破綻論理。

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金曜日のパラドクス

第7話 希望の足枷First posted : 2018.12.05
Last update : 2023.02.23


、そろそろ期末テストじゃないか? 勉強しなくて大丈夫なのか?」

 夜。ボーダー本部長忍田真史は、忍田の自室でぼんやりとタブレットを見つめている鷹月に対し、そんな言葉を投げかけた。

「ん? あー、勉強ね……勉強やんなきゃなんだけどね……」

 そう言いながらも、はタブレットに目を落としたままだ。映し出されているのは、先日非公式に行われたらしい太刀川慶 vs 迅悠一のソロ模擬戦。熱心なのは結構だが、とため息をついた。一応は、今この少年の保護監督責任者は自分なのだから、さすがに放っておくわけにもいくまい。

「……少しは、お前の防衛任務のシフトを減らそうか? 鷹月隊は他の隊に比べても相当数入ってもらってるし、学校も休む頻度が高い。せめてテスト前くらいは……」
「やめてよ忍田さん、そういうことしないで。勝手にそういうことしたら、いくら俺でも怒るからね」

 ムッとした顔では言う。その言葉に肩を落とした。この子はきっと、そう言うと思っていた。

「……でも、ねぇ、忍田さん?」
「なんだ?」
「高校って、行かなきゃダメかなぁ」
「……嫌なのか?」

 確かめるように尋ねていた。

「嫌ってワケじゃないけど、俺バカだし勉強も嫌いだしさ。なんだろ、無駄じゃね? って思うんだよ。学校行ってない唯を近くで見てるからかな。あ、もちろん学校は楽しーよ? たまに先生めんどいけど。でも、どうせやりたいこともないんだし、もし留年したら辞めちゃおうかなあって気分」

 はタブレットの電源を落とすと、忍田に向き直る。「あのさ」と投げかけられた言葉には、真剣みが込められていた。だから忍田も、真摯に受け止めようとする。

「忍田さんが高校はちゃんと行けって言うなら、もうちょっと頑張る。忍田さんに高校行かせてもらってる身だし。でも、別にそこまでどうこうって感じじゃないなら、辞めてボーダーで働いても全然いいと思ってる」

 忍田さんは、どう思う?
 その問いかけに、忍田は即答することができなかった。
 それを見て取ったかはわからないが、は「ま、別に今すぐ辞めたいってワケじゃないし」と言いながら立ち上がる。

「同級の奴らは面白いし、留年してもそれはそれで楽しくやっていけるだろうし、あんまり深刻には考えてないよ。三輪なんかは俺の留年回避のためになんか執念燃やしてくれてるし、三輪先生の厳しいご指導の下ならなんだかんだで進級はできそうだし」

 んじゃ防衛任務行ってきまーすと、そう言いながらは部屋を出て行った。ひとり残された忍田は、はぁとため息をつく。





 忍田真史が鷹月と出会ったのは、三年前の大規模侵攻時でのことだった。
 全くの未知の兵器であり、この世界とは異なる技術が用いられたトリオン兵に、三門市はなす術もなく蹂躙された。警察の機動隊も、自衛隊も、戦車や大砲まで持ち出しても効果はない。壊滅までは時間の問題かと思われた。

 この日のために、城戸司令率いるボーダーは入念な準備をしてきた。近界の技術を解析して作り上げた『トリガー』を用いては、トリオン兵を駆逐して、ボーダーは一躍ヒーローの座へと上り詰めた。
『ある程度』の犠牲は、当然覚悟の上だった。それでも無残に変わり果てた三門市を見ていると、胸に何かが込み上げてくる。

 心の内側からせり上がってきたそれはひどく飲み下しにくくて、それでも舌まで到達させるとその苦さで身を滅ぼすことが分かっていたから、どんなに苦労してでも飲み干した。息をついては、再び歩き出す。
 つい数日前まで通常に稼働していた街は、今となってはその面影を残すのみ。人々の避難誘導もとうに済んで、まだ日は高いのに、街には誰ひとりいなかった。

 ──誰ひとりいないと、思っていた。
 だから、カタン……と背後で物音がした瞬間、素早く腰の孤月を抜いては振り返ったのだ。

 そこに立っていたのは、少年だった。髪の毛が金色だったから、最初は外国人かなとも思ったが、目の色や顔立ちは日本人だ。忍田の肩にも届かない背丈。幽鬼のような頼りない足取りで、それでも何かを探すようにふらふらと視線を彷徨わせている。
 一瞬だけ立ち竦んだものの、慌てて孤月を仕舞っては駆け寄った。

「おい、君! どうしたんだ、こんなとこで……! 避難誘導は……!」

 ガシッと少年の肩を掴む。ゆらりと少年は、そこで初めて忍田の顔を見返した。

「……おじさん……」

 濃い茶の瞳が、忍田の瞳を捕捉する。少年の、まだ柔らかさを残す頰には、涙の跡が残っていた。

「ご両親は? いや、とにかく、この辺りは危険なんだ。はやく、安全な場所に」
「ねぇ、おじさん。楓を、探して」

 囁くような声音だった。どこか夢見心地の、ふわふわと揺蕩う声で、少年はそっと忍田の手を握る。

「楓が、いないの。楓が、どこにも、いないの……どこに行っちゃったんだろう。かえで、ねぇ、かえで……」

 そのまま少年は、忍田の手を引いたままよろめくように歩き始めた。「かえで、かえで」と掠れた声で大切な人の名を呼びながら、ただただ足を止めたら追いつかれるとでも思っているように、ただひたすら、歩きつめる。
 身にまとう中学の制服はまだぶかぶかで、あぁ、この子の両親は、この子の背が伸びることを期待して、この制服を誂えたんだなと思うと、それだけのことで息が詰まった。

 少しでも力を込めれば簡単に振りほどけてしまうほど、少年の手には力がない。握っているとは言えないほど。ただ引っ掛けている程度の、その力。
 それでも、この手を払えない。
 この少年を早く安全なところへ預けて、まだ見回りに行かなければならないのに。

 瓦礫の山をいくつも越え、いくつも、いくつも、いくつも、いくつも、破壊された住居を、ひっくり返った自動車を、砲弾の穴だらけになった外壁を、惨状の色濃い現場を、いくつもいくつも通り過ぎる。
 途中から、少年はもう「かえで」と呼ぶことをしなくなった。ただじっと唇を引き結んでは、橙に染まる街をとぼとぼと歩く。

 日が落ちて、それでも歩き続けて。空の色と街の色の区別が付かなくなったところで、少年の手が滑り落ちた。忍田は、疲れ切って眠ってしまった少年を背負い上げると、ボーダー本部に連れ帰った。





 少年、鷹月の両親は、割と早いうちに、犠牲者リストにその名が載った。しかし彼の双子の妹、鷹月楓については、その遺体が見つかることはなく、後に行方不明者として処理された。
 家族を失ったを無情に施設に送れるほど、忍田はこの少年に心を移さずにはいられなかった。まるで、己の罪の象徴にも思えた。己が助けられなかった数多くの市民の代表のようにも、思ってしまったのだ。

「どうする?」

 結果、決めきれなくてに委ねた。はしばらく躊躇った後「許してくれるなら、忍田さんと一緒にいたい」と呟いた。確か、同時期にのサイドエフェクトが判明した筈だ。は『何を当たり前のことを』という眼差しで、ざわつく大人たちを見ていたように思う。

 にボーダーの勧誘が向かうのは、ともすれば必至の事項だった。そこまでは予想がついていたのに、忍田自身が明確にをボーダーに誘わなかったのは、多少の負い目があったからだろうか。子供たちを集めては、武器を握らせ兵士にするということに、まだ引け目があったからだろうか。まだ、そんな綺麗事を、言える自分でいたかったからだろうか。
 しかし、直々に城戸司令が鷹月の勧誘に赴いたことは、忍田の予想の範囲外だった。

 忍田の自宅に向かうという城戸司令の言葉をなんとか丁重に断って、のまだ小さな手を握っては本部へと向かう。通された会議室の大きな椅子に腰かけたは、居心地悪そうな顔で辺りを見回していたが、ガチャリと扉が開いた音にびくりと大きく肩を震わせた。

「待たせたな、忍田くん」
「……城戸さん」

「きみも」と、城戸司令はに目を向ける。「鷹月くん、だね」と名を呼ばれ、そっと目を上げ城戸司令を見たは、小さな声で「……どうも」と呟いた。

「さて。ボーダーという組織については、きみも忍田くんからある程度は耳にしていると思う」

 はぼんやりした表情で、城戸司令が話す内容を聞いていた。反応はやはり薄く、ともすれば聞いていないようにも見える。
 正直、城戸司令がこの少年をどう口説くのかは興味もあった。家族が死んで尚、この少年は近界民に対する復讐心を抱いてはいないようだった。戦場から目を背け、静かに生きていく生活こそをこの少年が好むのは、このひと月あまり共に生活をしてみてわかったことだ。

(──この人は、のサイドエフェクトを)

 そっと、目を伏せる。
 奥歯を噛み締めては、拳を握った。
 この人は、のサイドエフェクトの報告書を見て、あろうことかこう言ったのだ。


『迅悠一の下位互換だな』と──


「楓はっ、楓は死んでないっっ!!」

 の怒鳴り声に、はっと我に返った。
 立ち上がったは、瞳に怒りを滾らせては城戸司令を睨んでいた。小さな少年の怒りなど、城戸司令は意にも介さない。いや、むしろ、こうして怒らせることが、その目的であると思うほどの落ち着きぶりだった。

「お、おい、、落ち着け」
「楓は死んでないっ、死んでなんかないっ、楓は、楓は死んでないっ!! 訂正しろっ、今の言葉を訂正しろ!! 楓は、おれの楓は、絶対に絶対に絶対にっ、死んでなんかいないんだ!!」

 それは。
 それはあまりにも真っ直ぐで、あまりにも悲痛で、あまりにもおぞましく、願いと呼ぶにはあまりにも狂気に満ち満ちた、この子が縋るたったひとつの希望だった。

 その希望が、どれだけ儚く淡いものか。
 思い、僅かに、息を詰めた。

「──訂正しよう。きみの妹君は死んでいない。その通りだ」

 すまなかったと、に素直に謝罪をした城戸司令に、忍田は耳を疑った。
 の強張っていた背中から、すとんと力が抜ける。一度抱いた敵意の置き場所を見失ったは、一転して無防備な眼差しを城戸司令に向けた。

「……え?」
「きみを怒らせてしまった短慮を謝罪しよう。あまりにも、きみの気持ちを考えない物言いだった。……その上で、私はきみに、ひとつ提案をしたい」

 は猜疑心を眼差しに込めるも、素直に城戸司令が続ける言葉に耳を傾ける。それが、城戸司令の策であるとも気付かぬままに。

(そこまでして、この子が欲しいか、城戸さん)

 迅悠一の『保険』が欲しいか。

(──認めよう)

 欲しいのだ。
 未成年者に望みを託し、その手に武器を握らせて尚、欲しいのだ。

「きみの妹君は、おそらくは近界ネイバーで生きている」
 は目を見開いた。僅かに口は開いたが、そこから言葉は出てこなかった。

「今回の大規模侵攻での行方不明者は、近界に連れ去られた可能性が非常に高い。きみの妹君も、勿論例外ではない。そして我々『ボーダー』には、近界に赴くための技術がある。これがどういうことか、きみにはわかるかね?」
「……楓を連れてったネイバーのとこに、行ける……?」
「その通り」
「楓を、助けに、行けるの?」
「誰でもないきみ自身が、そうしたいと望むなら」

 ぞくりとは身震いをした。惑う瞳で、怖れる心で。

「……楓は、生きてる」

 ──それでももう、想いは只、ひとつへと向かう。
 城戸司令は、の返答を求めなかった。

 帰り道。ずっと黙り込んでいたは、そっと静かに顔を上げた。

「……忍田さん、おれ、ボーダーに入りたい」

 見つめる瞳は真っ直ぐで。
 そのすぐ隣で揺れる大人にできることと言えば、込み上げる苦さをぐっと飲み干し、「頑張りなさい」とその頭を撫でることしかなかった。





(……私は、に)

 彼が座っていたソファに、指をかけた。僅かに残る温もりを、感じ取っては息を吐く。

には、誰の思惑にも振り回されて欲しくないだけなんだ)

 それでもきっと、わかっていたのだ。
 自由に未来を選べだなんて。
 それが君の未来だなんて。

(一体、どの口が言えるのだろう)



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