どうやらリドルさんは、母の気配をいち早く察知していたようだ。リドルさんが消えて少し経った後、母がこちらにやって来た。
「おはよう」とふんわり微笑む母に、わたしもにっこり笑って「おはよう」と返す。……あ、ちょうどいいや。
「お母さん、ね、スマホ貸して? 写真撮りたい」
「……写真? どうして?」
「いいから、いいから」
母からスマートフォンを借り受け、カメラアプリを起動するとプレゼントの山に向けた。プレゼントを綺麗に並べては、画角を調整しシャッターを切る。……よしよし、いい感じだね。
この『スマートフォン』は父の友人であるマグル生まれのレーンおじさんが、マグル界のスマホを元に魔法界でも動くように開発──というか『改造』したらしい。
スマホに限らずマグル界の電化製品は、
頭の硬いおじいちゃん達はマグルの物を使うのに否定的だそうだが、そんなものわたしに言わせればナンセンスの極みである。伝統など守ったところで推し作家の書き下ろし小説もトークイベントの通知も飛んでこないのだ。
日刊預言者新聞を購読したところで、そもそもわたしの推し作家はマグルである人の方が多い。このSNS全盛期時代、この情報断絶は由々しき事態である。
……この点、両親に理解があって良かったと心底思うよ。
特に父はわりかし新しいものに強いものだから、レーンおじさんもよく試作機を我が家に流してくれていた。なんでも我が家できちんと動けば実地試験としては申し分ないのだとか。意味がよく分からないけれど……やわな機械じゃ秒で父がぶっ壊すからだろうか。
ちょいちょいぶっ壊しはするものの、父はそれなりに使いこなしているが、母は良くて文鎮だ。英国魔法界の純血家系で育った母は、上手く馴染めないのか結構苦労しているように見える。どうも持て余し気味の母に代わり、わたしやヒカルはよくねだって触らせてもらっている。
本当は自分の端末が欲しいんだけど……さすがにホグワーツ卒業までは許されないだろうな。そもそも、このスマホも試作機ってことだったし。わたしがホグワーツを卒業する頃には魔法界にもデジタル化の波が広まってると嬉しいんだけど。
撮った画像の確認をしていたわたしを眺めていた母は、ふと「……ちょっと来て、ソラ」とわたしに微笑みかけた。
「お母さんからも、クリスマスのプレゼントがあるの。お父さんからのプレゼントは、お父さんが帰ってきた後の夜に受け取るといいわ」
「ほんとっ?」
パッと立ち上がると、足取りも軽くるんるんと母の後をついていく。階段を上った後、やがて母の私室へと行き着いた。
……母からのクリスマスプレゼント、なんだろなぁ。楽しみだ。
「ねぇ、お母さん。今日は、お父さんはホグワーツの用事?」
「えぇ、急に呼び出されたのですって……でも夕方には絶対戻るって言ってたわ。……ソラ、髪を梳かしてあげるから、ここに座って?」
ドレッサーの椅子を引いた母は、座るようわたしに促した。言われた通り椅子に腰掛ける。
わたしの背後に立った母は、ブラシを手に取るとわたしの髪を優しく梳かし始めた。
母はこうしてわたしの髪を触るのが好きだ。自分は長い銀髪をそのまま流しているだけなのにね。久しぶりの戯れに、わたしは両足をパタパタとさせる。
「ホグワーツは、どう?」
「んー、ちょっと怖いかも。でも、大体楽しいよ」
「怖い?」
「動く鎧とか、肖像画とかにいきなり声を掛けられるとびっくりしちゃう」
「あぁ……確かに」
頭の側面を複雑に編み込んだ後、母はわたしの髪をくるっと捻り、サイドテールの位置で結んだ。
髪を留めるのは、大きめの黄色いリボンが付けられたシュシュだ。リボンの周囲を縁取るように、小さな水色の粒が連なった細い鎖があしらわれていて、豪華さと可憐さを演出している。
「わ、可愛いね。……でも、なんか……」
何かが気になって、わたしはシュシュにそっと触れた。母は微かに笑うと、わたしの両肩に手を置く。
「……ふふ。お母さんからのプレゼント。お父さんには到底及ばないんだけど、それでもお母さんもお守りを作ってみたの。ソラにクリスマスプレゼント」
「えっ、すごい! お母さん、ありがとう!」
声を上げる。母は「どういたしまして」と言いながら、戯れのように後ろからわたしを抱き締めた。
「……ハロウィンのこと、お父さんから聞いたわ。怖かったでしょう」
「……うん」
「あの件はちゃんと動いてる。そのうち解決するわ。だから、安心してね」
返事の代わりに、わたしは母の手を強く掴んだ。
母の声は穏やかだ。
「……ホグワーツで、よく頑張ったわね。……怖かったでしょう。大変だったでしょう。……偉かったね」
そんな母の言葉で、心のどこかにずっと残っていた重たい氷が、すうっと溶けていくのが分かった。
こくりと頷いて母の目を見ると、母は安心した顔で微笑んだ。
「……ね、お母さん。ローズやリリー達が帰ったら、一緒に寝てもいい?」
「なぁに? いいわよ。お父さんは?」
「お父さんはいらない、お母さんとがいい」
「まぁ……ふふ。お父さんは拗ねるわね」
だろうね。父は子供に蔑ろにされると、割と大人げなく拗ねるのだ。
でもいいじゃん、お父さんはお母さんと毎晩会えてるのに、わたしはお母さんと会うのが久しぶりなんだから。ちょっとは独占させて欲しい。
その時、壁をすり抜けるようにして紙飛行機が部屋に舞い込んできた。羽根の部分に『A』の飾り文字が印刷されている。母は笑みを引っ込めると、紙飛行機を手に取り開いた。
……この紙飛行機は知っている。魔法省からの招集通知だ。昔から、何度も見たことがある。
同時に、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえてきた。次いで部屋の扉がノックされる。母が扉を開けたところ、そこにはニンファドーラおばさんが立っていた。
いつもニコニコしているニンファドーラおばさんは、今日ばかりは困った表情を浮かべている。
「やぁ、アクア。急にごめんね。でも、君も招集を受けたでしょ? 折角のクリスマスに申し訳ないんだけど、我らが闇祓い局局長、ハリー・ポッター殿からの御命令だし、出られるかな?」
「……えぇ、分かったわ。局長命令なら仕方ないものね。急いで支度するから、……ソラ?」
気付かぬうちに、わたしは母に近付いては、母の手を強く掴んでいた。
ニンファドーラおばさんは身を屈めてわたしと視線を合わせた後「ごめんね、ソラ。お母さん、ちょっとお仕事で借りてもいい?」と眉を下げる。
……お仕事なのだ。
母は闇祓いだ。クリスマスであったところで、急な一報で駆け付けなければならない職種。
……お仕事、なのだ。
そんなことは分かっている。物心つく頃から知っている。
母がいなくても寂しくなんてならないように、周囲の大人達は、わたし達をずっと守ってくれた。目を掛け、声を掛け、寂しさなんて感じないように工夫してくれた。
だから、寂しくなんてないはずなのに。
ローズがいる。リリーがいる。アルバスも、ジェームズも、ロンおじさんやジニーおばさんも……シリウスおじさんやリーマスおじさん、ピーターおじさんも。
みんな、みんないる、はずなのに。
悪寒が止まらない。
謎の震えが身を包む。
わたしは今、心の底から未来の何かに怯えている。
「………………、嫌だ」
行っちゃ嫌だ。
行っちゃ嫌だ。
行けば絶対に、よくないことが起きる。
「……ソラ、ちょっと……痛いから、離して……?」
母の声に、それでもわたしは手を離さなかった。
……だって、離したら。
お母さんは、行ってしまうでしょ。
母は困り果てた顔で、わたしの前に膝をついた。わたしに言い聞かせるように視線を合わせる。
「……ねぇ、ソラ、お仕事なの。分かってくれないかしら……」
……分かっている。
こうして母を引き留めるのは、母の仕事の邪魔になる。
……分かっているのだ。……けれど。
「後で、ちゃんと埋め合わせをするわ。ごめんね、ソラ。折角のクリスマスの日なのに、一緒にいられなくてごめんなさい」
母は何度も、わたしに謝罪の言葉を紡ぐ。
……謝ってほしいわけじゃない、のに。
母に行ってほしくない。
でも、聞き分けのない子だと思われたくない。
母を困らせたくはないし、母に叱られたくもない。
────だから、わたしは。
母の手を、そっと離すことにした。
「……困らせてごめんなさい、お母さん。お仕事、いってらっしゃい」
頑張って笑顔を作る。
静かに瞳を揺らした母は、そのままわたしを強く抱きしめた。
「ソラが謝ることはないの。お母さんこそ、ごめんね。……できる限り、早く帰ってくるようにするから」
──早く帰ってこなくていい。
ただ、無事に帰ってきてくれさえすればいい。
母と一緒に、ニンファドーラおばさんも「ごめんね」と謝ってくる。いいよと笑って、わたしは二人をお仕事へと送り出した。
────どうか無事に帰ってきますようにと、ただそれだけを祈りながら。
その後、ローズやアルバスら従兄弟達はクィディッチをしに庭へと出て行った。わたしも彼らに誘われたものの、どうもそんな気分にはなれなくてお断りをした。
一人になりたかったものの、地下書庫に籠ると母の帰宅をいち早く掴めなくなる。だからわたしはホールのクリスマスツリーの傍で、ユークおじさんからもらった帆布の背もたれがついた椅子に座って本を読むことにした。
一人でいたわたしが心配だったのか、もしくはニンファドーラおばさんから一言話が入っていたのかもしれないが、読書をするわたしのすぐ傍で、リーマスおじさんも同じように本を片手に寄り添ってくれた。
どれだけ本に視線を落としても、目は文字を上滑りする。それでもぞわぞわと這い上がる悪寒から目を背けたくて、わたしは無理矢理本に意識を集中させていた。
……早く、せめて、お父さんが帰ってきて欲しい。
父がいれば、まだ安心できるのに。
そう思って煙突飛行ネットワークが繋がっている灰色の扉にたびたび視線を向けるものの、扉が開かれる気配はなかった。
──待って。待って。待って。
陽が傾き始めた頃、にわかに家の電話が鳴った。
動きかけたリーマスおじさんを止め、わたしが出る。
その電話はハリーおじさんからのもので──仕事中の母が敵に襲われたこと、現在意識不明の重態で、聖マンゴ魔法疾患障害病院に運び込まれたことを──隠し切れない焦燥を滲ませた早口で告げた。
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