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空の追憶

第27話 ジャスパー・グリーンFirst posted : 2022.11.13
Last update : 2022.11.13

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 魔法省に到着したのは、約束した時間より十分も遅かった。

 ローブを翻し、ドラコ・マルフォイは魔法省のエントランスを駆け抜ける。
 こんな公衆の面前で息を切らして走るなど、マルフォイ家の当主としてあってはならないことだった。父母がいれば渋い顔をしただろう。しかしそれ以上に、今のドラコにとっては待ち合わせ相手の元に一秒でも早く着くことの方が重要だった。

 エレベーターに飛び乗ると、行き先階を連打する。目的のラウンジに着いた頃には、息も絶え絶えになっていた。

「ま、待ち合わせだ……アリス……アリス・フィスナーを」

 受付の魔女にそう告げると、魔女は得心いった顔で「そちらの通路の一番奥でございます」と指し示した。彼女に一礼し、通路を進む。

 ラウンジの中は半個室になっており、盗聴防止呪文が張り巡らされていて、他者に聞かれたくない密談をするに適した空間となっている。その分魔法省にある他のラウンジよりも値段は跳ね上がるものの、自分も相手も今更そのようなことを気にするような立場ではない。

 一番奥の個室で、アリス・フィスナーは頬杖をついて座っていた。片手に持った小さな機械を弄っている。ドラコの足音に気が付いたアリスは、顔を上げると顰めっ面のまま、ドラコに対して入ってくるようジェスチャーをした。

「遅ぇ! 呼び出した側が遅刻してんじゃねぇぞ!」

 半透明の扉を押して中に入ると、すぐさま怒声が飛んできた。うげっと思わず身を竦める。

「わ、悪かった! 道が混んでて!」
「うるっせぇな、ここの料金全額お前持ちってことで手を打ってやるよ。俺を呼び出すんだったらあと三十分は早く来やがれこの野郎」
「三十分は流石に言い過ぎだろう!」

 とは言え、とドラコは思い直す。
 激務でお馴染み《中立不可侵》フィスナー家当主のアリス・フィスナーが、わざわざ時間を作ってくれただけでも結構凄いことなのだ。
 店員を呼び止めオーダーをする。アリスは呆れた口調で呟いた。

「そりゃお前、アキを通されちゃ俺だって融通効かせるさ。あんまりあいつを便利に使ってやるなよ、つーか直接連絡しろよ。別に知らない仲じゃないんだから」
「その、それは、ちょっと気を遣ってしまって……」
「逆に迷惑。ヘッタクソな気の回し方してんじゃねぇよ、そういうの滅茶苦茶苦手な癖に」

 短い金の髪に碧の瞳、左耳には雪印と群青のピアス。顔立ちは相変わらず人目を惹く。
 所属を示すローブは今は脱いでいて、シャツと緩めたネクタイが窺えた。普通であればただだらしなく見える着崩しも、嫌味なほどに整ったその顔があれば、不思議と決まって見えてしまう。

「それは何だ?」

 アリスの手に握られた、板のような機械を示した。
 手に収まるほどのサイズの機械に、何やら画面が映っているようだ。ん、とアリスは視線を向ける。

「あぁ、これ。マグルの世界のスマートフォンってやつだよ。携帯電話の進化版ってとこ? インターネットに繋がっていて、何処にいても世界中の人と連絡が取れる」
「すまー……? いんたーねっと……」

『電話』や『テレビ』くらいはかろうじて理解できるものの、その他はもうさっぱりだ。学生の頃も、マグル学は受講していなかったし。
「まー、純血の魔法使いとなるとそうだよなー」とアリスは呟いた。

「でもこの辺も取り入れて行かないと、流石に取り残されっからさ。魔法界と電波は相性悪いのがこれまでの通説だったんだけど、俺のダチにレーン・スミックって奴がいて、そいつが色々研究してて。最近試作品が出来たって送ってきたもんだから、待ってる間弄ってた。お前もちょっと使ってみるか? 中々面白いぜ」
「お前、凄いな……」

 生まれてこの方、ずっと魔法使いとして生きてきた。そんな自分が使いこなせるとは思えない。
 そう正直に告げると、アリスはけらけらと笑った。

「俺もだよ。操作はほとんどナイトに教わったようなもんだ。いやマジでマグル生まれってすげぇよ、感覚で大体何すりゃどうなるってのが分かるみたいでさ。アキも速攻習得してたし、やっぱガキの頃から触ってんのがいいんだろうな。まぁあいつはすぐさま壊して、レーンに文句言われてたけど」
「マグルの機械か……」

 ずっと『マグル蔑視』で育ってきたせいか、頭では分かっていても、マグルの製品に対する嫌悪感が拭い切れないでいる。時代の波に乗り遅れていることは薄々感じているし、それに対する焦りもある。それでも触れることを嫌悪する自分がいるのだ。
 アリスもそれは分かっているのか、ドラコの反応に小さく頷いた。ちょうどそこに料理や飲み物が運ばれてくる。アリスは手に持っていた機械──アリス曰く『スマートフォン』をテーブルに伏せた。

 身を正したドラコは、アリスに向かって深々と頭を下げる。

「まずは、礼を言わせて欲しい。妻の件について──アストリアのことで、フィスナーとして様々な便宜を図ってくれたこと。感謝してもし切れ……」
「あぁ、いいっていいって」

 しかし、アリスはドラコの言葉を遮ってしまう。思わずドラコはムッとした。

「いや、折ってくれた労苦には相応の対価を返さねばと……」

 今日だって、そのために彼を呼び出したというのに。
 謝礼品に菓子折、この男の好みそうなものが分からなかったため、いっそのこと本人に尋ねようとの魂胆だ。

 アリスの趣味について、一度ダメ元でユークに尋ねてみたのだが、ユークはドラコの悩みを「知りませんよ、花でも贈ればいいんじゃないですか?」と鼻で笑うだけだった。当然、花なんて贈れる訳もない。

 骨董・古美術の類に興味がないことは承知している。レイブンクロー出身らしく読書家ではあるものの、自分の手が届く範囲よりも彼の手が届く範囲の方が広いため、彼が真新しいと感じるものではないだろう。となるといっそのこと、バカンスでも手配してやろうかと考える始末だ。
 思えばクリスマスでさえ贈り合うことのない間柄だ。幼い頃は、フィスナー家と縁が欲しい父母に唆される形で贈っていたものの、アリスが家を飛び出してからはそれも自然となくなった。アキとのプレゼントのやり取りの方が、回数としてはずっと多い。

 と、アリスがじぃっとドラコのことを見据えていることに気がついた。据わった目に、思わず身を震わせる。
 ドラコのそんな反応を見て、アリスはため息をついた。ステーキにナイフを通しながら、アリスは「あんまり、俺が言えた義理じゃねぇけどさ……」と呟く。

「お前、友達いないのな」
「……っ、なっ!?」

 一瞬ぽかんとした。何を言われたか理解した瞬間、思わず頬が赤く染まる。

「そ、そそそ、そんなことあるわけ……っ!」

 いや? あれ? どうだろう?
 学生時代に付き従わせていたクラップとゴイルは、友というよりむしろ手下のようなものであったし、アクアはそもそも婚約者(元、が付くものの)だったし、その他学生時代につるんでいた者達も、死喰い人であり資産家であるマルフォイ家に対して下心込みで群がっていた者だった。純粋に友達などと呼べる者など、心当たりをどれだけ探しても、それこそアキ・ポッターくらいしか思い浮かばない。

 友。そう、友。
 ハリー・ポッターとロン・ウィーズリー、そしてハーマイオニー・グレンジャー。彼ら三人の絆と信頼を、羨んだことがないかと言われると、それは──

「……えぇ……ウソ、嘘だ……」

 思わず頭を抱えてしまう。
 生まれてからこのかたずっと、自分には人望があると信じ切って生きてきたのだ。学生時代は、ハリー・ポッターがいるから自分に注目が集まらないのだと思い込んでいた。それが、今やこのザマだ。情けなさに、思わず顔を覆ってしまう。

「私、友達いなかったんだなぁ……」

 幼い頃は誰とも関わろうとせず、愛想を振り撒くことをしなかった元婚約者のアクア。「自分がいないとこの子はやっていけない」という使命感で、彼女の手を引っ張り連れて行った。
 そんなアクアも、今ではずっと広い世界の下、沢山の人と関わり合いながらも上手くやっている。

 母親の死後に家を飛び出し、帰ってきてからもずっと周囲に分厚い壁を張り続けていた幼馴染のアリス。あれほど険悪だった父親ともいつの間にか和解して、今では彼も立派に《中立不可侵》の当主を務めている。

 ──変わっていないのは、自分だけか。
 子供の頃から一歩も進めないまま、置いていかれたと嘆くばかりの幼児のよう。

 置いていかれたわけじゃない。
 自分が、ついて行かなかっただけ。

「変われたさ、お前も」

 そんな言葉に顔を上げる。
 摘んだポテトを指揮棒のように振りながら、アリスは皮肉っぽく笑ってみせた。

「随分と遅れて来た反抗期じゃねぇの」
「…………ふ。年中反抗期のお前に言われたくはないけどな。……結局お前どうする気なんだ、まさか本当に結婚しない気か?」
「養子も取ったし別に良くね? もう血を継承する時代は終わっていいだろ」
「お前な……」

 思わず呆れてしまう。この男、本気でフィスナーを自分で末代にしてしまう気なのだろうか。

「……アキは、なんて言ってんだ?」
「『アリスの好きにすればいーんじゃね?』って」
「軽っ」

 いや、元々アキはそういう奴か。滞った世界に『革命』という名の新たな風を呼び込む男だった。

 一通り食べ終わったアリスは、口元を拭いてペリエを傾ける。こいつガッツリ食いやがったなと、空になった皿が並ぶテーブルを見ながら目を眇めた。この辺りは相変わらずだ。気を遣われないというのは有難いものの。
 空になった皿はやがて、魔法省にて働く屋敷しもべの転移魔法によって姿を消した。

「……アキと言えば、だ。あいつの兄、ハリー・ポッターについて、気になることが……」
「あぁ……『傷』のことか」
「そうだ」

 思わず拳を握っていた。気付かずそのまま言葉を続ける。

「『傷が痛む』だなんて、もう十年以上何もなかったじゃないか。闇の帝王はもういないんだ、それを、ポッターの奴……何で今更、そんなことを蒸し返す……」

 ふむ、とアリスは口元を覆った。ドラコは語気を強める。

「しかも、魔法省も魔法省だ! ポッターの虚言を真剣に取り合うだなんて……たかがちょっと傷が痛んだくらいで大袈裟だろう? お前らだって、まさか本気で闇の帝王が蘇ったなどと考えているわけではあるまい?」

 アリスは軽く眉を寄せた。呆れたようにため息をついて「お前らはホント、なんというか、絶望的に『合わない』よなぁ……」と零す。
 合うわけがない。向こうだってドラコのことを毛嫌いしているのだ。和解も何も、お互いの存在自体が気に食わない。アキですら、ハリーとドラコを向かい合わせるのは避けるほどだったのだから。

 アリスは考え込みながら、ゆっくりと口を開いた。

「ハリー・ポッターの傷の件だが……ひとまずは調査と情報収集の段階だ。現状『例のあの人』が復活したとの情報はないし、そのような証拠も掴めてはいない。……ただ気になる点もある。死喰い人がまた随分と血気盛んになってきていると、闇祓い局からは報告が上がっている。何かが……誰かが──影で糸を引いているのではないかと。彼らを裏で牛耳っている存在が、何処かにいるのではないかと、闇祓い側は考えているようだ」
「それが、復活した闇の帝王だと!? 馬鹿げている、そんな──」
「人の話は最後まで聞けよ」

 冷ややかな声に、背筋に氷水を流し込まれた気分になった。
 ドラコが口を噤んだのを見て、アリスは続ける。

「──無論、そうであれば一大事だ。だが、そのような証拠は未だ見つかってはいない。『例のあの人』は分霊箱にその魂を分割して隠したが、それらは全て破壊済みであることが確認されている。彼の父親であるマグルの遺骨についても、またメローピー・ゴーント……『例のあの人』の母親の墓に関しても、荒らされ暴かれた形跡はない。『例のあの人』に血縁はいない……復活に至る依代は、この世界の何処にも存在しない」
「……なら、闇の帝王に子供がいたとしたら?」

 アリスは据わった目でドラコを見た。
 ドラコは口の端を吊り上げる。

「私の子、スコーピウスの噂について、耳にしたことがないわけではあるまい?」
「……スコーピウスはお前の子だろう」
「あぁ私の子だ。間違いなく、私とアストリアの息子だ。だが、ポッターが傷が痛むと騒ぎ立てるたびに──闇の帝王の存在を示唆するたびに、私の息子に累が及ぶ! 逃れられない悪評が飛ぶんだ、それが、お前に分かるかよ!?」

 テーブルを叩いた。アリスはしかし、眉をぴくりとも動かさない。
 そのままドラコは項垂れる。

「頼む……頼む、お前にしか頼めない……私の息子に関する、この悪評を消してくれ……」

 頭を下げた。かつての幼馴染に対して希〈こいねが〉う。

「金なら幾らでも積む。私に出来ることなら何でもやる。だからどうか、頼むよ……」

 なんだってやるつもりだった。
 息子と妻のためだったら、己の頭ひとつなんて軽いものだ。
 ──それでも、こうあっさりと返されるとは思ってもいなかった。

「いーよ」
「…………、へ?」
「だから、いーよって言ってんだ」

 尊大に腕を組み、アリスは言う。

「お前の依頼は《中立不可侵》フィスナー家当主のアリス・フィスナー様が引き受けてやる。えっと、噂を消すんだっけ? そんなこと容易いもんだ」
「え────」
「その代わり」

 目にも追えぬ速度で襟元を掴まれた。何一つ抵抗できぬまま、ただ呆然とアリスの顔を仰ぎ見る。

「当然、お前が『対価』払ってくれんだよな?」

 赤い舌をチロリと覗かせ、アリス・フィスナーはにんまりと笑った。





「身ぐるみ剥がされた気分だ……」

 ぐったりとした気分のまま、ドラコ・マルフォイは呟いた。

 アリスが対価として寄越せと提示したのは、マルフォイ家を筆頭としたスリザリン派についてと、かつてスリザリン寮生であった者たちの情報であった。
 マルフォイ家当主でしか知り得ない部分までも良いように吐かされてしまい、いろんな意味で自分はもう、この男に逆らうことは出来ないと感じる。

 ……これまでスリザリン派閥が、どのようにして『中立不可侵』フィスナーと関わってきていたのか、ドラコは多少なりとも気になってはいたのだが──今日改めてはっきりした。
 半ば恫喝、半ば恐喝。
 フィスナー家がどうして魔法の技術だけでなく、体術や武術までもを幼い頃から覚え込ませる慣習であったのか、その理由が分かった気がする。

「人聞き悪ぃこと言うなよな」

 自動書記で書き取った調書を確認しつつ、心外だとばかりにアリスは眉を寄せた。はは、と愛想笑いを返すことしかできない。

 ……中立不可侵とは、双方から手を『出されない』というより、双方から手を『出させない』というのが正しく由来であった──それこそ、領域を侵したものは武力を以って排除されても文句は言えないという。

「ん、確認終了。対価頂戴致しましたよっと。いやぁ悪いね、ベルフェゴールんとこまで話してくれて助かったわ。アクアは実家について碌な情報持ってねぇし、ユークは『ここから先は追加料金です♡』がしっかりしてたしで、あそこ中々攻略難かったんだ。情報提供サンキューな」
「は、は、は……」

 ユークに怒られる未来が思い浮かんで、思わず頬が引き攣った。申し訳ないユーク、と心の中で手を合わせる。

「まぁいいや……私で良ければこれからも、幾らでも力になろう。大抵のスリザリン派閥であれば繋げることは出来るから」
「言われるまでもなく当たり前なんだよ。逮捕され〈しょっぴかれ〉たくなけりゃ《中立不可侵》の言うことに従えってんだ」

 憎まれ口すら心地良い。いやこれは果たして憎まれ口なのだろうか?

「……あの、フィスナー。最後にもう一つ、頼んでもいいか?」

 おずおずとそう尋ねると「いいぞー、何かくれんならな」と言葉が返ってきた。もう何も出ないから勘弁してくれと顔を覆う。

「こんなことを言うのは、良くないことだと分かっているが……私には、身内が死んだ経験というものがない。だから……アストリアが、私の妻がもし死んだ時、私は息子に対してどう振る舞えば良いのかを……教えてくれると、助かる」

 しばらく何もリアクションがなくて、ドラコはおずおずと顔を上げる。
 アリスは無表情のまま、目を細めてドラコを見据えていた。そういう顔をされることは予想していたものの、う、と思わず怯んでしまう。

「……俺が、一番、親父にムカついたのは」

 一音一音をはっきり区切り、アリスは言う。

「親父が、俺と同じように、母の死に悲しんでくれなかったことだ。俺と同じように、母を侮辱した親戚連中に対して、ブチ切れてくんなかったことだ」
「…………」
「今でも許せない。許してないよ、俺は。一生許してやる気はない」

 だからさ、と、そう言ってアリスはぎこちなく笑った。

「お前は、そんな父親になんないでくれよ。息子に『許さない』と言われるような父親になんて、なるんじゃねぇよ。ちゃんと、ちゃんと、心から……大切な人の死を、悲しんでやってくれ」

 ドラコは、アリスの顔を正面から見て。
「すまなかった。そして……ありがとう」と、そう言っては頭を下げた。



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