来訪は十八時の予定だった。
杖を振りお茶の準備をする。湯が沸いた頃合いで、暖炉に緑の炎が灯った。次いで「……ぃでっ」とくぐもった声も。
暖炉の前で折り重なるように倒れる二人を見ながら、アキはもう一度時計を見た。
「五十五分。五分前だね、時間通りだ。ハリーがいるから十分は遅れるかなって思ってたんだけど、ハーマイオニーがいるから早めに用意してて正解だったや」
「アキ、ひょっとして、私のことを遅刻魔だと思ってる?」
顔を上げたハリーは恨みがましい目でアキを見上げる。ハーマイオニーも身を起こしながら「いつも遅れるのは本当でしょ。自業自得よ」とクスクス笑った。
「ほら、二人ともいらっしゃい」
立ち上がる二人に手を貸すとソファを示す。三人分の紅茶とお茶請けをテーブルに置き、アキも二人の正面に腰掛けた。
「さて。アクアから大体の話は聞いてるよ。早速本題に入ろうか」
「話が早くて助かるわ、アキ」
にっこりと笑うハーマイオニーの隣で、ハリーがテーブルの上に何かを置く。
アキは手を触れずにそれを眺めた。金の鎖に繋がれた時計、それは──
「私達が使っていたものとはデザインが違うね」
「
「ふぅん……」
杖先を逆転時計に触れさせる。
ふわりと浮いた逆転時計は、そのまま魔法式の渦の中に飲み込まれた。
アキを見ながら、ハリーは口を開く。
「この逆転時計を、君に預かっていて欲しいんだ。ホグワーツ以上に安全な場所はないし、君以上の術者はこの英国に二人といない。世界で一番安全な場所だと思う」
「……ハリー、正気かい? この私に、そんな無防備に逆転時計を渡すだなんて。『ぼく』がかつてやったこと、忘れたわけじゃないだろう?」
思わず唇を歪めていた。
自分には前科がある。かつて時を巻き戻し、世界を書き換えようとした前科が。
未遂で終わりはしたものの、記した魔法式はどれも須く本物だ。
選ばれなければ本当にやる気だった。
本気で、幣原秋がその手を血染めにしない世界を創る気だった。
(まぁ半分は、選ばれなかったことへの復讐だけど)
こんな自分を頭から信じるなんて、馬鹿げてる。
──それでも、自分の兄は根っからの馬鹿野郎のようで。
アキを真っ直ぐ見つめたハリーは、嘘偽りもない声で「正気だよ。私は君を信じている」と答えた。
「君はアクアの夫として、ヒカルとソラの父親として、ホグワーツ教師として、そして何より私の大切な双子の弟として、この先も生きてくれる。何があっても。私は、それを確信してるんだ」
「……はは。相変わらず君は、頭が痛くなるくらい真っ直ぐだね」
「そいつは重畳」
ハリーはしれっとした顔だ。
アキはため息をついて「いいよ。承諾しよう」と肩を竦める。
「期限はいつまで?」
「ひとまず年内、都度更新ってことで」
「うわ、それ永遠に延ばされ続けるやつだ」
「まぁま、よろしくね、アキ。何、君の
「簡単に言ってくれるけどねぇ、かつての神秘部のように部外者立ち入り禁止ならともかくとして、一般人の入場が自由となるとどれだけのセキュリティを求められるかわかってるの? あぁもう、わかったよ……」
「流石は我が弟♪」とハリーはニコニコしながら片目を瞑った。その表情がふと真面目なものへと変わる。
「──それと、もう一つ話しておかなければならないことがある。アキ、君がかつて作った──」
「水晶の件だろ。聞いてはいるよ……参ったね」
頭を掻いてソファに身を沈めた。
ハーマイオニーがそっと眉を寄せる。
「『持ち主を一度だけ災厄から守る』お守り……その様子じゃ、まだお守りの効果は続いているわけね。アキの側から機能を停止させたりは出来ないの?」
「出来ないね。あれは致命的な呪いをたった一度だけ無効化させるだけの代物だ。かつての私がばら撒いた水晶は、当時の全校生徒である千百四十五人分。ホグワーツの戦いで失なわれたのは、多めに見積もったとしても三割弱。当時の私は『犠牲をゼロにする』ことを掲げていた。誰一人として死なぬよう万全を期した、それが仇になったかな」
「仇だなんて……あなたはただ、皆を守ろうとしたのでしょう?」
アキを見て、ハーマイオニーは取りなすように微笑んだ。
いいやとゆるりと首を振る。
「それでも。現状こうして懸念が出ている以上、これは私の不手際だよ。何にせよ、犠牲が出る前に発覚して良かった……回収はユークに頼んである。渋々ではあったけど了承してくれた」
僕に闇市場を仕切らせるなんて、この借りは五倍にして返してもらいますからね、なんてボヤいていたっけ。それでも頼み事をすると引き受けてくれるのだ、なんだかんだで優しい義弟だと思う。
良かったとハリーは肩を落とした。
「
そろそろお暇しようと二人は腰を上げる。
頷いてアキも立ち上がった。
「……ねぇハリー。一個だけ聞いてもいいかい?」
暖炉に向かうハリーに声をかける。
ハリーは笑みを浮かべてアキを振り返った。
「なんだい?」
「アルバスのことだよ。スリザリンに組み分けられたことについて、君から何か声を掛けたさりした?」
「いや?」
どうして? とハリーの目が問い掛けている。
うぅんと思わず眉を寄せた。
「スリザリンに入ったからって何だと言うんだい? 入った寮でその人の価値は変わらない。いつもそう言っているのは、アキ、他でもない君じゃないか」
「ハリー、そうは言っても子供は気にするものだよ。君は確かに驕らないし、君の子供は自分の父親がどれだけ有名なのかも知らずに育ってきた。だからこそ言ってるんだ。アルバスはホグワーツに入っていきなり他者からの評価を浴びたんだよ。スリザリンにひとり組み分けられたアルバスが今どんな気持ちなのか、君には想像付くかい? お前は父親とは違う、父親ほど勇敢じゃない、そう言われる子の気持ちがわかるかい?」
アキの言葉に、ハリーはそっと眉を寄せた。
「アキ、私は勇敢などではないよ。ただ運が良くて、周囲の人に恵まれてただけ。君ならわかるだろ? 私が欲しかったのは、普通で平穏なありふれた生活なんだ。勇敢じゃなくても特別じゃなくても生きられる世界、いいじゃないか? 私は子供に勇敢さを求めないし、グリフィンドールに入って欲しいと願ったことも一度だってない」
「たとえ君がそうであったとしても、噂は広まるものだ。ハリー、アルバスに手紙を書くんだ。君が考えている以上に、君はアルバスのことを知らないし、アルバスも君のことを知らないんだよ」
「噂は所詮噂だ、しばらくすれば収まるだろう。血を分けた息子のことを、私がわからないはずもない。それに、アルバスは私に一番似ているんだ」
そう言って胸を張るハリーに、思わず口ごもってしまう。
ハリーは親を知らない分、どうも理想を投影しがちだ。親と子ならば、多くの言葉を交わさずとも分かり合えるものだと思っている。
親は子を愛するものだし、当然、子は親を愛するものだと──そう考えている。
その愛は確かに尊いけれど、何もせずして手に入るような代物ではない。
「……似ているからと言って、君とアルバスは違う人格だ。それに、似ているからこそ比較される。世間が思う『ハリー・ポッター』の偶像と、ずっと見比べられ続けてしまうんだよ。ただ、君の子供に生まれたというだけで。今、アルバスが一番必要としているのは」
「──なのかい?」
「……え?」
「アルバスは、暴力を受けているのかい?」
そう言ったハリーに、一瞬面食らう。
否定の言葉は一拍遅れた。
「い、いや……少なくともこちらでは、そのような状況は把握してないが……」
報告が上がってきていないだけの可能性は否定できない。
監視の目は全てには行き届かない。できる限りを尽くしているものの、穴は必ず何処かに出来、そして加害者はその穴を決して見逃さない。
(幣原が、いい例だ)
「なら良かった」
ホッとしたような表情でハリーは笑う。その笑みを思わず見咎めた。
「ハリー、学校を過信しないでくれ。子供の異変を見逃さないで。最悪の事態になってからじゃ遅いんだよ」
「アキ、君は神経質なんだよ。ただの噂、そうだろう? 私たちだって、当時は散々食らったじゃないか。そんな噂、無視しておけばいずれ勝手に収まるものだ。わざわざ君が、教師が出張るものじゃないと思うけど」
「それが、過信だと言ってるんだよ。ねぇハリー、お願いだって……」
「過信じゃない」
ハリーはきっぱりと言い、アキに向き直る。
「学校に過信なんてしたことない。ダドリー軍団に対して、先生は何かをしてくれた? 私の噂に対し、学校は何かをしてくれた?
「…………、でも」
「ごめんなさいアキ、時間が押してるの」
ハーマイオニーがそっと、ハリーに手を伸ばすアキを押し留めた。
「またね、アキ。何か進展あったらアクアに託すわ」
「うん……二人とも、忙しい中ありがとう」
「アキも、時間取ってくれてありがとう! ローズがよく手紙でアキ教授のことを話しているのよ! また、忙しくない時に話しましょうね」
二人が炎の中へと消える。
二人を見送ったアキは、ひとり静かに上げていた手を下ろした。ソファにストンと腰を下ろし、手の甲で目を抑える。
「…………領分、ね……」
ならどうすれば守れるのか。
どこまで行き着けば、大事なものを何一つ取り溢さずにいられるのか。
「こんな考え方してると、どう足掻いても幣原の二の舞になりそー……」
助けるとか、助けられないとか。
守るとか、守れないとか。
自分の手を限界まで伸ばしたところで、掴めないものは掴めないのに。
全てを救う手立てなんて──
「結局、ぜーんぶ、戯言……」
──時を戻してしまうより他はない
「…………」
その時、誰かが扉をノックした。アキは目を開け立ち上がる。
扉の前に立っていたのは、闇の魔術に対する防衛術教師、デルフィーニ・リドルだった。
「突然すみません。ちょっと、相談があって……寮監のことで、込み入った話になるんですけど」
「構わないよ。立ち話も何だ、中で話そう」
遠慮がちにそう言う彼女に笑みを返す。
室内へと足を踏み入れた彼女は、空いたカップを見て「来客ですか?」と尋ねた。
「ついさっきまでね。もう帰ったから気にしないで。片付いてなくてごめんね」
「いえ、突然来たのは私の方なので。……片付け、手伝いましょうか?」
「結構だよ。君は座っていてくれ」
指を鳴らすと、カップはふわふわと浮いてシンクに向かう。その様子を所在なげに眺めたデルフィーは、先ほどまでハリーとハーマイオニーが座っていたソファに腰を下ろした。
「……あ。これ……」
紅茶用の湯が沸くのを待っている間、デルフィーはふと声を上げる。アキは黙って目を向けた。
彼女の視線の先には、逆転時計がぽつんと転がっている。解析が一通り終わったのだ。
デルフィーは手を触れないまま、逆転時計をまじまじと見つめている。
「触れるだけなら害はないよ」
そう声を掛けると、デルフィーは慌てて両手を上げた。素手で触る勇気はないらしい。
「これ、もしかして
デルフィーの言葉に思わず目を瞠る。
ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「よくわかったね」
「……これでも、闇の魔術に対する防衛術の教師ですから。外観くらいは知識として記憶してます」
「優秀で頼もしいな」
淹れた紅茶をデルフィーの前に置く。空いたその手で、素早く逆転時計を攫った。
「あ……」
デルフィーは少し残念そうだ。逆転時計をローブのポケットに滑り込ませ、アキは悪戯っぽく笑ってみせる。
「先程の来客からの預かり物なんだ。片付けができないところを見せちゃって恥ずかしいな」
「いえ! アキのお部屋はいっつも綺麗に片付いてるから、こういう姿を見ると新鮮でなんだか嬉しいです!」
「物は言いようだね」
微笑みを浮かべたまま、デルフィーの正面に腰を下ろした。
「さて。一体、何の相談かな?」
「あっ、はい。あのですね──」
デルフィーの話を聞きながら、アキはそっとローブに手を入れる。
逆転時計の鎖を指に巻き付け、軽く目を伏せた。
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