(……わたしのせいだ)
頭の中でぐるぐると言葉が回る。大人達がザワザワと慌ただしく動き出す中、わたしはその場から動けずにいた。
(わたしのせいだ)
……どうして、母を守ってさえいれば安心だなんて思ったの?
わたしは、わたしだけは、知っていたのに。
あの日闇祓いが襲撃されるということを、わたしだけは、知っていたのに。
「……私が行く。他に来る者は?」
テッドにふくろう便を飛ばすと、前回よりも蒼白な顔色のリーマスおじさんは険しい表情で周囲を見渡す。母は素早く立ち上がった。
「……行きます。状況を把握したいわ。……ソラも、おいで。今日はソラといるって約束したものね」
そう言って、母はわたしに微かに笑いかける。わたしは曖昧に笑みを返した。
……こういう時まで母は義理堅い。その約束のせいで、ニンファドーラおばさんは襲撃されたのに。
「……家のことはお願いね、ヒカル」
「任せて、母さん。ソラをよろしく」
流石、ヒカルはこんな時も冷静だ。
いつもだったら「ヒカルに『よろしく』なんて言われる筋合いはない」ってムッと来ちゃうものだけど……今日ばかりは、そんな向かっ腹を立てる元気も湧いて来ない。
闇祓いの制服に着替えた母が、わたしの手を引く。家を出る間際、シリウスおじさんが声を掛けた。
「リーマス。
「……君ほどじゃないさ、パッドフット」
リーマスおじさんは微かに口元を吊り上げ、シリウスおじさんに背を向けた。
わたしと母、それにリーマスおじさんの三人で、煙突飛行ネットワークを経由し聖マンゴへと向かう。
聖マンゴのエントランスで、わたし達はテッドと会うことができた。テッドの隣には、テッドに寄り添うようにビクトワールの姿も見える。二人とも一様に混乱と怯えの表情を浮かべていて、リーマスおじさんはそんな二人の肩を抱き、ニンファドーラおばさんの病室へと急いだ。
「……詳しい話を聞きたいのだけれど」
「あぁ、君も来たんだね。ポッター局長が奥に居られる、彼から直接話を聞くといい」
同僚の言葉に、母はこくりと頷いた。
病室に足を踏み入れた瞬間、明らかに空気が変わった。
彼方と此方を区切るラインを、ほんの一歩踏み越えただけなのに。
風景も、音も、匂いも、何もかもが違っている。
真白のシーツに沈むように、ニンファドーラおばさんは固く、静かに目を瞑っていた。そんなニンファドーラおばさんの姿を見下ろす位置で、リーマスおじさん達は顔を強張らせたまま、癒師の話に耳を傾けていた。
ハリーおじさんはわたしと母の姿に気付くと、気遣わしげな様子で近付いてくる。
「アクア、ソラ。君達も来ていたんだね、すまない」
「……えぇ。ニンファドーラ先輩の容態と、他の被害状況を聞いておきたくて……やっぱり、
「あぁ。捕らえた数人から、腕に闇の印が刻まれているのを確認できた。加えて例の水晶も。……やはり水晶が闇側に回っていたのは間違いないようだ……おかげで闇祓い側も犠牲を出してしまった」
「……そう」
母とハリーおじさんの声も、どこか遠い。
……どうしてわたし、ここに居るんだろう。
ふと、そんな考えが脳裏を過ぎる。
だってここは、この場所は、純粋にニンファドーラおばさんを心配する人が集まっているのだ。
そんな中に、わたしなんかが居ていい筈がない。
(ニンファドーラおばさんを助けなかった、わたしが……)
その時、ハリーおじさんの隣に立っていた癒師と目が合った。驚きと戸惑いが入り混じったようなその眼差しに、そんなことありえないのに、それでも思わず心の中を見透かされたような気持ちになる。
「……わ、わたしっ、お手洗いに行ってくる」
居た堪れなくなってしまって、わたしは咄嗟に母にそう言い残し、慌てて病室を飛び出した。
どの道をどう歩いたのかは憶えていない。ただ、ただ、人の少ない方向へ。聖マンゴの至るところに設置されたクリスマスの飾りから逃げるように。ひたすら足を動かしていたら、気付けば煙突飛行ネットワークを経由して、自宅へと戻ってきてしまっていた。
帰り着いた自宅はどの部屋も薄暗く、人も皆全て出払っているようだった。クリスマスの飾りも綺麗に外されていて、ホールの中はがらんとしている。
テーブルの上には手紙が置かれていた。見るとヒカルの字で、母に向けて『夕飯までジニーおばさんちにいるから、帰ってきたら連絡して』と書き残してあった。
ヒカルがいないのであれば、ちょうどいい。
──今のわたしにできることは、これしかないのだから。
数日ぶりに自室へと戻る。数回、深く呼吸をした後、わたしはそっと口を開いた。
「……リドルさん。話がしたいの」
──締め切った部屋の中、ふわりと柔らかな風が吹く。
魔力の風を纏いながら、リドルさんは音もなく姿を現した。
「やぁ。どうしたんだい、ソラ?」
リドルさんはにこりと微笑んでわたしを見る。その深紅の瞳を見返して、わたしはゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、リドルさん。もしかして、『前』の記憶があるんじゃない?」
──考えていたのだ。
もしかしたら、わたしが夢だと思い込んでいたあの出来事は、夢ではなく本当の出来事だったのでは?
一体どうして、時が戻っているのかは分からない。
それでも
「あの日、ヒカルの誕生日の朝……リドルさん、どこか不可解なものを見る表情を浮かべていたよね。あの時、何か気付いたんじゃないの? この十二月二十三日は、本当は二度目の十二月二十三日なんだって」
ヒカルや母が違和感を覚えている様子はなかった。父やローズ、リリーもまた、当たり前のようにこの数日を過ごしていた。
そう──わたしとリドルさん以外は皆、この日常を日常として受け止めていた。
「あぁ」とリドルさんは笑みを引っ込め頷いた。
「……恐らくは、ソラが考えている通りだ。僕も君と同じく、一度目の世界の記憶がある。ソラが体感した世界は夢じゃない。君が今日、あそこでお母上を止めていなければ、病室で臥せっていたのは君のお母上であっただろう。──よくやったね、ソラ」
「……でも、わたしは……」
母の代わりに、ニンファドーラおばさんが怪我をすることなんて望んじゃいなかった。
母だけが無事でいればそれでいい──なんて、そんなことは思いもしていなかったのに。
これじゃ、襲われる相手がスライドしただけだ。
「……わたしが……わたしのせいで、ニンファドーラおばさんが怪我することになったんだよ……」
リーマスおじさんの蒼白な顔を、テッドの不安で堪らない表情を、思い出す。
わたしの選択で、二人から大事な人を奪ってしまった。そのことが何よりも申し訳なくて、考えるだけで涙が溢れ落ちそうになる。
リドルさんは、わたしを励ますように笑みを浮かべてみせた。
「でも、君が未来を変えたおかげで、君のお母上は助かったんだろう? 良かったじゃないか。ニンファドーラという彼女は、君とは何も関係のない女性なのだし。どう考えても、君のお母上の命とは……」
「なっ……そんなわけないでしょ、なんてこと言うのリドルさん!?」
思わず強く怒鳴ってしまった。驚いたように目を瞬かせるリドルさんに、ハッと我に返る。
「ご、ごめんなさい……でも、ニンファドーラおばさんはわたしが小さい頃からお世話になっている人で、わたしはニンファドーラおばさんのことが好きだから……お母さんの代わりに怪我していいとか、そんなこと思えないよ」
ぶんぶんと頭を振り、空気を変えるように「さぁっ、話を戻そうか」と手を叩いた。
「時間が戻ったのは確定として、なら一体どうすれば時間を戻せるのか、そもそも何度も戻せるのか。さっきも言った通り、わたしにとってニンファドーラおばさんも大切な人なんだ。だから、守れるのなら守りたいの」
巻き戻れるのなら、もう一回だけでもチャンスが欲しい。
そうしたら、もっとちゃんと立ち振る舞える。
「ふむ」とリドルさんは腕を組んだ。
「恐らくソラが持っているのは、時間を遡る能力だろう……時戻りの異能、とでも呼べばいいかな。そんな異能力者が過去にもいたかは寡聞にして知らないものの、
「いや……驚くでしょ、普通……」
「あの親、あの祖父母にしてこの子だなと思う。むしろ異能持ちで納得したくらいだ」
「納得しちゃうんだ……」
むぅ。でもわたしよりもリドルさんの方が(何故か)わたしの親族については詳しいので、もはや何も言うまい。
……それによく考えてみたら、わたしの父って英国最強の魔法使いだったわ。その子供であるわたしが持つ魔力も、他人とは桁がひとつは異なる。
何より、魔法に常識は通じない。そう、たとえ自分に
(いや、何も納得なんてできないけど! 「はいそうですか」って、すぐには受け入れられないけど!)
わたしはタイムマシンを発明した物理学者も知らなければ、猫を飼ったこともなければ、タイムリープの間際に心臓発作で死んだ覚えもないのだ。……死んだことに気付いていないだけかもしれないけれど、それだったら救いようがなさすぎる。
……でも、タイムリープものの小説だと往々にして「因果律は不変である」みたいな結論だったりするんだよね……。つまるところ、どんなに努力しても過去は変えられない、みたいな。些細な物事や出来事に手は加えられても、未来に関わる大事は決して変わることはない──という話だ。
……いや、しかし、わたしが変えたいのは今日の出来事なのだし、怪我をする相手も母からニンファドーラおばさんに変わったしで、不変というわけでもないんじゃない? と自分をなんとか納得させてみる。うん、大丈夫だよ……多分、うん。
それが、わたしの力で変えられる未来であるのならば。
わたしは、違う未来を選びたい。
誰も涙することがない未来が欲しい。
──この罪悪感は、そうでもしないと薄れない。
「確かに、どうしてソラがそんな能力に目覚めたのかはわからないけれど」と、リドルさんは前置いた。
「ただ、時戻りについていくつか仮説は立てられる。たとえば、何が必要なのかとかね。その辺りは、前回のソラを見ていたから何となく分かるよ」
「え?」
「『死にたいほどの後悔』だ。あの時君は、僕に縋り付きながら一心に何かを祈っているようだった。君と共に過ごしてまだ数ヶ月ではあるものの、あれほど強く何かを想うことは、人間はそうそうないだろう。だから思うのさ。君はあの時、生まれて初めて心の底から後悔したのではないかな?」
────死にたいほどの後悔。
リドルさんのその言葉は、わたしの心にすとんと落ちてきた。
母を助けてくださいと、あの時わたしは祈ったのだ。
神様に。ダンブルドア様に。
そのためだったら何でもします。なんだって捧げます。なんだって差し出します、と。
(この願いを、神様が聞き入れてくださったのだとしたら──)
もう一回祈る価値はあるのかもしれない。
その後の話。
もう一度聖マンゴに戻ったわたしは、わたしを探して病院中を駆け回っていた母に見つかりこっぴどく叱られた。その後はアルバス達の家に行き、ヒカルやアルバス達と夕飯を共にした。
父とハリーおじさんは一瞬顔を出したものの、即座に「魔法省に行ってくる」と慌ただしく姿を消した。普段は騒がしいジェームズも、今日ばかりは神妙としていたため、いつになく静かな夕飯だった。
自室に戻り、わたしは窓を開ける。
外は再び雪が降り出したようだ。沈みかけた月が朧に世界を照らしている。雪が音もなく降り積もる中、窓辺にクリスマスローズが咲いていた。白い花弁は雪と同化し、淡い光を放ちながら優雅に舞い踊っている。
「……よし」
何も分からないけれど、それでも試さないという選択肢はない。
わたしは窓を閉めるとベッドの中に潜り込んだ。
……死にたいほどの後悔、か。
「そんな感情、有り余ってるよ」
そう呟いて、わたしは目を閉じた。
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