待ち望んでいたクリスマス休暇が、やっと来た。わたしはほぅっと胸を撫で下ろす。
九月から数えて四ヶ月。やっと、やっと、母に会えるのだ。母とこんなに長く離れていたのは初めてだった。
うぅ、寮生活ってわたしのような子にはしんどいよ。まだまだ慣れるまでは時間が掛かりそうだ。
それに……ホグワーツが嫌いなわけではないけれど、それでも……ね。
不穏な気配がどこかずっと滞留していて、首の裏がひりつく感じが、なんだか少し苦しい。嫌な空気、だと思う。
……早く、お母さんに会いたいな。お母さんにぎゅっと抱き締めてもらって安心したい。
母の纏う空気が、わたしは好きだ。静寂で清廉で、まるで朝の図書館のような空気。優しくそっと、隣で見守られているような心地になる。
寮の前でニーナや友人達と別れる。校門の前では、ホグワーツ特急を待つ人で長蛇の列ができていた。
「いたいたっ、ソラー!」
と、ローズがいち早くわたしを見つけてくれた。大きく伸び上がって手を振っている。
ローズの傍にはヒカルと、それにアルバスの兄であるジェームズがいた。聞けばグリフィンドールの寮を出る際にちょうど
「アルバスは?」
「知らね。寮の奴らと一緒にいるんじゃね?」
ヒカルの問いに、ジェームズが軽く鼻を鳴らした。
「帰ってくるとは言ってたから、この集団の中にはいると思うんだけど」
「そう……」
ヒカルはどこか考え込む素振りをしていたものの、やがて顔を上げては「僕、アルバスを探してくる」とトランクを引いて踵を返した。あ、と思わずその背を追おうとするも、ヒカルの姿はあっという間に人混みに紛れて見えなくなってしまう。
そんなヒカルを見ながら、ジェームズが「またか」と肩を竦めた。
「また?」
「なんか最近、ヒカルってばやっけに僕の弟とマルフォイ家の息子のこと気にして構ってんの。何考えてるか知らないけどさぁ」
ジェームズは少し不満げな様子だった。ヒカルにあまり構ってもらえず拗ねているのだろう。
その時、ローズがわたしの両手をぎゅっと掴んだ。キラキラした瞳をこちらに向け、弾む声で問いかける。
「今年のクリスマスは、ソラとヒカルのおうちでやるのよね! あぁ、楽しみだわ! アキ教授もクリスマスの日にはいらっしゃるの?」
「うん、来れるよう時間を調整するよって言ってた。相変わらずホグワーツと家との往復みたいだけど、ま、うちの家は直でホグワーツの暖炉と繋がってる特別製だし、楽な方だよね」
本当はホグワーツと個人宅の暖炉を繋ぐなんてセキュリティ上良くないらしいんだけど、父がありとあらゆる力を使った結果、我が家に限っての使用が特別に認められたらしい。
何のために父がそんなことをしたかって、そりゃあまぁ、母と一緒に過ごせるよう毎晩家に帰るために決まっている。なにせ、父の愛妻家っぷりはそこら中に知れ渡っているほどなのだ。子供としてはなんだか恥ずかしいよ。
父もクリスマスに来るという知らせに、ローズは一層舞い上がった顔をした。
うーん、何故か分からないんだけど、わたしの従姉妹二人は(つまり、ローズとリリーのことだ)父のことを実の親以上に慕っているのだ。まぁ、愛情表現が素直なリリーはともかくとして、照れ屋なローズの好意は父には一切伝わっていなさそうなんだけどね……。
ローズのラブが父に向かうとロンおじさんが拗ねるので、ほどはどにしておいてもらいたいところだ。
ホグワーツ特急の中で、ローズが持ち込んだクリスマスのカタログやチラシを吟味していたら、あっという間にキングズ・クロス駅の九と四分の三番線に到着してしまった。
結局、ヒカルとアルバスがわたし達のいるコンパートメントに姿を見せることはなかった。うーん……心配というか、なんというか。
アルバスはなんだかジェームズやローズと一線を引いている雰囲気だし、ちょっと嫌な予感というか、何か良くないことが起こりそうでソワソワしてしまう。これからクリスマスの間は、いとこ同士で集まる機会が殊更増えるのだ。ヒカルがいい感じに間に入ってくれればいいんだけど……。
ホームではロンおじさんとジニーおばさんがわたし達を待っていた。ローズの弟であるヒューゴ、そしてジェームズとアルバスの妹であるリリーも一緒だ。
わたし達は早速、ロンおじさんからちょっと手荒いハグで出迎えられた。
「おかえり! みんな、少し見ない間に背が伸びたか?」
「ロンおじさんはちょっと縮んだ? それに、何そのグラサン、変装のつもり?」
「ハハッ、似合うだろ?」
「超目立ってる。知ってる? そういうの『悪目立ち』って言うんだよ」
確かに、ジェームズが言うのももっともかも。ちょっと派手めなシャツに細身のジーンズは、往年のスターみたいな風貌だ。ひょうきんなロンおじさんには一周回って似合ってる感があるんだけど、それにしても凄く目立ってる。
ジニーおばさんは大きなため息をついて「子供達の言う通りよ……」とジト目で実の兄を見つめている。ロンおじさんは肩を竦めつつサングラスを外すと、子供達を見回しては「ヒカルとアルバスは?」と尋ねた。
「ここだよ」
ちょうどその時、ヒカルとアルバスが人混みを縫ってわたし達と合流した。ヒカルはアルバスの手を引いている。
ジェームズはちらりとアルバスを見たものの、アルバスではなくヒカルに「遅かったじゃん」と声を掛けた。
「この人混みだからな、ちょっと探した。でもロンおじさんは背が高いから見つけやすかったよ。でもその服のセンスはちょっとイケてないね」
「ハハ、いい目印になるだろ? ……ヒカルまでそんなことを……そんなに似合ってないかなぁ……」
「に、似合ってると思うよ!」
ある意味、とっても! わ、わたしは好きだよ! 父が絶対にしない格好だから真新しくて新鮮!
ロンおじさんは「ソラは本当に優しいなぁ……」と涙ぐみつつわたしの頭を撫でた後「さ、行こうか。向こうに車を停めてんだ」と子供達を促した。
ロンおじさんの運転で魔法省に向かったわたし達は(ロンおじさんの運転は、ローズとジニーおばさんが「きちんとシートベルトをしておきなさいね」と口酸っぱくして言うくらいには荒いものだった。おかげで乗り物に弱いヒカルは早々にグッタリギブアップして、ジェームズの肩を借りている)、魔法省正門口で待っていた母とハーマイオニーおばさんに出迎えられた。
「みんな、おかえりなさい!」
両手を広げたハーマイオニーおばさんは、みんなをぎゅうっと抱きしめる。わたしとローズは笑顔で抱きしめ返したものの、男の子組は照れた顔で早々に身を引いていた。
「ねぇママ、聞いて! あのね、私ね──」
ローズはハーマイオニーおばさんの袖をぎゅうっと掴んだまま、離れていた期間にどんなことをしたのか、何があったのかを思いつくままに喋っている。ハーマイオニーおばさんもローズの話を笑顔で聞いていた。
母は子供達に「おかえり」と微笑んだ後、ぐったりしているヒカルに気遣わしげな眼差しを向けつつ、ロンおじさんとジニーおばさんに向き直った。
「ロン、ジニー、子供達を迎えに行ってくれてありがとう。すごく助かっちゃった」
「いやいや、このくらい。お互い様だよ」
ロンおじさんとジニーおばさんも笑顔で受け答えをしている。
その時、誰かがこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。ニンファドーラおばさんだ。闇祓いの制服を纏っているから、どうやらまだ仕事中らしい。
ニンファドーラおばさんは、子供達をぐるりと見回して軽やかな笑みを浮かべてみせた。
「いたいた! おかえりみんな、元気にしてた? ……ジニー、ハリーから伝言だよ。まだ帰れそうにないから、子供達連れて先に帰っててくれってさ。あたしもハリーを手伝ってちょっと居残るつもり」
ニンファドーラおばさんの言葉を聞いて、ジェームズは特に表情を変えることはなかったものの、アルバスは僅かに眉を寄せて俯いた。
母がニンファドーラおばさんに尋ねかける。
「……何か、私が手伝えることってあるかしら?」
「いいよいいよぉ、アクアは帰りなー? 子供達が帰ってきたばっかりなんだし、アキも今日は遅いんでしょ?」
眉尻を下げた母の肩を、ニンファドーラおばさんが宥めるように叩いた。
「それにこの冬はアクアとアキのお宅でクリスマスパーティーなんだから、準備だってあるんだし! 仕事の方はあたし達にドーンと任せて頂戴な」
「……ありがとう」
母も、はにかんだ顔で笑みを見せる。ニコッと笑ったニンファドーラおばさんは、ジニーおばさんにも視線を向けると「ハリーも、なるたけ早めに帰るように言っとくからね」と目を細めた。
「全く。仕事にかまけるのもいいけれど、家族と向かい合うのも親の大事な使命でしょうに……ハリーもアキも、ロンを見習えっちゅーのよ」
「ハハ、僕はまぁ、闇祓い局が合わなくって早々に辞めちゃったからなぁ、なんだかちょっと肩身が狭いよ」
「なーに言ってんのロン、WWWの今の成功は、アンタとアンタの兄貴二人がいてこそ成立してんでしょーが! 闇祓いより悪戯専門店の店員が下だなんて、あたしは絶対に思わないね! 学生時代からゾンコにはどれほどお世話になったことか」
「そりゃ、トンクスはそうでしょうよ。だって年季の入った悪戯娘ですもの」
「チャーリーからも聞いたわよ、トンクスの武勇伝! いつかリーマスにも教えてあげないとね」
「やめてぇっ! ジニー、それだけは! この歳で過去の黒歴史をほじくり返されるのはしんどいって!」
「……リーマスはそのくらいで幻滅なんてしないと思うけど?」
大人達は楽しそうに笑っている。
母をじっと見上げていたところ、わたしの視線に気付いた母は、そっと身を屈めてはわたしと視線を合わせた。
「……ぁ、あう、その、お、お母さん──」
わたしと同じ灰色の瞳に、わたしの姿が映っている。
──どうしよう。
話したいことは山ほどあったはずなのに、ローズのように言葉がスラスラと出てこない。喉の奥で張り付いたまま、何かで堰き止められてしまっているようだ。
その時。
床に膝をついた母は、そのままわたしの身体をぎゅっと抱きしめた。
わたしの背に、母の手が回る。よしよしと労るように、母の手がわたしの背中を優しく撫でる。
──胸いっぱいに、母の匂いが満ちた。
「……おかえりなさい。よく頑張ったね、ソラ」
「……ほんとだよぉ……わたし……わたし、とっても頑張ったんだからぁ……」
母の身体に手を回す。背中の服をぎゅうっと掴んだ。
初の寮生活で、それも知り合いが誰もいない寮に入ることになって。
そりゃ、どの寮に入ることになったとしてもいいとは思っていたものの……それでもヒカルやローズ、アルバスやスコーピウスといったよく見知った人達が近くにいないのは心細かった。テッドはハッフルパフ生だったけど、昨年度にもう卒業しちゃったし……。
……だから、その。
他の人から見れば、なんてことない三ヶ月だったかもしれないが。
それでもわたしは、この三ヶ月間、とっても、とっても、人生で一番、頑張ったのだ。
「……分かるわ」
母の声は、いつも通りの優しさを伴っていた。
穏やかで柔らかな声と、暖かな温もりに包まれて、わたしはやっと安心して身体の力を抜いた。
およそ、平穏とは得難いもの。
それでも今の平穏を、この時のわたしはまだ、当たり前のように享受していた。
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