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『鷹月楓は、近界で生きている』
ボーダーの一番偉い人にそう告げられた瞬間、やっと俺は、生きる理由を見つけた気がした。
楓は死んでなんかいない。
──俺のサイドエフェクトが、そう言っていたのもあるし。
それ以上に、確信してもいた。
楓が、俺を置いて死ぬなんて、そんなことはありえないって。
楓の隣は俺の居場所。
生まれる前から一緒だった。
俺が生きているのだから、楓も生きているのだろう。
楓がもし死んでいたら、そのときは。
俺は楓を、ひとりにはしない。
初めて握ったトリガーは、そう重くはなかったけれど、なんだか持て余すような気分にもなった。
もともと直情型の気質で、頭に血がのぼりやすいタイプだから、殴り合いにはそう抵抗ないし、身体も割と動く方だ(当時はちびだったけど)。それでも武器を握ったのは初めてで、こんなガキでしかない自分が、あんなに大きなネイバーを倒せるようになれるとは思えなかった。大の大人が束になっても敵わなかった相手に、本当にこんなもので戦えるのだろうか。
それでも、ボーダーに入って強くなれば、楓を探しに行けるのだ。そう思うと、忍田さんの言葉も信じられる。
「これがトリガー。これに触れて『トリガー
忍田さんに促され、おずおずと「トリガーオン」と呟いた。一瞬光に包まれたあと、服装が黒のジャージに変わる。しかしそれ以外は、何が変わったのかもよくわからない。生身の身体はこのトリガーホルダーの中に収納されているらしいけど、ちょっとそれも何言ってんのかよくわかんなかったし。
「痛覚の上限を切っているくらいで、その他の感覚は生身とそうは変わらないはずだ」
「ふぅん……」
手をぐーぱーさせてみても、本当に生身の身体みたいだ。
「……あ、そうだ。忍田さん、あのさ」
ふと興味が湧いたので、尋ねてみることにした。
「トリオン体って、どうやって死ぬの?」
忍田さんは軽く眼を瞠る。口を開いた忍田さんは、一瞬言葉を探したようだった。
「……心臓の隣にあるトリオン器官の破壊、ないしトリオン伝達系である頭と分断されたとき、かな。あとは、トリオンの過剰流出でも、普通の肉体で言う『死』を迎えることはある」
「なんだ、そこは変わらないんだね」
道理で、先程からその『死』が視えると思った。
「……トリオン体での『死』も、視えるのか?」
「ん? うん、視えるよ。ちょっとぼやっとした感じだけど」
そういえば、サイドエフェクトの検査のときも、そんなことを根掘り葉掘り尋ねられたっけ。人間は、犬は、猫は、魚が死ぬのは視えるのか、昆虫ならばどうなのか。二次元のキャラクターが死ぬのも視えるのか、ゲームのプレイアブルキャラクターは……。割と辟易したことを覚えている。ちなみに「ハムスターが死ぬのは視えるけど金魚が死ぬのは視えない。ゲームの登場人物が死ぬのは視えないけど、操作してるやつが死ぬのは視える」と答えた。
少し考え込んだ忍田さんに、ひとりの人が寄ってきた。高校生くらいのその人は、忍田さんに「城戸さんが呼んでるよ」と声を掛ける。
「あぁ……ありがとう、慶。そうだ、少しこの子を見ててもらえないか? この子は鷹月颯と言う。一応は、お前の弟弟子に当たる子だよ。颯、彼が太刀川慶。君の兄弟子に当たる人だ」
忍田さんに肩を叩かれ、慌てて頭を下げた。おずおずとその、太刀川さん、を見上げる。太刀川さんは軽く顎を上げては、視線だけで俺を見下ろしていた。
忍田さんが去っていく。と、太刀川さんは興味深げに俺の頭にぐっと顔を近づけた。わぁっと思わず肩が跳ねるも、そのままむんずと髪を掴まれる。
「え、お前、ガイコクから来た感じ? 俺、日本語しか喋れねーんだけど、だいじょーぶ?」
「あっ、う、違うっ」
鷹月颯、日本人ですと慌てて言葉を紡いだ。その間にも太刀川さんは「お前チビだなー、小学生か?」と俺の頭をぐしゃぐしゃにし続けている。ちょっと楽しそう。
「小学生じゃないっ、中学一年だよ!」
「中一ぃ? 中一ってこんなちびっこかったっけ。俺どんくらいあったっけなー、憶えてねーなー。なぁ、お前の名前なんだっけ、もっかい教えて? つか漢字どー書くの」
「あ、えっと」
肩をガシッと掴まれ、そのまま引きずられるようにしゃがみこんだ。その辺に落ちていた木の棒で『鷹月 颯』と名前を綴る。へー、と太刀川さんは俺の名前を何度か書いた後「俺の名前はこー書くの」と自分の名前も書いてみせた。
「これで『けい』って読む」
「あ、おめでたい字だ」
「知ってんの?」
「年賀状で見たことある」
あーなるほど、と言いながら、今度は更にその隣に『忍田真史』と書き付ける。
「これが忍田さん。俺たちの師匠」
「ししょう、はどう書くの?」
「あー、どうだったっけなー」
太刀川さんは唸りながら『師』はなんとか書けたけれど、次にカタカナのコを反転させたようなものを書いたあたりでギブアップした。中に何が入るのかよくわからなくなったらしい。
ふたりであぁでもないこうでもないと地面に文字を書いていると、いつの間にかひとりの女の子が、腰に手を当てて俺たちを見下ろしていた。俺と同じくらいのその子は、不思議そうな眼差しで地面に書かれた漢字を眺めたあと、俺たちふたりに尋ねてくる。
「何やってんの?」
「あ、颯、こいつは『こなみきりえ』って名前でな、えっと、こなみ、こなみ……って、どう書くんだっけか」
「はっ!? 太刀川、アンタあたしの名前もロクに書けないの!? しんっじられない、ちょっとそれ貸しなさいよ!」
はい、と太刀川さんが、その子に棒切れを手渡した。その子もしゃがみこむと、俺や太刀川さんよりも数倍綺麗な字で『小南桐絵』と書いてみせた。
「こ、な、み……これで『こなみ』って読むの?」
「何よ、なんか文句あるの?」
「い、いや何も」
この子、微妙に楓っぽいなぁ……。
「なぁ小南、ならお前『師匠』って書ける?」
「は? 師匠? 師匠って、こう……でしょ?」
さらさらと流れるように漢字を書いた小南に対し、太刀川さんとふたり「「おおー」」と尊敬の声を上げた。
「すげぇ、賢い! 小南頭いー!」
「え、えへへ、そう?」
小南は照れたように頭を掻きながら「あたしが名乗ったんだから、アンタも名乗りなさいよ」と俺に肘打ちを食らわせた。棒切れをもらってまた名前を書きながら「鷹月颯、って、読むんだ」と口にする。
「鷹月颯? あぁ、忍田さんが面倒見てるちびっこね」
「ちびって言うなよ」
「だってちびじゃない。アンタ何年生よ」
「中一だけど」
「あたしと一緒! やっぱりちびじゃない!」
「うるさいなぁ! これから伸びるの! というか小南もおれとおんなじくらいじゃないか!」
物言いが楓とそっくり……。
……実は、楓の方がおれよりちょびっとだけ高かったりもするんだよね。なんでだ。
小南はすっくと立ち上がると、目を細めて俺を見下ろした。
「それにしても、忍田さんの弟子にしては弱そうなやつね。アンタ、今日初めてトリガー持ったって本当なの?」
「う、そうだけど……」
小南の視線に思わずたじろぐ。小南は「ふーん」と呟くと、いいことを思いついたと言わんばかりの表情で笑った。
「ねぇ鷹月、あたしが相手したげよっか」
「え? きみ、戦えるの?」
驚いて尋ねる。だって俺と同い年の女の子なのに。小南はぴくりと眉を顰めたが、ふんっと肩を竦めた。
「今日は、そんな失礼な物言いも許してあげるわ。そんな言葉二度と吐けないようにしてあげる。兄弟弟子もろともかかってきなさい! 格の違いってやつを、見せてあげるわ」
──本当に、格の違いを見せつけられた。
小南にすっぱんとやられた首を思わず擦る。なるほど、これがトリオン体での『死』か。実感はあるけど感覚はないというのは、なんだか変な感じだ。
俺は早々に脱落したけど、太刀川さんと小南はまだやり合っている。それでも太刀川さんが、およそ2分後に倒されることは視えていた。その通り、胸を一突きされた太刀川さんは、生身に戻っては地面に大の字で寝転がっては「あー、また負けた!」と呻く。
「太刀川さん、汚れるよ……っうわ!?」
そう声をかけた瞬間、太刀川さんはびよんっとバネのように飛び起きては「お前が早くに負けるからーー!」と俺の襟首を掴んで揺さぶった。
「だ、だっておれ、今日はじめてトリガー触ったしっ」
「そんなの関係ねーだろ!」
「いやあるだろ!」
俺と太刀川さんがぎゃーぎゃーやり合っている間も、小南は涼しい顔をしていた。ふたりがかりでも一太刀すら浴びせることもできなかったし。俺が足手まといになった可能性はなくもないけど。
とそこで、ひとりの人が訓練室に姿を見せた。太刀川さんよりちょっと若いくらいの、青いジャージを纏ったその人は、薄い笑みを浮かべたままぐるりと辺りを見回す。
「小南、あんまり太刀川さんをいじめてやんなよー、いつかしっぺ返し食らうぞ」
「なんの用よ、迅」
「あのさぁ、今日の夕飯の買い出しなんだけど、俺ちょっとやりたいことあって……おっ、そこの金髪チビっ子は確か、忍田さんが面倒見てる子だっけ──」
そう言いながら俺を見たその人は、瞬間目を見開いて言葉を止める。
どうしてその人が、俺を見てそんな顔をするのかわからないまま、俺もただぽかんとその人を見返した。呼吸も止まっていそうなその素ぶりを、小南も怪訝に思ったのか「ちょっと、どうしたのよ、迅」と尋ねかける。
小南の声で、その人はやっと我に返ったようだ。ぁ、と小さく声を零すと、首を振っては一歩下がる。その人が俺から視線を外したことで、俺もやっと身体から力が抜けた。
「……あ、な、なんでもない」
「なんでもないってツラじゃないと思うけど」
太刀川さんも指摘する。迅と呼ばれたその人は、軽く肩を竦めてみせた。
「昔の親友が、そいつによく似てたんだよ」
「えっ、そうなの!?」
小南が大きく息を呑む。俺もびっくりだ。世の中には自分によく似た人が三人はいると聞いたことがある。この人の親友も、もしかしたらそのひとりなのかもしれない。
「そうそ。だからちょっとびっくりしちゃってさ。……っと。はじめまして、俺は迅悠一。鷹月颯、って言うんだっけ。名前だけは城戸さんから聞いてたよ。これからよろしくな」
んじゃ、と、その人──迅……さん? は、片手を上げては出て行こうとする。迅先輩? 太刀川さんほど歳上じゃないっぽいし、なんて呼べばいいんだろ。小南が迅って呼んでたし、迅でいいのかな。迅の背中に、小南は慌てて声をかけた。
「ねぇっ、あたしに何か言いかけてたわよね!? 結局何だったの!?」
「……あー……あー、ゴメン、やっぱそれ、ナシで」
「えっ?」
きょとんと小南が目を瞬かせる。その時、太刀川さんが言葉を投げかけた。
「迅ー、ヒマならお前も訓練付き合えよ。あともうちょっとで何か掴めそーなんだよ」
「えー、太刀川さんほんと筋がいいから、あんまりライバルに塩送りたくねぇんだよな」
「ふふん、この調子じゃ追いつく日も近いな」
「ゼッタイ追いつかせてなんかやんないし」
そう言って、その人は身を翻すと去っていった。ちょっとぽかんと入口の方を見つめていると、ぴんと小南に髪を引っ張られる。俺の金髪をしげしげと眺め、小南は呟いた。
「迅の親友って、もしかして外国の子だったりするのかしら」
「あ、なるほど」
なんだか納得して頷く。「さっきのやつは、じんゆういちって言ってな」と太刀川さんはおもむろに棒切れを拾い上げては『迅悠一』と地面に名前を示してみせた。へぇ、と口の中で名前を転がす。どこかで同じ響きを聞いたことがある気がするんだけど、記憶を辿ってもすぐには出てこなかった。でも、そう遠い昔じゃなくって(それこそ昔の親友とかじゃなくって)結構最近だったと思うんだけどなぁ。
そこで、太刀川さんは立ち上がって伸びをした。くるっと俺を振り返ると、いい笑顔でグッと親指を立てる。
「よっし颯、休憩は済んだな? 孤月を握れ、兄弟子様が稽古つけてやる」
「えっ……」
稽古は、もちろんありがたい。でも、自分がぶった斬られる死に様が視えるんだもの……。稽古というより多分これ一方的に叩きのめされるだけだ。思わず逃げようと身を引いたが、太刀川さんが俺の腕をがっしり掴む方が早かった。
そのままなし崩しに稽古という名の試し斬りに付き合わされ、三度ほど連続で『死んだ』時、再び訓練室の扉が開いて迅が顔を覗かせる。さっきよりずっとにこにこしたまま、迅は俺に向かって手招きをした。なんだろうと思いながらも、太刀川さんから離れたい一心で近づくと、迅は後ろから俺の両肩に手を置く。
「太刀川さん、小南、こいつ連れてってもいーかな? 夕飯の買い物の荷物持ちに」
「えーっ、俺のおも……じゃない、俺の弟弟子だぞ!」
太刀川さんが文句を言う。い、今あの人、『俺のおもちゃ』って言おうとしたぞ……俺は聞き逃さないからな……。
「ちょっとくらい貸してよ」と迅は俺の肩を引き寄せた。「行こ」と俺に笑いかけると、とんと背中を叩いて離れて行く。
「おれはものじゃないよ」
そう言うと、迅は「え?」と軽く目を瞠って振り返った。
「太刀川さんに、おれのこと『貸して』って言ったじゃん」
「だってあの人、そう言った方が通じるからさ……あぁ、悪かったって、怒んなよ」
「別に、怒ってなんかないし」
「ほんとかよぉ」
む、と唇を尖らせると、迅は俺のほっぺをむにゅっと掴む。途端、何が面白いのかひとりで笑い出した。俺は面白くなんかない。離せとちょっとムキになって振り払う。
「おれと、アンタの親友が似てるって、ほんとなの?」
「あぁ、あれウソだよ。なんだ、信じたの? お前も小南と似てバカ素直だなぁ」
「えっ……ウソなの?」
ちょっと呆然とした。信じてたのに……。俺のその反応にも迅は笑う。
「なぁ、颯。お前のこと聞かせてよ。なんでもいいからさ」
迅はそんなことを言った。えぇ? と首を傾げてしまう。なんでもいいと言われたときが、やっぱり一番困るのだ。
「……おれ、双子なの」
迷った挙句、こういうときはいつも楓の話をしてしまうのが常だった。双子の妹である楓のこと、楓が無理矢理金髪にさせたこと。楓のことだったら、いくらでも口をついて出る。迅は俺のどんな話も、興味深そうに相槌を打って聞いていた。
そんなことを話しているうちに、気づけば街まで出てきていた。さっきまでは危険区域だったから、誰ともすれ違わなかったのだ。
そのうちのひとり、通りを挟んだ向かい側にいた、ベビーカーを引いては信号待ちをしている女の人に目が吸い寄せられる。どうして視線が行ったかというと、これから数分後、彼女に死ぬ未来が訪れるのが視えたからだった。
慣れているのに、認識した瞬間は思わず息が止まる。あれはトラックだ。赤信号なのにトラックが突っ込んで、ぐしゃぐしゃになったブロック塀と電柱と、咄嗟に離したのだろうか、ベビーカーだけは無事だった。
身震いをして、そっと目を伏せる。迅の肘をそっと引っ張った。
「迅、あっちから回っていこ……」
「なんで?」
間髪入れずに返され、思わず面食らう。
これまで、迅はずっとにこにこ笑っていた。そんな迅が、今は笑ってない。ただ凍えるような無表情で、じっと俺を見下ろしている。
お母さんに怒鳴られるよりも、先生に叱られるよりも、目の前の人が笑っていないことの方が怖かった。
「ねぇ、なんで、逃げんだよ」
口調は、ずっとずっと、静かだった。
静かではあったけれど、滾るほどの怒りが奥にはあった。
ただ、ただ。
息を止めて、その目を見返す。
「なんで、助けようと動かない」
見てろ。
見てろよ、鷹月颯。
「その生き方は許さない。そんな生き方を、俺は、俺だけは決して認めない」
「今から俺は、お前を呪う」
迅悠一が、瞬間身を翻した。俺が目を逸らした事故現場に、俺が目を背けたその未来に、ただの生身で、ただの子供の身体で、何も持たぬままに突っ込んでいく。
クラクションと、ブレーキ音。トラックが思いっきり歩道に乗り上げ、ブロック塀に突っ込んで止まる。
一拍遅れて、悲鳴が響いた。
「……、ぁ……」
息を吸うことも、吐くこともできないまま。
見てしまったらきっと、立ち直れないことがわかっていて、尚。
俺は、その現場に歩み寄っていた。
道路についたブレーキ痕。地面に散乱する、砕けたブロック塀と粉々になった車の窓ガラス。パンパンに膨れたエアバックに、運転手が潰されているのが見える。車の陰に隠れるようにして、無傷のベビーカーがあった。
──その、奥に。
迅悠一と、女の人が、生きていた。
「大丈夫です!? あぁ、本当に、ありがとうございます!」
迅に向かって、女の人が頭を下げている。迅の片腕は奇妙な方向に折れ曲がっていて、折れていることが一目でわかった。
いえ、と迅は微笑んでみせる。女の人はそのまま、俺の隣を抜けてはベビーカーに駆け寄って行った。
迅は俺を見ると、笑みを消してはまっすぐに歩み寄ってくる。その瞬間、どこで迅悠一の名前を聞いたのかを思い出した。
それは、サイドエフェクトについて、専門家だと名乗る人から説明があったとき。
『迅悠一という子も、きみと似たサイドエフェクトを持っていてね』
『未来視』──それが、迅悠一という少年のサイドエフェクトなのだと。
彼には、未来が視えるのだと。
逃げることもできなくて、込み上げる震えをそのままに、ただ迅の目を見返した。
迅が、無事な方の腕で、俺の胸ぐらを掴み上げる。抵抗することもできないまま、ただされるがままでいた。
迅は言う。
「お前、今、この人を見殺しにしようとしただろう」
震えを必死で押し殺すような、声だった。
「お前、今、この人の未来を、諦めただろう」
奥歯を噛み締め、迅は俺を睨み据える。
「未来は、変わる。変えられるんだ……過去は変わらないけど、未来は、誰かの行動で、変えることができるんだよ」
その言葉が、その声が。
脳に劇物として染み渡る。
「あ……ぁあ……」
震えながら、女の人に目を遣った。
俺が見捨て、迅悠一が助けたその人に、さっきまで俺に視えていた『死ぬ未来』は、綺麗さっぱり消えていた。
「ぁあ…………!!」
知らなかった。
知らなかった。
だって、誰も教えてくれなかった。
視えていた死が、こうやって変えられるものだなんて、誰も教えてくれなかった!
迅悠一が、俺の服から手を離す。身体に力が入らなくて、迅の足元に這いつくばった。
「なんで……」
そんな、どこまでも情けない声が零れる。
なんで、なんで、なんで。
あぁ、本当に、なんでなんだろう。
なんであのとき、楓についていかなかったんだろう。
「……なんでぇ……」
お父さん、お母さん。
なんで、なんで、なんで。
なんで、諦めてしまったの。
俺が、見捨てて、殺したんだ。
お父さんとお母さんだけじゃない、もっともっと多くの人を、俺は、俺が、殺したんだ。
諦めてはいけなかった。
俺に、何が出来たのかはわからない。
でも、何か、やるべきだった!
視えている死が変えられるって、もっと早くに知っていたら。
「あぁぁ…………」
お父さんにお仕事行かないでって言えばよかった。
お母さんの手をずっと掴んで、一緒にいればよかった。
わかんないよ、わかんない、それで本当にふたりが死ななくて済んだのかなんてわからない。
わからないけど、やるべきだった。
俺は、俺のできる最大限のことを、やるべきだったのに!
大規模侵攻が起こることを、俺は知っていた。
あの女の人が車に轢かれることを、俺は知っていた。
俺は、今まで、何人も、何人も、何人もの死を、いとも簡単に見過ごした。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
楓。
楓、楓、楓。
なんであのとき、楓についていかなかったんだろう。
俺の片割れは、正解を知っていたのに。
なんで俺は、その正解を選べなかったんだろう。
脳裏に浮かぶ、楓の背中。二度と振り返らない、意志が漲るその背中に、なんで俺は、なんで俺は、なんで俺は!!
知っていたのに。
視えていたのに。
救急車とパトカーのサイレンが、近付いてくるのが耳に届く。夕焼け空を背後に背負い、俺をじっと見つめる迅の顔に浮かぶ感情は、怒りじゃなくて悲しみで。なんだか申し訳なさも漂っていて。
なんでそんな顔するの。
なんでそんな、自分のせいみたいな顔してるの。
俺のせいなのに。
全部、全部、俺のせいなのに。
ふわりと風が吹き付けて、迅のジャージが宙に舞う。夕焼けの空と青色は、涙でじわりと滲んで溶けた。
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