみせた。
「君の意見には、ある程度同意しよう。闇の帝王は、確かに我々死喰い人の主だった。……だが、一部訂正させてもらうとすれば。闇の帝王に心酔していたのは君の両親も含めてほんの一握りであり、死喰い人の大半は、彼の力が恐ろしくて服従していたのだということを、君も知っておくべきだろう──癇癪を起こして死の呪文を部下に乱射するような上司、君ならいつまでも従っていたいと思うかい?」
「…………」
「象徴だけで良いんだよ、アクアマリン。必要なのは有象無象を纏めることのできる旗頭だ。例えば血統。純血主義の名門と言えば、誰もが知っているブラック家か。あそこの当主が死喰い人に賛同してくれれば良かったんだが、かの有名なシリウス・ブラックにそんなことは持ちかけられまい。例えば魔力。闇の帝王に並び立つほどの強力な魔力の持ち主がひょいほい居れば苦労はしないんだがね。そう言えば君の旦那──アキ・ポッターも、短い間ではあったものの、死喰い人と名乗っていたっけ? 惜しいなぁ。ひょっとして、君から頼めばもう一度死喰い人になってくれたりはしないかい?」
「……冗談でしょう」
「あぁ、冗談さ。だからそんな、冷たい眼差しで睨まないでくれるかな?」
もう一度、眉をギュッと寄せた。それでも背に腹は変えられない。何気ない会話の端々から、往々にしてヒントは溢れるものだ。
最近の死喰い人の活発化の理由。
セオドールは『象徴』という単語を口にした。
例えば血統。例えば魔力。
シリウス・ブラックやアキ・ポッターを挙げて見せた、彼の真意とは──
「…………ひょっとして、もう『いる』の?」
ハッと顔を上げた。セオドールをじっと見る。
「純血主義の象徴。死喰い人を纏めるに足る、そんな旗頭となり得る人物が、既にどこかにいると言うの?」
「……あぁ、そう言えば──」
セオドールはわざとらしく、視線を空に彷徨わせた。
「逆転時計に纏わる、妙な噂が流れていたような気がするね。闇の帝王の子が、いるとかいないとか……私の記憶が確かなら、それはとある純血主義の、ある直系の子に立っていた噂だったっけ──」
セオドールの言葉は、わかりやすくスコーピウス・マルフォイのことを示していた。
ルシウス・マルフォイが、アストリア・グリーングラスをかつての闇の帝王の元へと送り──そうしてスコーピウスが生まれたのだという、あの噂。
それでも、あの噂がデマであることは間違いないのだ。
スコーピウスは正しくドラコの息子だ。アストリアに不貞はない。アキもユークも、身近な人は誰一人として、そんな噂を間に受けることはなかった。
そもそも闇の帝王の子供など、そんなものは数世代も前からのよくある噂話でしかない。
それが、今更、そんな、バカバカしい噂話が。
「気になるなら、ルシウス・マルフォイに確かめてみればいい」
そう言って、セオドールはニンマリと笑う。
「ドラコの婚約者であった──『元』婚約者である君になら、あのルシウス・マルフォイも、本当のことを話すかもしれないよ?」
「────あなた」
「そろそろ、面会の終了時間だ」
セオドールの言葉の直後、背後の扉が開かれた。入ってきた二人の刑務官は、アクアに黙礼した後、セオドールの両脇に立つ。
セオドールは立ち上がると、薄い微笑みをアクアに向けた。
「君と話せて嬉しかったよ、アクアマリン。私が話した言葉が、果たして君の餞別となれば良いのだが。何せ、最初に告げたように、私は君のことを気に入っていたのだから──」
その右手が、自身の鳩尾へと動く。
「……っ、失礼」
自ら鳩尾を強く圧迫したセオドールは、身を屈めて数度咳き込んだ。何事もなかったかのように身を起こすと、アクアを見遣り歯を剥いて笑ってみせる。
その歯の間に挟まる、水晶の欠片。
頭より先に、心が警告を下す。
私はこの水晶を、どこかで見たことがある──
その水晶が一体何か、気付いた瞬間、青ざめた。
「……彼からその水晶を取り上げて!!」
アクアの怒鳴り声に、刑務官が慌ててセオドールを取り押さえる。
ロクな抵抗もしないまま、セオドールは両手を押さえられ、床に叩きつけられた。
見覚えがある、どころの話ではない。
あの水晶は、アキ・ポッターが作ったお守りだ。
『誰一人犠牲は出さない』との信念の元、ホグワーツの戦いの直前に、アキは全校生徒に対し、自らの魔力を込めたお守りを手製した。
『持ち主を一度だけ災厄から守る』とされるお守りは、ホグワーツの戦い以後、一体幾つこの世に残ったのか。
──意図を持った何者かが、その残りを蒐集していたとしたら?
(…………アキ)
愛する者の名を、心の中で呟く。
彼の祈りが篭った品が、真逆の意図で利用されようとしている──
セオドールが水晶を吐き出す様を、アクアは慄きながら見つめていた。
いいねを押すと一言あとがきが読めます