翌日、クリスマスの日。
ローズとリリーと共にホールへと降りたわたしは、酔っ払ったロンおじさんの相手もそこそこに、一人プレゼントの元へと向かった。目的は、もちろん──デルフィーからのプレゼントだ。
夢は夢だと分かっている。現実ではないと知っている。
──であるにもかかわらずわたしは、デルフィーからのクリスマスプレゼントの中身が日記帳であることを、心のどこかで確信していた。
「……あった……」
包み紙にも、プレゼントボックスにも見覚えがあった。薄手の箱状で、紫色のリボンが掛かっているもの。箱を開け、わたしは日記帳を手に取った。
手のひらサイズの古びた手帳だ。パラパラとめくってみるも、やはり中には何も書かれてはいないようだった。
……これのどこが日記帳なのだろう? それに、どうしてデルフィーは、この手帳をわたしに贈るような真似をしたのだろう?
悩んだ末に、わたしはリドルさんに声を掛けることにした。
「……ねぇ、リドルさん? この、手帳が日記帳だったって話を、前に……」
言葉がそこでふつりと止まる。
……いや、いやいや。
リドルさんに聞いたってしょうがないって。だってあれは……母が襲撃されたのは『夢』なんでしょ?
(……本当に?)
夢にしては辻褄が合いすぎていないか?
夢ってもっとこう、脈絡のない、合理の伴わないものじゃないのか?
(本当は、夢じゃないのでは?)
一昨日の朝──ヒカルの誕生日のあの日、リドルさんがわたしに向けた視線を思い出す。
あの、当惑するような視線は。
リドルさんは、何かに気付いたのではないか?
「……リドルさん、ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……もしかしてリドルさんって……あれ、リドルさん? もしもーし?」
……おかしいな、いつもレスポンスが早いリドルさんから返事が来ない。
あれ? と思いながら指輪を取り出そうとしたその時、不意に背後からリリーの声がした。
「ソラ、何してんのー?」
「ひぇっ!?」
飛び退くようにして振り返る。
わたしの手元を覗き込んでいたリリーは、きょとんとした顔で首を傾げた。リリーの隣にはローズもいる。一体いつの間に。
……なるほど。二人が近くにいたから、リドルさんから返事が来なかったのね。音も立てずに忍び寄って来ないでほしい、心臓に悪い……。
「な、何かな二人とも、えへへ……」
何となく、無意味に愛想笑いを浮かべてみる。
顔を見合わせたリリーとローズは、わたしに一歩にじり寄った。
「だってソラ、変なんだもの!」
「リリーの言う通りだわ。クリスマス休暇に入ってからというもの、どこか様子がおかしいわよ。一体どうしたの?」
「どう……って……」
思わず歯切れが悪くなる。
……そりゃ、そうか。流石に二人にも気付かれちゃうよね。ここ数日ずっと母にべったりだったんだから。
でも「夢見が悪かったの」なんてポロッと零したら最後、「どんな夢だったの?」とずうっと追及されることは目に見えている。
困り果てたわたしは、仕方なく「ほら、これ、何だと思う?」と、デルフィーからのクリスマスプレゼントを二人に見せることで誤魔化した。期待通り、二人の興味は日記帳に向かったようだ。
「何、これ? 手帳?」
「日記帳なんだって。デルフィーからクリスマスプレゼントとして贈られてきたの。あぁ、デルフィーっていうのは、ホグワーツで闇の魔術に対する防衛術を教えている先生のことでね……」
後半はリリーにそう言いながら、わたしはパラパラと日記帳を捲る。
……うん、本当にまっさら。何も書かれていないのに、何故か開きグセや書き跡のようなものが付いているものだから、まるでデルフィーの使いさしのようで、少し気味が悪いのだ。
デルフィーは一体何を考えて、わたしにこの日記帳を贈ったのだろう?
ローズはうーんと首を捻った。
「間違えて贈っちゃったんじゃないの? 私物みたいだし、返してあげたら?」
「うーん……わたしも、そうは思うんだけど……」
でもスコーピウス曰く、デルフィーは『わたしにデルフィー自身のことを知ってもらいたい』と言ったらしいし。そんなことを言っておきながら、こんなうっかりミスをする……というのは、なんだろう、デルフィーらしくない気がする。
「それじゃあ、一体何な訳?」
「そんなの、わたしが一番知りたいよう……」
「それもそうか」とローズは腕を組む。
その時、わたし達が何やら喋っていることに気が付いたか、母とジニーおばさんがわたし達の元へとやってきた。母の顔を見、わたしは思わず身を強張らせる。
ここまで、大方『夢』で見た通りのことが起きている。であれば、母への襲撃も、きっと……。
母とジニーおばさんを見たローズは「そうだっ」と手を合わせた。
「ねぇソラ、アクアおばさんとジニーおばさんに見てもらいましょうよ。アクアおばさんは闇祓いだし、ジニーおばさんも学生時代にダンブルドア軍団や不死鳥の騎士団で戦っていたんだもの。もしかしたら、何か分かるかもよ?」
「そんな、不死鳥の騎士団の頃はあたしもまだ学生だったから、言うほど戦ってはないんだって……でも、どうしたの、ソラ? 何か困りごと?」
「そ……そのぉ……」
困った末に、わたしはおずおずと母とジニーおばさんに日記帳を差し出した。母とジニーおばさんはしげしげと覗き込む。
日記帳を手に取った母は、軽く眉を顰めたまま杖を振った。
「……
一瞬、魔法の光に包まれた日記帳は、やがて背表紙に光る金の署名だけを残し静まった。
金の署名はただ、一言。
「『オーグリー』……?」
あれ? これってデルフィーのもの……だよね? 彼女のあだ名か、何かなのだろうか?
「オーグリーって……聞き覚えはあるんだけど、何だっけ?」とジニーおばさんは首を傾げている。ジニーおばさんに日記帳を渡し、母は眉を寄せたまま口を開いた。
「……オーグリー……雨が近付く時に鳴く、不吉な鳥よ……オーグリーの鳴き声は死の予兆と言われて忌み嫌われてきたわ。……ソラ、それ、どなたから贈られてきたの?」
「あっ、えっと、デルフィー……じゃなくって……闇の魔術に対する防衛術の先生から……」
「……デルフィーニ・リドルね」と母は物思いに耽るように俯く。「う、うん」と慌てて頷いた。
……お母さん、デルフィーのこと、知ってたのかな?
「そんな鳥の名前を日記帳に書くなんて、どういう気持ちの現れなのかしら? なんだか気味が悪くない?」
ローズも難しい顔をしている。
その時、ハッと息を呑んだジニーおばさんは小さな声で呟いた。
「…………
「えっ?」
皆が一斉にジニーおばさんを見る。
ジニーおばさんは驚いたように口を押さえた。思わず言葉がポロリと零れてしまったような振る舞いだった。
「……ご、ごめんなさい。でも……ね、ねぇ、ソラ。あなたはどうして、この手帳を日記帳だと思ったの?」
どうしてって……そりゃ、リドルさんがそう言ったからなんだけど……でも、今そんなことは言えそうにない。
「何となく……」と呟くも、ジニーおばさんは真剣な顔だ。ガシリと腕を掴まれる。
「答えて、ソラ。本当に、何も心当たりはないの?」
「う、うん……だって、この日記帳自体、クリスマスプレゼントに入ってて……わたしも、さっき手に取ったばかりなんだよ」
嘘ではない。全部本当のことだ。
ジニーおばさんは、それでも納得行かないような、何かを憂うような眼差しでわたしを見下ろしている。
ジニーおばさんが怖い顔をしているものだから、リリーも怯えるようにわたしの袖をぎゅっと掴んでいる。
そこで、母が割り入った。
「……ジニー。あなたが憂慮しているものが何かは、分かるつもり。でも此処は、あなたの
「アクア……」
「……もちろん、アキも人間だから、ミスだってすると思う。でも『アキの魔法で解析済み』ってだけで、少しは信用できないかしら」
母とジニーおばさんが何を話しているのか、よく分からない部分も多い。それでもジニーおばさんは、母の言葉で肩の力を抜いた。
「……ソラ、ごめんなさい。あなたがもらったプレゼント、お母さんが少しの間預かっていても良いかしら?」
「う、うん、大丈夫」
母に日記帳を手渡す。日記帳を仕舞った母は、にこりと笑って「……さぁ、皆も。自分のクリスマスプレゼントを開けに戻りましょ?」と促し空気を変えた。
「はぁい」とローズとリリーは去って行く。ジニーおばさんに手を振ると、母は小首を傾げて「……ちょっと来て、ソラ」とわたしに微笑みかけた。
「お母さんからも、クリスマスのプレゼントがあるの」
階段を上り、母の私室へと行き着く道すがらも、その後母に髪を結ってもらう間も、わたしはずっと気が気じゃなかった。
……あの夢がもし、万が一、正夢だったとしたら……。
そわそわと気もぞぞろでいたその時、壁をすり抜けるようにして紙飛行機が部屋に舞い込んできた。闇祓いの招集状だ。思わずドキリと心臓が跳ねる。
同時に、誰かが部屋の扉をノックした。母が扉を開けたところ、そこにはニンファドーラおばさんが立っていた。
「やぁ、アクア。急にごめんね。でも、君も招集を受けたでしょ? 折角のクリスマスに申し訳ないんだけど、我らが闇祓い局局長、ハリー・ポッター殿からの御命令だし、出られるかな?」
「……えぇ、分かったわ。局長命令なら仕方ないものね。急いで支度するから、……ソラ?」
母の袖を掴む。
ダメだ。絶対に、ダメだ。
「行かないで、お母さん……」
何度だって後悔した。
こことは違う、夢の世界で。
心の底から後悔したのだ。
もう、母を行かせはしない。
この手は絶対に、離さない。
母は困った顔をして、わたしと視線を合わせた。
「……ねぇ、ソラ、お仕事なの。分かってくれないかしら……」
……嫌だ。
「後で、ちゃんと埋め合わせをするわ。ごめんね、ソラ。折角のクリスマスの日なのに、一緒にいられなくてごめんなさい」
だって、聞き分けの良い子供でいたのに、母は襲撃されたのだ。
なら、わたしは聞き分けの良い子供でいたくはない。
いい子にだってなりはしない。
────だから、わたしは。
母の手を、強く掴んだ。
「嫌だ……お母さんが行っちゃうなんてやだ! 嫌、絶対に、絶対に行っちゃダメ!!」
母の腕にしがみついて泣き叫ぶ。
恥も外聞もかなぐり捨てた。幼子のようだと思われても構うものか。
案の定、母は心底困った顔をした。わたしを宥めようとするその手を振り払う。
「……ソラ! お願いよ、お仕事なの。お母さんの言うことを聞いてちょうだい!」
珍しい母の大声に、思わずびくりと身が竦んだ。驚き故かも分からない涙がぽろぽろと零れる。そんなわたしを見て母は、より一層困った顔をした。
言葉が喉元で詰まったまま出てこない。胸の中でぐるぐると回る感情を、どう抑えつけていいのか分からない。
その時、わたしと母のやり取りを傍で見ていたニンファドーラおばさんが「まぁまぁ、どうどう」と割り入ってきた。
「まぁま、二人とも落ち着いて。……アクア、ソラがここまで言うのは結構なことだと、あたしは思うな。それに、これは個人的な意見だけど……泣いてる子供を置き去って行かなきゃいけない仕事なんてものはないと思うよ」
「……先輩……」
「だいじょーぶ、ハリーにはあたしがうまーく取りなしておくからさ。今日はソラと一緒にいてあげな? ……こういう時間って、そう長くないよ」
そう言ってニンファドーラおばさんはニカッと笑う。母はしばらく悩んでいたようだったが、やがて「……本当にありがとうございます、先輩」と、ニンファドーラおばさんに対して深々と頭を下げた。
「良いってことよ。今回の件は貸しにしておくから、休み明けは頼りにしてるよ?」
「……はい、もちろん」
ひらひらと手を振り、ニンファドーラおばさんは
去って行く。
……え、と、いうことは?
わたしは慌てて母に問いかけた。
「えっ、あの、お母さん、一緒にいてくれるの?」
「……えぇ。今日はソラといるわ。だからもう、早く泣き止みなさい」
そう言って、母はわたしの涙を拭ってくれる。ぎゅうっと母に抱きついて、わたしは安堵のため息をついた。
夕方、母とリーマスおじさんの携帯電話が鳴った。電話を掛けてきたのはハリーおじさんだった。
ハリーおじさんは、仕事中のニンファドーラおばさんが敵に襲われたこと、現在意識不明の重態で、聖マンゴ魔法疾患障害病院に運び込まれたことを、押し殺した早口で告げた。
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