破綻論理。

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金曜日のパラドクス

第15話 Garden of EdenFirst posted : 2018.12.24
Last update : 2023.02.23


 荒い息を吐いて、迅悠一は身を起こした。手を伸ばして水を流すと、ふらつきながらトイレの戸を開け手洗い場へと向かう。口をゆすいで残留する胃酸を吐き出すと、ついでに顔も洗った。

 鏡を見ると、生身の自分が今にも死にそうな顔でこちらを見返している。顔色は悪くて、頭は痛くて、今も吐いたばっかりで。それでも目だけは爛々としていた。獲物を見つけた獣の目。生贄を前にした悪魔の目だ。

「あは……あはは……」

 数時間後の未来が視える。夕方過ぎのニュースだ。三門市のある交差点で、居眠り運転のトラックが信号を無視して歩道に突っ込んだ凄惨な事故の報道。まさかこれを、利用しようだなんて考えるとは。

 ──鷹月

 あの少年の未来が視える。自分のサイドエフェクトに苦しみながらも、それでも平穏な未来を送る彼の姿が。
 優しい子だった。家族は喪ったものの、大切な人がいて、愛されて。やがては人並みに幸せな未来を、送ることができるはずだった。

 そんな未来を、俺は今から踏みにじろう。
 数多あった、お前の尊い幸せな未来を手折ろう。
 たったひとつしか、残してやらない。
 たったひとつの未来しか、お前のその手に握らせない。

 ──俺と同じ地獄で、共に生きよう。

……鷹月……」

 もしかしたらその未来は、迅悠一も持っていたものなのかもしれない。
 サイドエフェクトから逃げ続け、なんとか人並みの幸せを手に入れることができる未来というものが、迅悠一にもあったのかもしれない。

 鷹月の未来は、迅悠一が奪い取った。
 ならば迅悠一の未来は、一体どこで消えたのだろうか。

「……神さまが、そうしたのかなぁ……」

 それでも、どうしても、許せなかった。
 鷹月の生き方が。
 鷹月の在り方だけは、迅悠一が認めてはならないものだった。
 未来を知る者としての責任を、思い知らせてやらないと、気が済まなかった。
 それが結果、あの少年を粉々に壊す毒だとしたって。

 彼は、迅悠一の言葉に縛られるだろう。
 あの少年は、人のために死ぬだろう。
 あの少年は、運命によって死ぬだろう。
 あの少年は、己のサイドエフェクトによって殺されるだろう。
 迅悠一と、同じように。

「…………ちがう」

 あの少年は、人のために死ぬだろう。
 ──違う。

 あの少年は、運命によって死ぬだろう。
 ──違う。

 あの少年は、己のサイドエフェクトによって殺されるだろう。
 ──違う。

 迅悠一と、同じように。
 違う。違う。違う。

 それは、違う。
 を殺すのは、この俺だ。
 俺が、鷹月を殺すのだ。

 ──俺のサイドエフェクトが、そう言っている。

「あはっ……ねぇ、聞いてよ、最上さん」

 両手で顔を覆った。そのまま天を仰ぎ見る。

「俺、今から、神さまになるよ」
 




 用事があって、本部へ向かった。まずは、ランク戦会場から出たすぐの場所にある休憩所へと足を運ぶ。
 自動販売機が置かれ、いくつかのテーブルと椅子が配置されたその場所は、ランク戦でくたびれた隊員たちの憩いの場所になっていた。そこでお目当ての金髪を見つけ、迅悠一は歩み寄る。

「よーっす。なんだ、元気そう」
「あ、迅」

 濃い茶の瞳が迅を見上げた。隊服である黒のコートを纏っては、ペットボトルに入ったレモネードを両手で包むように握っている。

「迅さん、久しぶり」
「なんだ、迅かよ」

 同じテーブルについていた村上鋼と影浦雅人も、迅の登場に三者三様の反応を返した。うわ、サイドエフェクト持ち攻撃手ばっかのテーブルだ、と思いながらも「何、休憩中?」と尋ねる。

「そ、さっききっちりボコボコにされてきた帰り。もう俺が今日死ぬ未来は視えねーから、太刀川さんと出くわさないことだけが救いかも」

 二対一は卑怯だと呟きながら、鷹月はレモネードを傾ける。だってなぁ、と村上は苦笑しながら肩を竦めた。

「このボーダーの一体誰が、忍田さんの弟子に手を抜いて挑めるかって話だ」
「それで鋼さんも影浦さんも、きっちり俺のことボコボコにしてくるんだもの。ちょっとは後輩に優しくしてくださいよ」
「誰がするか、バーカ」

 影浦が楽しげに憎まれ口を叩いた。影浦の口調は荒いものの、ふたりは気にするそぶりもない。

「あっそうだ、ねぇ迅さん、聞いてます? こいつこないだ事故に遭ったんですって。知ってました?」
「鋼さん、なんで迅に報告すんの!」

 顔をしかめ、鷹月は文句を言った。えー、と言う村上は、全然悪びれた様子もない。

「……へぇ、そうなんだ。出歩いてだいじょうぶなわけ?」
「んあ、まー右腕折れたけど入院するほどの怪我じゃなかったし。ちょっと日常生活不便だけど」

 鷹月は視線を落とすと、軽く右手を動かしてみせた。影浦が笑って茶化す。

「ったりめーだろ、利き腕折っちゃそら不便だっつーの」
「イヤ、ウン、ほんとそれなー。試験終わったあとでラッキーだったわ」

 ラッキーだったで済ますんじゃねぇとばかりに、村上と影浦は揃って鷹月の頭をぶっ叩いた。うぐぅと鷹月が呻くのに、思わず迅も苦笑する。

「まぁ若いから、骨なんてすぐくっつくでしょ」
「そうそう、迅の言う通り。それに俺、ここにいるときは大体トリオン体だから、そう不便ないんだよね」
「ちょっとちゃーん、それは『不便ない』で済ませちゃダメなとこだと思うぞー?」

 ちゃんって言うな! と瞬間鷹月はきっと歯を剥いた。そういうところが相変わらず、可愛い弟分なのだ。ついつい可愛がってしまう。

「あ、でも。この事故のせいで、今の鷹月って案外小金持ちなんですよ。なんでもあちらさんが居眠り運転だったっぽくって、示談金ががっぽりと。何日か入院したらもっともらえたんじゃないの?」
「ヤダよ、俺病院嫌いだし。入院なんて考えただけでも気持ち悪い」

 心底嫌そうな顔で、鷹月は首を振った。「その辺り忍田さんとかが調整してくれたみたい。俺はよくわかんないけど」と零す。

「そーゆー小難しいとこは、俺の領分じゃないんで」
「んじゃテメーは何の担当なんだよ」
「んー、身体動かす担当?」
「さすが、脳筋バカの言い分」

 笑った村上は、ふと迅を振り返る。

「そうだ、迅さん。ということで、今日は鷹月の奢りでカゲんちのお好み焼き屋に行くことになってるんですけど、暇だったら来ませんか? 荒船も来るんですけど」
「えーっ、迅が来るなんて聞いてねーし!」

 途端、鷹月が文句を言う。目立つ金髪をぐっと掴んで黙らせながら「え、いーの?」と明るい声をあげた。

「もちろん。いいよな、カゲ?」
「アァ、迅? まーいいや、人多いとその分売り上げも増えるし」

 ここに来るまでは、この未来を選ぶつもりではなかったのだけれど、気が変わった。鷹月の髪から手を離すと、鷹月は情けない顔でこちらを睨みつけてくる。

「俺、右腕使えねーから、食べんのだって難儀すんのに……」
「あーんで食わせてやるから安心しろよ」
「断! 固! 拒否! する!」

 鷹月は、腕を組んではそっぽを向いた。

 集合時間と場所だけを聞き、手を振っては三人と別れる。そのまま足を進めた。は、会いたい方から姿を見せてくれる。
 角を曲がった。途端、走ってきたちびっこが飛び込んでくるので、慌てて手を広げては受け止める。

「っ……と。唯ー、お前、曲がり角はスピード落とせよ、危ないぞ」

 思わずそう口にした。衝撃で野球帽が跳ね飛び、青い髪が露わになる。鷹月隊隊員である宮瀬唯は、大きな目を見開いては迅を見上げた。

「なんだ、迅さんか」
「なんだじゃねーだろ」

 どうも鷹月隊の連中は、鷹月を筆頭に迅への扱いが軽い気がする。別に敬えとは言わないが。
 とりあえず、宮瀬唯のいつもの野球帽を拾い上げた。そのままぼすんと被せると、宮瀬は呻きながらも手の甲でつばの角度を調整する。そのあと、何を思ったか、宮瀬は両の握りこぶしを迅に突き出してきた。

「はい、迅さん」
「……えっと、何?」

 不思議に思ってそう尋ねる。宮瀬は一旦拳を自分の胸の高さにまで下ろすと、ぱっと右手を開いてみせた。その手のひらには、飴の包みがひとつ乗っている。はちみつりんご味。
 左の拳は開かぬまま、宮瀬は再び右手を握り締めた。

「僕の右手には、今見た通り、嵐山さんが隊にくれたはちみつりんご味ののど飴が入ってるんだ」
「へぇ、嵐山が」

 話がどう着地するのかもよく視えないまま、とりあえずは相槌を打った。うん、と言いながら、唯は今度は握りしめたままの左拳を強調してみせる。

「んで、こっちは、隊長が来訪者に見つからないようそっと隠してる秘蔵のプレミアムレモンのど飴が」
「ちょっと待て。そんなのダメだろ、に怒られちゃうぞ」
「入っている、かもしれない」

 迅のツッコミを無視して、宮瀬は言葉を続けた。軽く首を傾げると、上目遣いで迅を見上げる。

「迅さんが左手を選ぶと僕が予知していたら、左手の中にはプレミアムレモンのど飴が入ってる。でも、両手を選ぶと予知していた場合、この左手の中には何も入ってないの」
「ニューカム問題か」

 納得して頷いた。
 ニューカム問題──ニューカムのパラドックス。このパラドックスはよく、以下の問いかけにて表される。

 曰く。
 ここに、完全な予知能力を持つ何かしらが(ときにこれは宇宙人とも示される)いたとする。その者は二つの箱を見せてきては、こちらに語りかけるのだ。

『箱Bの中には十万円が入っています。あなたが箱Aだけを開けるだろうと私が予知していた場合のみ、箱Aには一億円が入れてあります。両方開けると予知した場合、箱Aの中身は空っぽです』

 このとき、あなたはどう振る舞うだろう、という問題だ。

「なんだ、知ってた?」
「俺も、自分の持ってる未来視について調べてみたことくらいはあるんだよ」

 昔、昔の話だ。

 着眼するべきポイントは、そのお金が──今回の場合は飴玉が──用意されたタイミング。
 迅がどう答えようが、宮瀬の拳の中身が擦り変わることはない。マジックだとかトリックだとか、そういう話は一旦脇に置いておくとして。
 つまり、迅の出した答えがどちらであろうと、拳の中身は変化しない。

「そうだね。遡及因果のお話だよ。現在の意思決定が、過去に影響を及ぼすことはありえない。時間は過去から未来へと流れる一方通行のものでしかないんだ。未来の行動で過去が書き換わる、なんてことはありえない」

 その予知を信用し、一億円を(今の場合はプレミアムレモンのど飴を)受け取るのか。それとも、拳の中身は変化しないのだからと、両方を選んで一億十万円を(今の場合はプレミアムレモンのど飴とはちみつりんごのど飴を)受け取れる可能性に賭けるのか。
 もし宮瀬が「迅さんは両方受け取るだろう」と予測していた場合、左手を選んだら、はちみつりんごのど飴すら受け取ることができないことになる。その点、両方受け取る選択をすれば、少なくともはちみつりんごのど飴だけは確実に手に入るのだ。

 少し悩んだ挙句、左手のみを選択した。宮瀬はぱっと手を開くと、その手の中にあったプレミアムレモンのど飴を差し出してくる。

「どうして?」

 はちみつりんごのど飴の包みを開けながら、宮瀬は尋ねた。プレミアムレモンのど飴を口に放り込み、迅は唸る。

「んー、勘かなぁ」
「そっか。……おんなじことをね、隊長にもやったんだ」
「おっ、にか。あいつは、なんて?」
「隊長は、両方を選んだよ」

 そこが、隊長と迅さんの一番の違いかもね──などと宮瀬は嘯く。

「……へぇ。ちなみに、そんな選択をした理由は?」

 迅悠一の問いかけに、宮瀬唯は軽く、鷹月の答えを口にした。

「『どっちの飴も俺んだ、返せバカ』だって」
「…………なるほど、なぁ」





 それから歩いて、歩いて、しばらく歩いて。前から近付いてくる人影を視認しても、声が届く間隔まで距離を詰めた。
 迅の姿を見つけた彼女──那須玲は、そっと息を呑んでは目を瞬かせる。やがて、その表情が険しいものに変わった。スタスタと早い足取りで歩み寄っては足を止める。それを契機に、迅も立ち止まった。

「小南から連絡をもらったよ。悪いな、すぐに返せなくって。どうする、連絡先交換しとく? 何かあった時のために、便利でしょ」
「……こういうときのように?」
「こういうときのように」

 彼女のぎゅっと握られた拳は、僅かに慄いていた。それを見ながら口を開く。

鷹月は、今の方が幸せだと思うよ。自分には何もできない、未来は変えられないと震えているより、もしかしたら助けられるかもしれないと全身で突っ込んでいく方が、気が楽だと思うんだ」

 ──だって、俺がそうだから。

「……ちゃんは、迅さんとは違うわ」
「それでも、は俺だよ。鷹月は、迅悠一の下位互換だ」
「…………」
「ヒーローな彼氏は不満?」
ちゃんの手足は二本ずつしかないの。ちゃんの首は、一つしかないの。ちゃんの命は一つしかない。このままじゃ、いつか本当に死んでしまうわ」
「なら他の彼氏を見つければいい。那須さんなら選り取り見取りでしょ。あいつよりも那須さんのことを考えてくれて、あいつよりも那須さんのとなりにいてくれる、そんな男いくらだっているんだよ」

 捨て鉢な気分で、言葉を紡いだ。彼女の眉がぎゅっと寄る。
 那須が、迅が口にした台詞をそのまま鷹月に伝えたなら、鷹月は迅悠一のことを心の底から軽蔑するだろう。

 ──でも。

「……那須さんと未来を歩んでくれる男は、それこそ掃いて捨てるほどいるよ……でもさ」

 それでも。

「でもさぁ……俺とおんなじ地獄で、一緒に息してくれるのは、あいつだけなんだ……」

 迅悠一には、鷹月しかいないのだ。

「未来が視える恐怖をわかってくれるのは、しかいないんだよ……」

 肩を震わせ、項垂れる。
 足音に、弾かれるように顔を上げた。

「私も一緒よ。私にとっても、ちゃんはたったひとりの大事な人なの。ちゃんじゃないとダメなの。他の人だと意味がないの。迅さんにとってもそうでしょう?」

 ほっそりとした冷たい手が、迅の右手を掬い取る。
 迅の目をまっすぐに見つめ、那須玲は口を開いた。

「だから、迅さん。ちゃんが本当に危ないときは、何をしても、どんな手段を使ってもいいから、ちゃんのことを助けてあげて。ちゃんのことを唯一だというのなら、その唯一は絶対に、守り切ってちょうだい」

 迅さんならそれができるでしょ。

ちゃんが死んだらそのときは、迅さんも自分を許さないでしょうけど、私も、迅さんのことを許さないわ」





 那須と別れて、しばし歩いた後立ち止まる。携帯電話が震えても、しばらく手を伸ばすことをしなかった。たっぷり三十秒ほどが経った後、やっと通話ボタンをタップしては耳に当てる。

『あっ、もしもし迅? だけど、つーかお前早く電話取れよ、めっちゃ不安になっただろーが、間違えたかもって思ってめっちゃドキドキしちゃっただろーが、澪みたいなこと口走る羽目になったじゃねーかどうしてくれる。まぁいいや、あのさ、お好み焼きの話なんだけど、集合場所がちょっと変わって──』
「なぁ、。お前、俺のこと、恨んでる?」

 囁くように、呟いていた。

『ハァ? いきなりどうしたよ』
「いいから……答えろよ」
『恨んでるよ』

 その言葉に、思わず息が止まった。
 電話口の鷹月はそのまま『……って、言われたいの?』とかったるそうに続ける。

『そもそも何について恨んでるって聞いてんのかわかんねーし。アンタが風刃持つ前の話だけど、太刀川さんと組んで俺から三日でソロ戦の点数五千点持ってったことは一生忘れねーからな。あっそれで言ったら恨んでるよ、超恨みつらみ溜まってる』
「…………、やっぱお前バカだよな」
『は? いきなりなんで俺罵倒されたの? えっ何? 意味わかんないんだけど』
「うるせー、なんでもねぇって。で、えっと何だっけ? 集合時間が変わったんだっけ?」
『ちげーよ、集合場所が変わったのー。ま、現地集合でもいいけど。もともと影浦隊っつってたけど、それがちょっと人数増えたからさー……』

 鷹月の言葉を聞きながら、ほっと密かにため息を吐く。連絡事項を伝え終わった鷹月は、軽い口調で『そういやさー』と呟いた。

「ん、まだ何かあんの?」

 だから迅も、肩の荷が降りた顔で携帯電話を持ち直す。
 鷹月は続けた。


『お前、左腕だったよな?』


 思わず、息が止まる。
 何が、と、そんな声さえ出せなかった。

 一番最初──鷹月の目の前で、迅悠一が身を張って、居眠り運転のトラックからベビーカーの親子を庇った時の話だ。
 あぁ、その通り。
 確かにあのとき、迅が折ったのは左腕だった。

『ま、だから何だってワケじゃないんだけど。なんとなく思い出したからさ。んじゃ迅、また後でー』

 迅の返事を待つことなく、あまりにもあっけなく電話が切れる。
 凍りつく腕を何とか下ろし、携帯電話の画面をホームに戻して、迅はやっと息を吐いた。





 足掻いて、踠いて、振り払って、逃げて
 逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、
 それでもあの日捕まった
 己の罪に捕まった


【月曜日のSynecdoche】──完



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