その夜、わたしは怖い夢を見た。……ような、気がする。
起きた時には夢の内容はほとんど忘れてしまっていて、なんだかモヤッとした感情だけが胸に残っていた。うう、後味が悪い。
ただ──怖い夢と言うには、なんというか──そう……『綺麗』だったのだ。
綺麗すぎて──この世のものとは思えないほどに、美しくって。
ダメ、怖いと思うのに、心が引き寄せられてしまって止まらない。
例えるならば、そう──ありえないほどに光り輝く、満天の星空を見てしまった時のような。
ありえないほどに狂おしく咲き誇る、一面の花々を見てしまった時のような。
……ありえないなんて、改めて考えると変な感じだ。
だってわたしは魔法使い。『ありえない』ことを実現させる側の人間なのだ。
ありえないほど光り輝く満天の星空も、ありえないほど狂おしく咲き誇る一面の花々も、やろうと思えばできるだろう。あるいは、今のわたしには能力的に難しいとしても、例えばちょっと父にねだればあっという間に見せてもらえるだろう。
そう考えると、なんだか気が楽になった。怖さが少し払拭される。
ちょうどその時、寝返りを打ったリリーのおしりに顔面が押し潰されたのを契機に、わたしは起き上がると、まだ夢の中にいるローズとリリーを「おはよう、クリスマスだよ、プレゼントがあるよ〜」と揺すり起こすことにした。
ホールに一歩足を踏み入れたローズとリリーは「「うわぁ〜!」」と大歓声を上げた。
赤と緑のクリスマスカラーで、ホールは何処もかしこも美しく飾り付けられている。中でも一際目を引くのは、先日からホールの一番目立つところに聳えていたクリスマスツリーだ。クリスマス当日の今日こそ主役とばかりに豪華に飾り付けられ、燦然と光り輝いている。うーん、この派手さ、ロンおじさんのセンスと見た。
大人組はクリスマス・イブで夜まで飲んだ後、子供組が寝静まってから屋敷中をクリスマス仕様にするのが常なのだ。全く、いくつになっても遊びには手を抜かないこの姿勢、嫌いじゃないよ。
「やぁおはよう、子供達! さすが、早起きだなぁ」
ホールの長テーブルの方から、上機嫌な声がした。ロンおじさんだ。顔が赤いから、間違いなくお酒が入っている。夜通し飲んでいたのだろう。
ローズがぷんすこ怒りながらロンおじさんに駆け寄っていく。
「もう、パパったら! 飲みすぎよ、みっともない真似はやめてってば!」
「みっともないとはなんて言い草だい僕のシナモンロール! ……あれ? 気付けば確かに僕一人だね、少し前まではハリーとアキと一緒に飲んでたんだけど……アリスともちょっと話せてね、今はすごいね、『びでおつうわ』だっけ? 久々に見たけど変わんないねアイツは……あぁ、そういや、ハリーもアキも急な仕事が入ったって出て行っちゃったんだよ。ハリーはお茶だけだったけど、アキはなんであれでどれだけ飲んでも顔色一つ変えないのか、いつ見ても不思議だよ……おっとっと」
立ち上がろうとしたロンおじさんだったが、ふらりと体勢を崩してテーブルに手をついた。「あぁもう、言わんこっちゃないんだから!」と、ローズがせかせかと水をコップに汲んでロンおじさんに渡している。娘に介抱されつつも、ロンおじさんは滅茶苦茶嬉しそうだ。すっごいニコニコしてるもの。
……しかし、そうか。父はいないのか。
その時、奥からリーマスおじさんとニンファドーラおばさんが現れた。二人はロンおじさんの惨状を見ては苦笑いを浮かべている。
「あぁローズ、ソラ、おはよう。この酔っ払いは私達で見るから大丈夫だよ、後は任せて」
「君達はプレゼントを開けておいで? 楽しみで早起きしたんでしょ?」
実際は怖い夢で起きてしまっただけなのだが「プレゼントがあるよ」とローズとリリーを起こしたのはわたしだ。ニンファドーラおばさんの言葉にこくりと頷き、わたしとローズはクリスマスツリーに駆け寄った。
クリスマスツリーの周囲にはいくつもプレゼントの山ができていた。これらも昨日から今日の深夜に掛けて、大人達が子供達それぞれに仕分けてくれたものだ。
プレゼントの山々の前には、わたしの腰ほどの高さの小さなクリスマスツリーが立っていて、誰宛のプレゼントなのかのプレートが掛かっている。この細かくて豪華な細工が施されたプレートは、もしかしたらシリウスおじさんの仕業かもしれない。自室の扉に掛けても見栄えしそう。
リリーはとっくの昔に酔っ払いの相手をやめていて、一足早く自分宛のプレゼントの前に陣取っては包装を解いている。わたしとローズもそれぞれ自分の山に駆け寄った。
包装を解く……その前に、山の前でしばしニヤける。えへ、わたしへのプレゼント……!
満足いくまで眺めた後、わたしはようやっとプレゼント開封の儀に取り掛かった。友人、知人、親類縁者、お世話になった人と仕分けながら開封していく。
わたしの本好きはもうあらゆる方面に知れ渡っているものだから、贈り物の大多数が本、もしくは本に関係するものだ。
ちなみにわたしは、贈られた本が所持しているものと被ったとしても嬉しいタイプだったりする。相手が何をもってその本を選んだのか、あれこれ考えたりするのも楽しいからね。本は何冊あっても良いものだ。
父も元レイブンクロー生らしく本が好きなもので、我が家の地下書庫には父とわたしが集めた本でいっぱいだ。何故か際限なく増えていくものだから、地下書庫も年々拡張がなされている。……これ、わたし達が魔法使いだから良かったけど、もし魔法が使えなかったら書庫から溢れた本を手放す決断をしないといけなかったのかもしれない。魔法使いで良かった。
そんなわけで、今年も大量の本に囲まれてほくほくである。大漁、大漁。
加えて、ユークおじさんからは読書用の椅子をプレゼントしてもらった。帆布の背もたれがついていて座り心地が良さそうだ。カードには、今年のクリスマスパーティーに来れず申し訳ないという謝罪と、来年アレクがホグワーツに入学するのでよろしくお願いしますという旨が、ユークおじさんの綺麗な字で書かれていた。
折角のクリスマス休暇ではあるものの、どうやらアレクは風邪を引いてしまったらしい。来られそうにないとユークおじさんは申し訳なさそうに連絡をくれていた。
ちょっと残念だけど、アレクの体調が第一だ。あの従兄弟はあんまり体調を崩すイメージがないので心配ではある。
「……、あ」
デルフィーからのプレゼントに行き当たり、わたしは思わずどきりとした。
カードの文面は当たり障りのないものだ。今年もありがとう、慣れない教師生活ではあるものの皆の尽力で助かっていますという感謝の言葉に、来年もよろしくというスタンダードな文章に、詰めていた息をホッと吐く。
プレゼントは薄手の箱状のもので、紫色のリボンが掛かっていた。結構軽くて振るとカタカタ音が鳴る。
……これはきっと本だな。薄いペーパーバック系の本と見た。わたしの長年の勘がそう言っている。
デルフィーがわたしに贈ってくる本って、一体どんなものなんだろう? ドキドキしながら、わたしはそっとリボンを解くと箱を開けた。
──結論から言えば、中身は本ではなかった。
自由帳……いや、手帳かな? 手のひらサイズのもので、使い込まれたように古びている。しかし中身は罫線が入っているだけの真っ白なものだ。
……何だろう、これ……。
新品ってわけじゃないから、自分用に使うのも少し憚られる。一応、最初のページから捲ってみたものの、何かが書き込まれている形跡はなかった。
……本当に、何なの……?
率直に言って、意図が全く分からないものだから不気味だし気持ち悪い。
もしかして、魔法で何か隠されているのだろうか。そうだとしても不気味なことに変わりはないけれど。
そもそも、わたしがデルフィーのことを苦手にしていることを、デルフィー本人は勘付いているわけだし……。
少し悩んだ挙句、わたしは周囲を見渡して誰も近くにいないことを確認した後、小声でリドルさんに声を掛けた。
「……ね、リドルさん。起きてる?」
「……どうしたんだい?」
ひょっこり、という擬音がぴったりな様子で、リドルさんが姿を現した。
……ん!? 姿を現した!?
二十センチくらいの人形サイズとなったリドルさんが、ふむと口元に手を当てたまま興味深げにわたしの手元にある手帳を覗き込んでいる。相変わらず半透明で、輪郭は発光しているものの……えっ、何これ超可愛い。リドルさん、そんなことできたんだ!?
「ひゃあぁっ、何なにそれ、可愛いっ、リドルさんがお人形みたい! 超可愛い!」
「ソラ、声を抑えて。見つかると困る」
そうでした。
慌てて口を両手で押さえる間にも、リドルさんは手帳をしげしげと検分しては、ふとホールの四隅や天井、扉付近に視線を向けたりしている。
……こうして見ると本当にお人形みたい。リドルさんは作り物のように綺麗な人だから、尚更そう思ってしまう。ポケットに入れて持ち運べそうだ。
わたしが人知れずときめいている間にも、リドルさんはゆっくりと視線を戻すとわたしを見上げ囁いた。
「……この家には高度な結界が張ってあってね。魔法式から見ても君のお父上の手筋だろう。全ての侵入経路は
呟きながら、リドルさんはくすりと笑っている。なんだかちょっとご機嫌そうだ。父の話をしているとき、リドルさんはよくこんな表情を浮かべている。
「……じゃあ、この手帳はあんまり警戒しなくても大丈夫そうってこと? お父さんの結界があるんだから……」
「あまり信を置きすぎるのも良くないとは思うけど、でもあのデルフィーニとかいう娘が今のアキの技量を上回れるとは思えないからね。確かに彼女の才能と魔力量には目を瞠るものがあるものの、言ってしまえばそこまでだ。全く、子を守ろうとする親というものは厄介なものだよ」
おぉ……リドルさん、今自分が凄く魅力的な笑顔を浮かべていることに気付いてるのかな? ちょっと胡散臭いキラッキラの笑顔とは違う、裏のない素朴な笑顔だ。
ふとリドルさんは笑みを引っ込め「誰かがこっちに来る気配がするから僕は消えるよ」と囁いた。こくりとわたしは頷いてみせる。
……うーん、ちょっと気持ち悪くはあるんだけど、怖いものではなさそうでホッとした。父の結界に守られているのは安心だ。
「あぁ、あとそれ、手帳じゃなくて日記だね」
「日記?」
「悪いものじゃないけど魔法は掛かっているから、取り扱いには気をつけて」
「えっ? ちょっと、えっ?」
言いたいことだけを言って、リドルさんはシュッと姿を消してしまった。
……なんなんだよ全くもう……。
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