破綻論理。

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金曜日のパラドクス

第3話 在りし日の残響First posted : 2018.11.26
Last update : 2023.02.23


 保育園の頃からの幼馴染、那須玲のご両親から、玲の退院祝いのパーティをするから是非来てほしいと呼ばれたのは、つい昨日のことだった。
 いやいや俺はA級隊員、防衛任務だってシフトがぎゅうぎゅうに詰まっている。ちょっと厳しいかと思っていたのに、どこからともなくそのパーティの噂を聞きつけたA級のお兄様お姉様がたは一致団結。鷹月隊はお役御免とばかりに仕事を取り上げられ、かくして俺はフリーとなった。一体どうして、こういう時ばっか息の合ったコンビネーションを見せつけるのだろう。これぞ日頃の訓練の賜物、格の違いというやつなのだろうか。……いやマジで、仕事はえぇわ……。

 とはいえ、玲が退院したことは俺も喜ばしい。一度見舞いに行ったっきりだったから、少し気にはかかっていた。玲はもともと身体が弱い。しょっちゅう体調を崩して寝込んでしまうものの、入院ともなると話はまた別だ。

 一年くらい前にボーダーに入隊して、半年ほど前にB級に上がって。そこで出会った人たちと隊を組んだ玲は、今まで見たことがないほど生き生きとしていた。身体を思い通りに操ることができるのが楽しくて仕方ないと、全身で訴えているのだ。自由に戦場を駆ける彼女の姿は眩しかったが、それでもやはり負担は大きかったのだろうか。

「だから言ったんだ、ボーダーなんて入るなって……」

 しかし、俺の言葉をそう素直に聞く幼馴染ではない。いや、素直に耳を傾けはするのだが、あれで案外玲には頑固なところがある。ランク戦も戦い慣れてきたようで、順位もだいぶ安定してきた。やっと軌道に乗って来た那須隊を、あいつが手放すことはないだろう。

「……さて、と」

 冬の夕方六時は、もう夜といっても差し支えない暗さだ。生身だから、冬の寒さが身に染みる。那須家の門構えを見上げて、こんな大きさだったっけと少し感慨に耽った。昔は、もっとずっと大きい気がしていたのだが。
 おずおずとチャイムを鳴らす。気が抜けたようなチャイム音の後、少し経ってパタパタと足音が聞こえて来た。やがて扉が内側から開かれ、玲が顔を覗かせる。

「お疲れ、ちゃん! 待ってたよ」
「走って来んじゃねぇよ、転ぶぞ」

 玲が軽く息を切らしていたのでそう指摘すると、玲はえへへと笑った。

「そう簡単に転んだりしないわ。さ、入って入って。もうお料理も出来てるの。私とお母さんが、腕によりをかけたのよ。もうお父さんも帰ってきて、あとはちゃん待ちだったんだ」
「げ、おじさんもいんの?」
「そりゃいるよ、私のお父さんなんだもの」

 そりゃそうなんだけど。でも何となく、ついつい異性の男親というのは苦手に思ってしまう。それに、なーんか玲のお父さんには敵意を向けられている気もするし。しかしそのことを零せば、玲は楽しそうに声を上げて笑うのだ。こっちの苦労も少しは知ってほしい。

 靴を脱ぎ、玲の後に続き廊下を歩く。通されたダイニングに足を踏み入れると、玲のお母さんが出迎えてくれた。

「あら! ちゃん、ちょーっと見ない間におっきくなったわね!」
「あ、どうも。ご無沙汰してます。これ、良かったら」

 慌てて持ってきた手土産を手渡す。ぺこりと頭を下げると「何をかしこまっちゃってまぁ!」と笑いながら頰をつままれた。

「昔はピンポンも押さないで『れいちゃぁんっ』って駆け込んで来てたのに、見違えたものね」
「おばさんやめて、そんな昔のこと思い出させないで。もう子供じゃないんだから」

 恥ずかしいのだ。男子高校生が幼馴染の女子に『ちゃん』付けで呼ばれてるってだけで、もうだいぶいっぱいいっぱいなのに。

「『子供じゃない』だなんて! 生意気言うようになったわぁ。それに『おばさん』だなんて! やだやだ、昔の可愛いちゃんは、一体どこに行っちゃったのかしら。男の子の成長って早いのねぇ」

 髪の毛だってこんな色に染めちゃって、と言いながら、おばさんは俺の両頬に手を添えた。じっと俺の目を見つめては、柔らかに微笑む。

「いつでもいらっしゃいな。遠慮なんていらないわ。ちゃんとご飯食べてる? 育ち盛りなんだから、いっぱい食べなきゃダメよ」

 玲とよく似たその笑顔に、やっぱり親子だな、なんてことを、頭の片隅で考えた。

「……ありがと、おばさん」

 うん、と、最後に優しい眼差しを浮かべて、おばさんは俺から手を離す。にっこり笑ったおばさんは「だからちゃん、今日は沢山作ったんだからいっぱい食べてね」と首を傾げた。
 玲が俺の手を取っては、うんうんと頷く。

「そうだよ、ちゃん。ちゃんがいっぱい食べてくれないと、お父さんがひとりで頑張る羽目になっちゃう。私もお母さんも、普段からそんな食べないのに」
「いや、今日は玲の退院記念だろ? 俺はあくまでも呼ばれた立場な訳で、お祝いする立場なんだから、」
ちゃん」

 いつになく、玲は真面目な顔だ。

「今日は、ちゃんが好きなお魚で攻めてみたよ」
「仕方ないな、せっかくの料理を残すわけにはいかないもんな!」

 そりゃ仕方ない。お残しは許されない。

「ちなみに、何作ったんだ?」
「あさりの酒蒸し、カレイの煮付け、鯛めしにブリのあら炊き。お吸い物は、鯛めしで余った鯛のあらを昆布だしで」
「最高かよ」

 でもパーティ感はあまりない気がする。豪華だけど普通の夕食って感じだ。俺としては嬉しいラインナップだけど。そんな俺の表情を読んだか、玲は「ケーキもあるよ」と付け加えた。そうじゃない。いやそうなんだけど。

「折角の玲のお祝いなんだから、玲の好きなものにすればいいのに」

 そう呟くと、おばさんはすかさず口を挟んだ。

「あら? ちゃんと好きなものよ?」
「は?」
「お母さん!」

 何故か玲が慌てた声を上げる。なんだろうと首を傾げたその時、低い声で「くん!」と名を呼ばれた。思わず肩をびくつかせては、玲のお父さんの元へと駆けつける。

「あ、は、はいっ! お邪魔してます!」
「よく来たね。ゆっくりして行くといい」

 おじさんはにこやかだ。にこやかなんだけど……にこやかなんだけど。
 小学生の頃、玲がバレンタインにチョコレートをくれたので、ホワイトデーにそのお返しを持っていったとき(その日はたまたま日曜でおじさんもいた)のことを思い出す。笑顔の裏になんだか殺意? 敵意? そんなものを感じ取って身が震えた。メガネの奥の目も、なんだか鋭い気もしたし。

「さ、座って座って。ご飯にしましょう」

 玲に促されるまま、食卓の椅子を引いた。「昔は、ちゃんたちのご飯茶碗もお湯呑みもお箸もあったんだけどね」とおばさんは笑う。

「流石にもう、あの頃のは使えないでしょ。だからこの前『これはちゃん用ね』って新しく買っちゃった」
「そんなことしなくていいのに!」
「だってそうしたかったんだもの。ちゃんは家族も同然だしね」

 おばさんは朗らかに笑う。少し躊躇って「……ありがとうございます」と頭を下げた。

「やだぁ、そんな大人びた振る舞いしないで、昔の可愛いちゃんのままでいて。年月を感じて自分の歳を思い出しちゃうから」
ちゃんは今でも可愛いよ」

 玲はなんでもない顔をして、とんでもないことを言う。それにクスクス笑うのは女性陣だけだ。残された俺とおじさんは、割といたたまれない気分で顔を見合わせた。
 しかし……こうして家で、誰かと揃って食卓を囲むのは、一体いつぶりなのだろう。思えばずっと、こうしてなかった。

「玲、お醤油とって」
「はぁい」

 ──ふと、かつての光景に重なる。
 まだ両親が、妹が、いた時の光景に。

っ! はやくケチャップ取ってよっ』
『うるさいな、ちょっと待ってってば!』
『コラ楓! 椅子の上で立たないっ、お行儀悪いったら!』
『母さん、俺の隊服どこかわかる……?』
『テレビの前! もうっ、自分のくらいちゃんと把握して!』

 三年前、近界民が三門市を襲った大規模侵攻で、三門市は半壊滅状態にまで陥った。死者 1200 人、行方不明者400人もの犠牲者を出したこの大規模侵攻。今でも危険区域とされ放棄された地区もあるし、家族や身寄りを亡くした人、家が無くなった人も数多い。かく言う俺も、そのひとりだったりする。
 父は消防士だった。近界民から市民を庇って殺された。母は介護士だった。半壊した建物から施設の老人を助け、崩壊した天井に潰されて死んだ。双子の妹は──今も、見つかってはいない。

 俺は忍田さんに拾われたけど、今でも仮設住宅に住んでいる人は大勢いる。
 自分だけが不幸な訳ではない。

ちゃん?」

 玲が俺の顔を覗き込んできたのに、我に返った。慌てて、なんでもないと首を振る。
 自分だけが、不幸な訳ではない。

(嘆く権利なんて、ある筈ない)

「そう? 味付け、間違えちゃったかな」
「そんなことない、美味しいよ。玲も作ったの? 驚いたな」
「お母さんのお手伝いだけどね。あ、でもね、ちゃんとレシピはまとめたから、次は私ひとりでも作れるわ」
「本当に?」
「だからね、ちゃん、食べたくなったらまた、いつでも来ていいんだよ」

 玲が微笑む。その笑顔に思わず見惚れたその瞬間、おじさんが大きく咳払いをした。思わずびくっと姿勢を正す。

くん」
「は、はい」

 静かな声に『圧』を感じた。不思議と身体にかかる重圧を誤魔化すためにお茶をすすり──

「きみは、うちの娘を一体どう思っているんだね!」

 びっくりしすぎてお茶をむせかけた。何とか吹き出すことなく耐えた自分マジすげぇ。

「ど、どどど、どうって!?」

 でも声までは動揺が抑えられなかった。いや抑えらんないでしょ。え何? ここで何と言えば正解なワケ!?
 ふと隣を向けば、玲は知らん顔でお吸い物を傾けていた。おばさんもニコニコしてこっちを見ているし、いやニコニコしてないで助け舟を出して欲しい。沈没するぞ。

「えと、その、どうって……言われても……」

 精一杯引き伸ばしにかかりながら、必死で頭をフル回転させる。でも何? うちの娘って玲のことだよな。玲をどう思ってるかって?

「どう……って……」

 玲を横目で見ると、玲もこちらを見つめていた。何その目、どういう意味? せめて好意的な意味なのか否定的な意味なのか教えて欲しいんだけど。ちょっと今だけは影浦先輩のサイドエフェクトが切実に欲しい。

「……む、難しいスね」

 苦し紛れにそう口にした。

「そう? 簡単だと思うけど」

 なぁ玲!? お前どっちの味方な訳!? あっ目を逸らされた! 澄ました顔で「お茶淹れてきます」と急須持って席立っちゃった、待って玲、俺をひとりにしないで。

「……玲は……俺にとって……」

 那須玲。保育園の頃からの、俺の、俺たちの、幼馴染。
 幼馴染だけど、それだけじゃなくって。

 玲は、俺の──

「……大事な、人です。命かけても守りたい、大切な人です」

 ──この答えが正解だったかは、わからない。おじさんは俺に、答えを示してはくれなかったから。
 でも、俺にとっては正真正銘の、これ以上ないくらいの本音だった訳だし。玲に、大切な人に抱くこの感情が、間違いだなんてありえない。





「今日は、来てくれてありがとう、ちゃん」
「おー、こっちこそ美味い飯さんきゅ。ごちそうさまでした……作りすぎってくらい作ったな」

 軽く睨む真似をするも、玲は堪えた素振りもなくぺろっと舌を出した。

ちゃん、いっぱい食べてくれるもの。作りすぎたときはまた呼んじゃうね」
「作りすぎんなよ……ま、ヒマだったら行くから」

 空を見ると、街灯の光に目が眩んだ。もう時刻は八時過ぎ。携帯を確認すると、隊の奴から『作戦室閉めちゃいますねぇ』と連絡が来ていた。鍵は持っているから、問題はない。

「んじゃ、俺そろそろ帰るわ」
「うん」

 玲は微笑むと、何故か自分も外へと出てきた。……え? 気付けばいつの間にか、玲はコートも着てマフラーも巻いている。手袋もして、防寒はバッチリだ。

「あれ?」
「うん?」

 しばらくふたり、顔を見合わせては首を傾げた。あれーあれれー? とやった後、思い出したように玲が手を叩く。

「あれ、言ってなかった? 私、今夜の防衛任務担当なの」
「…………」

 聞いてない。何にも、聞いてない。
 というかそもそも玲はついこの間退院したばかりなのだし、病み上がりで防衛任務だなんて。というかちゃんとシフト見とくべきだったこんなことだったら太刀川隊にでも押し付けたのに、いやそんなことしたら玲は本気で怒るだろうしだからおいそっと腕を組んでくるなよ! 集中できないだろ!

「行こっ、ちゃん」

 あまりにも無邪気に玲が笑う。
 あぁ、俺は、いつだってこの笑顔には逆らえないのだ。



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